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年中休業うつらうつら日記(2023年10月28日~11月2日

23年10月28日

最近の土曜の午前中は、ほぼ寝るだけに使われている。
睡眠薬をのんで4時5時に寝る私は9時ごろに起きてしまうことが多いが、毎日働いているせいうちくんにとっていくらでも寝られる土曜は夢の国らしい。
私もせいうちくんの横にもぐりこんで二度寝することもしばしば。
13時頃になってやっと「そろそろ起きようか」「そうだね、起きよう」とのそのそとベッドから這い出して来る我々。

前みたいに明け方までZOON飲み会やったりしてないのにどうしてこんなに眠いんだろう。
昨夜も、Gくんが「明日、出かける用事があるから早く寝る」と姿を消したのがまだ23時頃で、激しく酔っ払って大いに人を糾弾する彼がいないとZOOM飲み会はすっかり気が抜けてしまう。
(元カノと新宿でカラオケですってよ、奥様)
私も0時前には落ちてしまった。

そこからせいうちくんと遊びたいところだが、向こうは1日働いてくたびれている。
本人も遊んだり自分の読書を進めたりしたいのはやまやまだが、脳がもう寝かせてくれと悲鳴を上げているらしい。
ベッドに行って枕に頭をつけた瞬間に眠りに落ちる。
この睡眠力、うらやましい。

Gくんと共同でハイエースかキャラバンクラスの大きさの車を買って、普段はGくんちの敷地に置いて自由に使ってもらい、車中泊となったらGくんに迎えに来てもらう、という計画が頓挫していた。
「やらなきゃいけないこと」が目の前に立ちふさがってる時のGくんは一般人並みに面倒くさがり屋だ。
自分で目標を立てたり鉄ちゃんとしてどっか遠いところの路線に乗りに行く時なんかはものすごい企画力と行動力を見せるのだが、今回はまったく腰が重い。

これは、Gくんにすべておまかせしすぎたせいで、彼も他人と共有の車ともなるといつものように大胆に買えないのだろう、と思い、せいうちくんがとりあえずハイエースをレンタカー屋で借りて、ハイエースで3人が快適に寝られるかどうか試してみようと言い出した。
いや、正確には2人で車中泊するつもりでぼろいハイゼットを貸してくれるガッツレンタカーに行こうとしたのだが、埼玉では栄えているガッツレンタカーも、都内では勢いが衰えるとみえ、つぶれてしまっていた。
それで仕方なくいつものトヨタレンタカーでハイエースを借りる羽目になったのだ。
決してせいうちくんが計画したわけではない。

「週末にハイエース試してみようよ」と声をかけたら、俄然張り切り始めたGくん。
ああ、この人にはやはり短期的に集中できる目標が必要なんだな。
だから「一生働く」というような茫漠とした話には全然興味が持てないんだ。
ハイエース用の車内目隠しカーテンをAmazonで調べたり、前とまったく同じところに行くつもりだった我々に新しい道の駅を提案してきたりする(もちろん温泉つき)。

こんなに彼もやる気になってるんだから、金、土と2泊できたらいいのだが、あいにくレンタカーの方が日曜はいっぱいになっていて、無理みたい。

もう2週間、毎日会社に行ってるなんて、私の主治医が聞いたら何と言うだろう。
「テレワークメインで、出社は週2回、夜には仕事を入れません」と約束して、
「ダンナさんが離れたら奥さんは死にますからね。いいですね!」と脅されたにもかかわらず、この体たらくだ。
まあ私も死なないように頑張っているが、正直忙しくて一緒の時間が持てないのとせいうちくん本人がキリキリしているのがつらい。

とりあえず今は何も考えないようにして、「ご近所スキャンダル」とか「本当にあった主婦の体験」などのレディースコミックを読みちらし、自炊する時にお気に入りの作家さんだけ集めたフォルダを読んだりしている。
数百篇の「ご近所」を読むのは案外疲れる。
非常識な人が出てきて、真面目にコツコツやっている人が最後には笑う話が多いのだが、その非常識な人のあまりの非常識さとか押しの強さとか自分の言ったことを棚に上げる能力とかがすごすぎて、ちょっとげっぷが出る。

