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〔01-02〕- ニーハオ!!!! BLUE YUKARI

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▶︎第2章 東京(2008~2012)
ーー東京に引っ越したあと、ニーハオとしてどう活動していったんですか?
Y:東京に来たらless than TV(谷ぐち順が主宰する天衣無縫の至宝レーベル)はあるから、ジュンちゃんは自分のフィールドがあったけど、私は友達もいなくて。もちろん、ジュンちゃんの友達はみんな迎え入れてくれるんだけど、谷さんの奥さんっていうかんじで。でも、かと言って、ニーハオは2人になって遠距離で、めちゃくちゃ模索中だったから、自分が胸を張って観せれるバンドもなくて、ライブやらせてとも言いにくいしっていう。自分の中で唯一の暗黒時代が半年くらいあって。そこから、いろんな方法でARIKOと2人でライブをやるんだよね。ビートだけサンプリングして、それをずっと流しながらライブしたこともあったんだけど、トラックを作る技術もろくになくて、カセットテープでビートを流して、既存の曲をやってみたり、新しい曲を作ってライブしたり、とにかく2人でのニーハオが形になって、しっかりライブできるようになるまで3年ぐらい試行錯誤したと思う。そこからアルバムを出せる状態になるまで、さらに2年ぐらいかかったのかな。
ーーそれって妊娠&出産&育児と同時進行ってことですよね?
Y:うん。共鳴が産まれたから休むみたいなことは全然してない。
ーーあれ? リミエキに再加入するのはいつですか?
Y:東京に出てきてすぐ。再加入というか再結成なんだけど。仁一郎くんから「やっぱりYUKARIちゃんとバンドやりたいんですけど」って連絡があって。バンドのためだけじゃないんだけど、仁一郎くんも東京に出てくるんだよね。そのタイミングでドラムのメンバーチェンジもあったから、またガッツリ本格的に活動できるようになるのに少し時間が必要で、その準備が整って「よし! これからだ!」ってときに共鳴の妊娠が分るんだよね。だから、絶対にバンドを止められないと思ったし、私が止めたくなかったんだよね。でも、もし何かあったときに、自分のことは自分の責任だけど、バンドのせいでって嫌な思いするのってメンバーじゃん。それでも、やりたいと思ってるのは私だから、どうしてもやりたいって言って、止めることなくライブやり続けて。でも、臨月だけは休んでレコーディングをやろうと思ってたの。でも、1ヶ月早く産まれたんだよね。だから、産後の1ヶ月でレコーディングをしたの。
ーーえっ! ウソでしょ!?
Y:ふふふ。
ーー産後1ヶ月は外出もしちゃいけないって言われてる時期ですよ?
Y:はい。
ーーお母さんは交通事故にあって全治2ヶ月ぐらいの気持ちで過ごしましょうみたいな時期ですよ?
Y:はい。
ーーその時期にレコーディング?
Y:はい。それで1ヶ月後くらいに大阪のフェスでライブもやってて。
ーーウソでしょ~~~!!!!!
Y:でも、大阪だったから子供は実家に預けてライブして。
ーーやべええええええ!!!!!
Y:全然オススメしないけどね。
ーーいや、勧められても、やろうと思わないし、できないです!
Y:そういうかんじだから、産後すぐのライブのときは、ジャンプしたら尿もれしてたよ。ふふふ。
ーーそりゃそうですよ!! 私なんて産んでから2年以上経つけど、デカい声出しただけで、未だにもれるときありますよ!
Y:わはははは!

