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〔01-01〕- ニーハオ!!!! BLUE YUKARI

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▶︎第1章 大阪(2000~2008)
ーー当初からメンバーに担当カラーがあるスタイルで活動をはじめたんですか?
Y:そう。どんな音楽をやるかっていう以前に、どんな衣装を着るか、どんなキャラ設定でやるかってことを話し合ったんだと思う。ふふふ。で、最初の衣装はジャージだったの。なんでジャージだったのか、全然分からないんだけど。なんでジャージだったんだろう? ホントに。ふはははは。まったく覚えてないけど、当時は今のアイドルの子たちみたいに担当カラーとか、そういうのが一般的じゃなくて、ジャニーズとかのすごいファンの人の間で辛うじて、この人のイメージカラーはこれみたいなのが薄っすらあるぐらいのかんじだったんだけど、とりあえず担当の色を決めようってなって、ジャージを古着屋に買いに行ったんだよね。なんでジャージだったんだろうね~。まあ、けど、それで、元々は私がREDで、ARIKOがBLUEだったんだけど。ジャージを買いに行ったらズボンの裾が、赤はちょっと細くなってて、青はストレートでちょっと広がってるかな?ぐらいのかんじで、私がその赤のズボンの裾の形がどうしても嫌で。
ーーふははははは!!!
Y:私が「青がいいなぁ~」って言ったら、ARIKOが「べつにどっちでもいいよ」って言ったから、私がBLUEになったの。もともと、赤がいいってワガママ言ったのも私だと思うんだけど。ふふふ。それで、楽器がベースとベースとドラムだっから、私はディストーションとかファズをかけて、わりとウワモノっぽくしてベース弾いてたんだけど。あの音楽は一体なんだったんだろうね……。ふふふふふ。あ! でも! ボーカルは最初からみんなで歌いたいなっていうのはあって。曲によってボーカルが変わるのでもいいし、掛け合いでもいいし、とりあえず3人で歌えるスタイルにしたかったんだよね。それは今も同じ。でも、今は私が楽器的に1番ヒマだからさ。ヒマだと、どうしても歌いやすいから、リードボーカルが多くなりがちではあるんだけど、自分が前に前にっていうより、4人ボーカルっていうスタイルがいいと思ってる。結成当初よりも今の方が、その気持ちは強くなってると思うんだけど「ほら! 私の可愛子ちゃんたちを観て!」みたいな気持ちがすごいあるから。
ーーわはははは!

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ーー2005年に1stアルバム『GORGEOUS』が、NY出身のサックス奏者であり、作曲家や音楽プロデューサーなど多彩な才能を持つうえに、親日家としても有名なジョン・ゾーンのレーベルからリリースされていますが、彼との関わりはどこから? ニューヨークでレコーディングをしたんですよね?
Y:うん。したの。意味がわかんないでしょ。なんでだったんだろう……。なんか、分からないけどジョン・ゾーンが「CD出す?」って言うから、「出す! 出す!」って言って。あ! でも、リミエキの1stアルバムも彼のレーベルから出してて。
ーージョン・ゾーンに最初にコンタクトを取ったのは、飯田さんだったってことですか?
Y:たぶんそう。で、今みたいに誰でも音源を作れるような時代じゃなかったから。昔のMTRで自分たちで作ったやつをCD-Rに焼いて、ギリギリ聴くに耐えるかどうかぐらいのレベルで。ってなると、CDを出したかったら、どこかのレーベルに動いてもらうしかなくて、仁一郎くんが世界中の好きなレーベルにデモ音源をたくさん送ったんだと思う。その中の1つがジョン・ゾーンのレーベルで……。でも、そのときは普通に日本でレコーディングして、音源を送ってリリースしたから、ジョンには会ってないんだよね。たぶん。そのあと、リミエキでアメリカツアーに行ったときに会って話したのかな。なんか、わかんないけど、とりあえず、そんな流れでジョンが「ニーハオも出さない?」って言って1stアルバムを出すことになって。「だったらレコーディングも、しに行きたいんだけど」って言ったら、「じゃあ、おいで、おいで~」って言うから、ニューヨークに行くことになったの。
ーーずいぶんラフですね。ふふふ。
Y:そのとき、スタジオで適当に録ったプリプロみたいな音源を、参考にジョンに送って「この曲をアルバムに入れたいんだけど~」って言ったら、「これでいいよ~」って言われたんだよね。ふははは! それは、さすがにちょっと待ってってなって、レコーディングに行ったんだよね。