23年10月29日

フルートとキターのレッスン「一曲完成集中コース 全8回」もついに最後のレッスンとなった。
先週と同じようにフルートの先生「小顔ちゃん」とギターの先生「住職」と我々でひとつのスタジオを使い、今回はボーカルマイクとギターマイクもつけてみた。
うん、やっぱり音が大きく出ると楽だね。
でも住職からダメ出しが入る。
「マイクを使うと、どうしてもちょっと自分の声を抑えちゃうって言うか、マイクと距離を取る姿勢になっちゃうんですよね。もう、マイクをズドーンと通すつもりで声を放ってください」
なるほど、それは確かにそうだ。

昔に比べて心肺機能が落ちているので、とんでもないところで息が切れる。
それを見越して早めのブレスを入れるようにしていても、歌詞の語尾が消えてしまいそうになるところがいくつか。
また住職の出番だ。
「花嫁さんの名前、せっかくだから綺麗に伸ばして歌ってあげましょうよ。そのためには『た~ての糸は』の直後に短くでもブレス入れておくんです。そうすると花嫁さんの名前をゆったり歌えますから」
なるほど、忙しいところだけど、短くてもブレスを入れるようにしよう。

せいうちくんは前日にフルートの調子が悪くなるというアクシデントに見舞われたので、小顔ちゃんと「フルートがいかに精密なものか」について盛り上がっていた。
メガネの修理用の小さなドライバーのセットを持っているので何とかなったが、小さな小さなネジがゆるんでいて音が出なかったらしい。
細かい部品がいっぱいついてそうだもんね。

7回ぐらい通して歌って、もうへとへと。
先生たちは責任感もあるのだろう、「すごく良くなりましたよ。ここまでできるようになるとは」とほめちぎる。
「もう、明日本番でも大丈夫ですね!」と小顔ちゃんはニコニコ。
8回お世話になったお礼を言ってお別れし、安くてうまい回転寿司は行列ができていたのでスルーして電車で帰った。

先日、娘と面会しに行った時、「もうちょっと楽な服が欲しい、大きすぎても洗濯感想をかけるとすごく縮むので、かまわない」と言われていたので、ユニクロでお買いもの。
可愛いボーダーのTシャツを2枚と、ズボンとセットになったものを2着、選んだ。
オトナの女性のLサイズだから身長140センチぐらいの娘にはけっこう大きいけど、着替えの時に襟ぐりが苦しそうだというから、大きめにしておこう。
娘はせいうちくんに似て手足が長いから、案外ちょうどいいかもしれない。
もう140とか160とかの子供服のサイズじゃなくてS、M、Lで選ぶんだなぁ。
さすがオトナだ。



息子夫婦から先に引き出物が届いた。
沖縄の民族衣装「かりゆし」だ。
当日はこれを着て式に参列し、気軽に楽しく祝ってほしいとの想いだろう。
ドレスアップ用具一式を持って沖縄に行くのは少し大変なので、お客さんたちも喜ぶんじゃないだろうか。
お客さんひとりひとりの顔や人となりを思いながら、様々な色や柄の中から選んだそうで、我々のはオレンジっぽかった
少なくともギターを弾くには楽な服だ

「かりゆし」とは沖縄の言葉で「めでたい、縁起がいい」という意味らしく、友達にも「うちの子はかりゆし婚だったわー。楽でいいわよ!」と言ってる人がいた。
さっそくベージュのパンツと合わせて着てみて、息子たちに写真を送った。
「よく似合うよ!」とのこと。
ついでにずっと私のことを気にかけてくれてる名古屋のCちゃんに「かりゆし婚なの」とLINEで写真を送ったら、「おっしゃれ~!若い人はやることがカッコいいね。お2人のドヤ顔に笑っちゃったよ」と返事が来た。
嬉しいと、ドヤ顔になっちゃうもんなの!