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Y:でも、もう、バンドは止められなかったんだよね。私的には暗黒期が終わって、やっと動き出したバンドを止めるっていう選択肢は、まったくなかった。どうやってやるかを模索するだけ。だから、ニーハオもお腹が大きいまま2人でライブやってたんだよ。アリちゃんと2人でツアーってほどじゃないけど、野外ライブのために車で向かってて、今みたいにナビとかないから、地図を見ながら「つわりで気持ち悪いからちょっと待って」って言ったり。ふははは。そうやってライブ活動しながら、音楽的にも試行錯誤していく中で、アリちゃんスネアドラム叩く?ってなって。サンプラーもそうなんだけど、触ったこともないし、元はベーシストなのに。すごいよね!
ーーあ!ってことは、2011年の2ndアルバム『Marvelous』のときには、YUKARIさんがベースとボーカルで、アリちゃんがサンプラーとスネアとボーカルという。
Y:そうそう。アリちゃん新しい楽器を2つもやらされて、それをモノにしてて凄くない?! 私だったら「ふざけんな! なんで、私ばっかり、そんなワケわかんないことやんなきゃいけないんだよ」ってなるよ。
ーーでも、YUKARIさんも最終的にはフロアタムですけどね。
2人:ふははははは!
Y:あ! そういえば!! このとき、いろいろ試行錯誤しながら、2人のニーハオがやっと形になってきて、ライブがしっかりできるようになりました。曲をドンドン作り溜めていきます。いざ、そろそろアルバムを作りたいです~みたいになったときに、ジュンちゃんが懲役だから。
ーーあっ!!!!!
Y:2ndをリリースしたときは捕まってて居なかったの。
ーー怒涛すぎて気持ちがついていかないし、アルバムのタイトルが『Marvelous』なのも、なんか面白くなってきました。ひぃー!
Y:なにがマーベラスなのかっていうね。でも、普通にリリースのあとはアリちゃんと共鳴と3人でアメリカツアーとか行ってたよ。
ーーえええええ!!!
Y:共鳴が一緒だからとか関係なく、そのツアーも事件だらけだったんだよ。まず、もともと現地に住んでいた日本人の女の子が、ツアーのアテンドをしてくれるって言うから、連絡を取り合ってたんだけど、ツアーの直前に「私やっぱりツアー行かない」ってヘソ曲げちゃって、各地のオーガナイザーに「その女の子は来ないんだけど、ライブをしに行っていいですか?」って連絡して、途中の交通手段とかも自分たちで調べ直して。で、ツアー中も物販とか2人でめちゃくちゃ持って、共鳴も居て、雪の中で遭難しそうになったりとかさ。
ーー共鳴2歳とか3歳ですよね?
Y:うん。
ーーイヤイヤ期じゃん! ひゃ~! 地獄~!
Y:あと、ハウスパーティーでライブやったときに、お客さんも来てるのに「今日は音出しちゃダメ」って言われて、歌とハンドクラップだけでライブやって、演奏してないから、聴きたかったって言って、CDが飛ぶように売れたりとか。
ーーわははは! あれ? 演奏中は共鳴はどうしてました?
Y:そのまま、そこらへんに居た。近くに居て、1人で遊んで待ってた。でも、普通に酔っ払いとか、ラリってるような人にめっちゃ絡まれたりしてたよ。ふははは! 夜中の3時に「お菓子を買いに連れてっていい?」とか言われて「ダメダメ!」って言ったり。
ーーすご~~~!!!
Y:共鳴がすごいよね。リミエキだったかもしれないけど、中国ツアーのときに、ライブがはじまる前に共鳴が寝ちゃって、ベースケースの中でライブ終わるまで寝てたことあるよ。
ーーふはははは!
Y:頼むから起きるなよ~と思ってた。
ーーたしかに30分ぐらいならイケそうですよね。みんなやらないだけで、やればできるってことか~。私この話もっと早く聞きたかったな~。ホント遠慮したな~。
Y:わははは! でも、子供の個性にもよると思うけど。共鳴は大人しかったし、ジッとしてられる子だったから。あと、産まれてすぐから頻繁に大阪とかツアーに行ったり、それが普通だったのもあるかも。

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▶︎第3章 “Cheer Punk” 誕生(2012~2018)

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