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ふうふ

ーー1stアルバムを出した年に、現在の旦那さんであるFUCKER(谷ぐち順)さんと出会ってますか?
Y:たぶんそうなの。1stアルバムのレコ発みたいなかんじで、アメリカツアーに行って、サンフランシスコのNUMBERSってバンドと一緒に西海岸を回ったんだけど。そのあと、NUMBERSのJAPANツアーのサポートをニーハオがやって、そのツアーの静岡のライブで、ジュンちゃんがやってたidea of a jokeってバンドで対バンしてて。たぶん初対面ではなかったんだけど、静岡のローカルチェーンの立ち食い蕎麦屋さん「スマル亭」でめちゃくちゃ奢られた。ふはは。ツーショットの写真も、そこではじめて撮ったし。
ーーそして、間も無くして2人は交際をはじめて、2人の私生活はグチャグチャに荒んでいくわけですね。
Y:そう。東京に住んでたジュンちゃんが大阪に引っ越してきて、一緒に住んでたんだけど、そのときに「もうYUKARIとは一緒にバンドできない」って言ってニーハオのドラムが脱退して。ARIKOにどうする?って聞いたら「べつにやめないよ」って言ったんだよね。で、2人になったけどメンバーを新しく入れるっていうかんじでもないよね~って話して、じゃあ2人でできることをやろうってなったの。ほぼ同時期にリミエキも同じような理由で1回クビになってるんだけど。
ーーえっ!!!!!!
Y:そうなの! だから、そのときに2人の人から「お前とはもうバンドできない」って言われたワケよ。生活もだけど、精神的にも荒れ放題だし、もうホントにメチャクチャだから。お金もまったくないし、体重だって30キロ台とかになったぐらいだし。だから、みんな「もう、お前とは冷静に一緒に居られない」みたいなかんじになって。それで、大阪に居ても生活は荒んでいくし、なんかな~みたいになって、私もリミエキなくなったし、ニーハオを続けるって言ってもベース2人だし。そういうのもいろいろあって東京に引っ越すことにしたの。それで、ARIKOとは東京に引っ越すけど、べつに2人なんだし、東京と京都を行き来して続けたらよくない?って話になって、ニーハオは2人で続いていくんだよね。でも、東京に引越してすぐに共鳴(ともなり)を妊娠したから、最初に言ってたような行き来じゃなくて、ARIKOばっかり東京に来なきゃいけなくなるの。
ーーアリちゃん(ARIKO)は、どうしてそういうヤバイ状況のYUKARIさんと2人になったうえに、遠距離になってもニーハオを辞めなかったんだろう……。
Y:なんなんだろうね。ホントに。それARIKOに聞いてほしい!

▶︎ARIKOコメント◀︎
この時期だいぶヤバかったな~! 色々考えたりしたはずなんだろうけど、ほとんど覚えてない。なんかごめん! 1人メンバーが抜けるのに合わせて辞めちゃうのもアレやな、そんでもって辞めるのはいつでも辞められるしな、でもそれ今じゃないなーと……。あ! 思い出した! 当時、別れて1年ちょい? くらいの元彼が、彼が長くやってたバンドを辞めるていうタイミングのときで。その元彼に「バンド辞めたら後悔するかな…???」て相談されて、本人には「どっちにしたってきっと後悔するよ」と、親身なふりしてお応えしたけど、心の中では「知らんがな!!!!」と(笑)。自分はそんな風にウジウジしたりしたくない、深刻になって、ポエミーにもなりたくない、やろやろー! バンドやろやろー!ってなった。のかな。あと、めっちゃシンプルに考えたら、YUKARIさんが一緒にいてオモロイ人間だからじゃないかな。だいぶヤバかったけど。ARIKOのこと求めてくれてたし。ほんまにだいぶヤバかったけど。愛だね! あ、でもARIKOも東京に来いって言われてたら続けられてなかったかも。京都に居たかったから。そこは逆にありがとう。です。

むかしの2人

ゆかりさんとありちゃん

▶︎第2章 東京(2008~2012)

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