式のあと、数日沖縄に残ってレンタカーであちこち行こうと思ってる。
せいうちくんたら、「美ら海水族館」を知らないなんて!
「有名なとこなの?」
沖縄に行く人はみんな行くんじゃないかってぐらい有名だよ!
もちろんそこは行く。
ホテルもみんな奮発してシービューにしたので、沖縄の蒼い碧い海を楽しんでくるね。

23年10月30日

ご近所スキャンダル的な短編を300編以上もいっぺんに読んだので、頭がくらくらする。
小野拓実と庭りかだけでもこのありさまだ。
15年ぐらい前にいわゆるレディースコミックを月に10種類ぐらい近所の本屋さんで取り置きしてもらってて、月に2回、配達に来てくれていた。
しかしあっという間に寝室のあちこちの隅にアリ塚のようにご近所の山が堆積し、せいうちくんに「こんなにいらないでしょ。捨てるよ」と言われてダブルベッドの板を外した下に隠しておいたがそんなの焼け石に水。
ついに本当に捨てられ始めたので自炊を検討するようになった、というのがうちのスキャン技術導入物語。
始まりは、「ご近所スキャンダル」だったのだ。
もう10年ぐらい様々なマンガをスキャンし続けている。

最初の頃はもちろん手元にあるものをやっていたが、超人的なペースでやるもんだからいっとき、裁断・スキャンするものがなくなってしまった。
「電話帳でもいいからスキャンしたい」と思っていた当時の私は、今思うと重度の自炊中毒だったなぁ。
全巻ドットコムやAmazonのセットを買いまくり、あの頃いくら使ったのかはあまり考えたくない。
来る日も来る日も漫喫上がりのスタンプやシールがついたセットが届いていた。
天に店名のスタンプが押してあったりすると、
「ふふふ、大丈夫だよ。こんなの、全然見えなくなるからね」と不気味な笑みを漏らしていたものだ。



大物はもう買いつくしたと思っていたが、今頃になって迫稔雄の「嘘喰い」全42巻を買ったり「彼岸島」シリーズを全編買ってしまったりしている。マンガ友達のミセスAから「『推しの子』未購入に驚きました」と言われたら途端に気になってしまって、本来連載終了してコミックスがブックオフに出回るようになってから買うつもりだったのに、夜中につい、ポチッてしまった。せいうちくんはあきらめ顔で、「夜中に薬が効いてぼーっとしている時にAmazon見てると止まらないみたいだねー」とつぶやいている。「マイホームヒーロー」も買ってしまい、こういう未完の、旬のやつは高いんだってば!と煩悶しながら、せめて元を取ろうとミセスAに貸し出しておいた。


こないだはよしながふみの「きのう何食べた?」最新巻と新連載「環と周(たまきとあまね)」の第1巻を貸し出したので、ミセスAにたいそう喜ばれた様子。
特に「環と周」には号泣したらしく、「ノーベル文学賞…」と魂が抜けたような状態だったようだ。
「ね、よかったでしょ。『周る命、環る愛』」と帯に書きたい文句を書いたら、「そのキャッチコピーはどちらに?」と聞かれたので、「ワタクシ考案です」と答えたら、ぜひTwitterに投稿するべきだ、と説かれた。
ほめてくれてありがとう。

BL出身の作家さんの活躍が著しく、よしながふみの「大奥」、雲田はるこの「昭和元禄落語心中」、中村明日美子の「王国物語」、羅川真里茂の「ましろのおと」など名作が次々生まれている。
今のところはよしながふみが最大の功労者であろうか。

23年10月31日

朝一番からせいうちくんの会社が手配してくれる主婦健診。
私は心臓のせいで定期的に血液検査や尿検査をしているので、今回は子宮頸がん、乳房触診、マンモグラフィー、肺レントゲン、聴力だけに項目を絞った。
乳がん検診は別の病院で年に1回やっているので不要かと思ったが、がん家系の出であることをせいうちくんがたいそう心配し、機会があれば受けてくれ、と言うのでしょうがない。

「腹囲」と「体重」は測られたくないなぁ、婦人科健診の方がよっぽど恥ずかしくもなんともないよ、と思っているうちに全部終了。
1300円だけ払う。

まだ午前の診療やってるから、心臓の方の病院に行っとこう。
薬があと2日分しかないし、そもそも金曜日にすっかり忘れていたインフルエンザを強に振り替えてもらっている。
前回薬の量を変えたので気になるワーファリン値は「2.1」。ずばり正常範囲の真ん中だ。
なので薬は1.25mgのままで行くことになり、あとはインフルエンザ。
結構深い注射なのね。かなり痛かった。
帰ってから37度まで熱が出ている。
せいうちくんがなぜか嬉しそうにロックアイスを買ってきて「氷枕」を作ってくれるそうだ。

