時空間のちぢれ

一見すると炊飯器のようだが、これが世界初のタイムマシンである。正確には本体の大半はその背後、隣室との壁をぶち抜いて作った空間でうごめくマシンの数々で、炊飯器はタイムスリップさせる対象物をいれ、行先を設定するデバイスに過ぎない。

タイムマシンとは言っても、まだ対象を狙った時間や場所に正確に飛ばせるような代物ではない。タイムスリップがこの世界に与える影響も未知数である以上、生物、まして人間を遥か昔へ飛ばすにはまだまだいくつも大きな壁がある。現在は超小型のGPS装置を起動させて数分だけ過去へ飛ばし、起動前の記録に突然現れる座標を記録する。これを繰り返して少しずつ調整し、精度の向上に努めている。今では狙った時間の前後8分ほど、約90km圏内の精度で物体を飛ばせるようになった。現実は地味なものだ。

そしてこの炊飯器をひとり、薄暗いラボで操作する男は、研究副主任の田中である。史上初のタイムマシンの開発に成功した物理学者・三峯博士の右腕であり、まだ世間には一切存在を公表されていないこのタイムマシンの管理を任されているが、彼はその信頼に背き、権限を個人的に利用している。

田中はおもむろに股間に手を入れると、陰毛を数本抜き取った。炊飯器に入れ、操作パネルで目標を80年前の過去に設定して転送スイッチを押す。背後のマシンが作動し、きっかり20秒後に炊飯器のフタが自動で開くと、中はもう空だ。繰り返し陰毛を抜いては入れ、80年前の日本のどこかへ飛ばす。

田中はこれを秘かに日課としている。バレれば解雇ではすまない。いや、それ以前に下手をすればタイムパラドックスでこの宇宙自体が消滅しかねない。もちろんそんなことは田中は百も承知である。しかし陰毛など飛ばしたところで大したことにはならないだろうし、宇宙が消滅すると言うならそれもいいだろうと思っている。

三峯博士の後継者としてこの研究を受け継ぎ、発展させ、人類による時間旅行を実現させる。そう志したこともあった。今でも周囲はそう期待している。しかし、それが自分には不可能であると、田中はわかっている。博士との仕事は研究者冥利に尽きる素晴らしい経験だったが、同時に巨大な才能との次元の違いを一番近いところで、まざまざと思い知らされる絶望の日々でもあった。陰毛をタイムスリップさせることでその絶望が癒やされるわけではない。しかし、田中は陰毛を飛ばし続ける、時空を超えて。それは復讐と自嘲の入り混じった最低の悪ふざけであり、宇宙を終わらせかねない極大の破壊行為だった。

田中は日々、陰毛をタイムスリップさせ続け、ついにはすべての陰毛を飛ばしきり、その後も新しい毛が生えてくるとすかさず抜いては飛ばした。時には脇毛も飛ばし、恥部に育毛剤をふりかけ、何年にも渡って飛ばし続けた。

田中の暴挙の約80年前、2019年の現在において、思いもよらない変な所から陰毛が見つかることは多々あるが、未来から来た人間は未だ発見されていない。やはり田中は人類による時間旅行の実現には失敗したのであろう。

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