見出し画像

〔00-00〕チェリータイムス

"No Standard Philosophia"
だって人生、超無知の知!

この、新装版チェリータイムスのキャッチコピーを、考えてくれたのは親愛なる、Magic, Drums & Loveのバンマス兼ドラム&ボーカルであり、ex私の隣人であり、ずっ友であり、東京の作詞家である YURINA da GOLD DIGGER a.k.a 金ちゃんです。

今日は、金ちゃんにキャッチコピーを考えてもらうために送った文章を、少し手直しして公開してみようと思います。
相変わらず長いので気をつけて〜。ははは〜。

濃い線

まず、新しくチェリータイムスを継続的に作ろうと思い立ったとき、最初に浮かんだ大枠の設定は『私が1人で、1人の人物(や物事、現象)を取材して、1冊の本を作る』というもの。実際には、カメラマンや、イラストレーターや、広告主などなど、多数の人に関わってもらわないと完成しないんだけど、いわゆる雑誌やフリーペーパーではなく、エッセイ集を作るような、自伝を作るときに編集として関わるような、そんな感覚で発行していきたいってことだった。
そこから「作るぞ!作るぞ~!」と気持ちが高まっていく中で、ポイポイ名案(?)が浮かんだ。というか、それまでずっとモヤモ~ヤと考えていたことが、バババッと繋がっていった。

年明けのnote『期待しないで2021』について。
すべては地続きだけど、ここからはじまったことが多すぎる。

変な話なんだけど ”普通” の外側にいると思っていた私から見て、”普通” の内側にいると思っていた、ご近所のママ友が、次々に『読んだよ〜』とか『発信してくれてありがとう!』と、わざわざ連絡をくれて。さらには『私たちとも友達になってくれてありがとう!笑 これからも、そのままでトンちゃんでいてね!』と連絡をくれたりして、嬉しくて、ちょっと泣いたし、ちょっと驚いた。noteをSNSでシェアするときに、もしママ友が読んだら「付き合い方を改めよう」と思われるかも?という覚悟みたいなものが少しあった。でも、自分らしく生きていくために、もしそうなっても仕方ないか……というような諦めみたいな気持ちも少しあった。さらに、これからも付き合っていくために読んで欲しいとも思ってたから、ホント安心したし、嬉しかった。

そして、そのとき感じたことは「そっか。誰だって多かれ少なかれ自分の中にある、”普通” からのプレッシャーを感じたり、すり合わたり、戦ったりしながら生きてるだな〜」というようなこと。とくに子育て中は、自分のことじゃないし、未知の生き物の成長を見守ってるから、余計に考えるのかもしれない。
「普通はどうなんだろう?」「スタンダードはなんだろう?」と。

0歳だって本当に、いろんな子がいて、みんな個性的なのに、どこにも存在しない「みんな」や「普通」や「標準」が気になる。もっと言えば、私みたいなもんは、スタンダードじゃないことに、少なからず誇りのようなものまで持って生きてきたはずなのに、育児がはじまった途端にスタンダードに拘りはじめて、自分のスタイルやペースを見失ったに違いない。

これを書いててハっ!としたけど、音楽をやっている昔からの友達が、私の少しあとにママになり、関西に住んでいるので、たまにLINEなどで連絡を取り合ってるんだけど、まったく同じやり取りしてたや! ホント言葉って難しい。言葉にして説明できることって、自分は理解できてるんだって思いがちなんだけど、感覚で理解してなくても言葉にはできちゃうんだよね。考えるな、感じろ的なことなんだろうけど……。これホント説明が難しいな。ははは。

まあ、とにかく。
自分で作り出せば、スタンダードな30代女性とは? スタンダードな妻とは? スタンダードな母親とは? スタンダードな夫婦とは? スタンダードな子育てとは? スタンダードな生活とは? スタンダードな幸せとは? とかさ。年齢、性別、属性、感覚、マジ無数……。でも、ホントはスタンダードなんて存在しないわけだ。それなのに、誰も彼も、その存在しない自分が生み出したスタンダードのプレッシャーを知らず知らずに感じている……。ふむふむ。面白い。ってことは、もう、全人類が同じ仲間じゃないか!!! あたまドーン!ってなった。ゲラゲラ。

普通とか、スタンダードとか、ノーマルとかないし。もっと言えば「この人は、この括りの人だから、こうなんだ(性別とか年齢とか育ちとか〜)」みたいなのって全然意味がなかったなぁ~って。
たとえば、日常的にコミュニケーションをとるような蜜な友達ではなく、知り合い程度の人についても、表面上のことだけ見たり、噂話に惑わされたりしながら、なんとなく既存の箱みたいなのに入れて、その人を分かったような気になって、好きになったり、嫌いになったりしてるかんじがある。十人十色どころか、1億人1億色なのに。

改めて、そう思ったら、やっぱり自分で見て聞いて触れたものを大切にしたいし、信じたいと思った。そのうえで、最初に思いついた設定『私が1人で、1人の人物を取材して、1冊の本を作る』を実行するとなると、それはもう、自分じゃないってだけで取材対象になるので、日本語だけで取材しても1億人=1億冊ぐらいイケるじゃん!っていう発見!!!わっはっはー!
最強じゃん!!!!!

そもそも。20歳でフリーペーパーを作り始めたときは、知らないってことが武器の1つだったんだな。無自覚だったけど。知らなければ、知らないほど人の話をよく聞く。それが、居心地が良かった。それなのに、すこ〜しだけ知ったら、全部知ったような気分になって、居心地が悪くなってしまったんだなぁ~。"知っていなくちゃいけない年齢" になってしまったと思い込んでいたところもあると思う。"スタンダードな30代" の呪縛とでも言おうか。

"何もないは何でもあるのと同じ" これは友達の旦那さんのTwitterプロフィールに書いてあって、ハッ!とした言葉。

40歳を手前にして、気がついたことは、私は全然まったく、何も知らないに等しかったのに、ほとんどを知ったかのような気分になっていたということ。おごり。さらに、知らないって言えないのつらっ!ってこと。なので、これからは大きな声で知らないから教えて!!!と言っていきたいし、知らないということが武器になる創作活動ってマジで無敵じゃん!という発見にワクワクしている。
ひと回りして、目が揃って、全てを手放して、無敵になったので、組み立て直して、それをブン回すときが来た!

ということで。
"No Standard Philosophia"

だって人生、超無知の知!
(スタンダードなんてないし、既存の考え方を疑うことが哲学の基本だし、自分は超絶なにも知らないし、それを超自覚しているよ!ってこと)です。マジ天才じゃね? 金ちゃん。
口に出して言ってみて。めちゃくちゃ語感いいから。
「無知の知」っていうのはソクラテスの言葉なんだけど、それに超をつけるあたりが、とても気に入っている。かわいい。

ということで、いろんな人の才能と手助けによって、新装版チェリータイムスの1発目が2月23日に発行になります。とんでもなくワクワクしているし、楽しみで震えています。前回のnoteの前半参照。
「へぇ〜おめでと〜」なんて思っていると、あなたにも取材依頼をするかもしれないので、そのときは何卒よろしくお願いしますね。ふふふ。それでは〜。

サポートして頂いたお金は、全額チェリータイムスの印刷代やイベントの運営費用として使わせていただきます。もしも気持ちとお財布に余裕があれば、よろしくお願いします♡