最近、起こった出来事について書いてるだけのことが多く、思索をしてないなぁと自分でも思う。
せいうちくんにまで「日記、わりと抽象的なことが少なくなったね」って言われちゃうし。
でも彼は、私みたいなタイプはいっぺんとことんバカになった方がいい、と言うか、自分がバカだと気づいた方がいい、と思ってるらしく、この変化をどちらかと言えば喜んでいる。

23年11月1日

父のことを思い出している。
思えば子供の頃から父に叱られたことはほとんどなかった。
たった1度、旅先で危険な崖に近づいた時に激しく叱られただけだ。
せいうちくんはそんな父を、
「あの人は、ホントそういうとこがカッコいいんだよねー」と尊敬しているようだ。

博多から東京の親戚のところを訪ねる母と山口の実家から大学へ帰る列車の中で知り合った父は、父側からの猛烈な手紙攻勢で結婚することになったらしい。
結婚式で会ったのが顔を合わせる4回目だったという。
その頃父が母宛てに書いたラブレターを形見にもらったので、いつかゆっくり読んでみたい。
あの、感情の動かない、他人にまったく興味がないような父が手紙の中では「貴女のような人が病気で死んではいけません。僕も手を尽くして治療法を探します」と書いていた。
2人とも若い頃に大病をして、特に母は片方の腎臓を摘出していたので、あまり長生きしないと思われていたようだ。

東京の大学に行っていた山口県のお酢工場の後継ぎ長男が、何を思って家業を捨て、妹婿に全事業を託して特に縁のない土地である名古屋の会社に就職したのかは謎だ。
ただ、母への手紙もだんだん細かくなってきて、スマホなどない時代だから仕方ないが、「Aさんを訪ねること。もし会えなければ、Bさんに連絡して私からの指示を待つこと」などとやたらに注文が細かい。
常にいろんなケースを想定しているが、実際の行動は最低限で済むように動く人だった。

あれだけラブレターを書いて実家を捨てた父も、やはり昭和の男だったらしく、母は初めて来た名古屋で突然「アパートを探しておいてくれ。オレは友達と麻雀をしに行く」と一人残され、茫然としたという。
しかし、もし母がアパートを探していなくてもきっと怒らなかったし、その晩は友人宅か旅館に止めてもらっただろう。
自分は好き勝手するが、他人の好き勝手にも非常に鷹揚で寛容な人だった。
高校生の私に「コーヒー入れてくれ」と頼んで「やだ」と断られても、怒るでも機嫌を悪くするでもなく、自分でインスタントコーヒーを入れていた。
私が物心つくころには、母は常にぎゃあぎゃあ言っていたが、良くも悪くもそれを意に介さない父。
子供の頃は真剣に2人は仲が悪いんだと思っていた。

これまた昭和の男らしく、「家と子供のことはおまえにまかせた」と言い放っていたが、小学校の参観日に来てくれたり、大学の入学式と外業式にも来てくれた。
2回もバージンロードを腕を組んで歩いてくれたし、せいうちくん側の主賓が所要あって途中で帰った時は素早くエレベーターまで見送りに行って挨拶してくれた。(本来、せいうちくんのお父さんがやることだろう)

いろいろ細かくて、鍋をすると「自分が入れた牡蠣は責任もって引き上げるように。似すぎた牡蠣は固くなって美味くない」と鍋を見張っていたし、新居を訪ねてくれば「2人暮らしにはちょっと冷蔵庫が大きすぎて贅沢じゃないか?」と言っていた。

私はそんな父の許しをもらって結婚するのに憧れており、名古屋まで東名高速を車で飛ばしながら、せいうちくんに、
「もしあなたがパパの気に入らないようだったら、この話は白紙に戻してもらうからね。パパは、相手がつまらん男だと思ったら黙って2階へ上がっちゃうよ。お姉ちゃんの彼氏たちなんか、何度もそういう目に遭ってるんだから」と脅かしていたので、せいうちくんは生きた心地がしなかったそうだ。

幸い父が2階へ消えなかったので、せいうちくんに準備してきた台詞を言ってもらおうとした。
「お嬢さんをください」
しかし、やはり私の父の方が一枚上手だった。
「私は、娘たちのセックスには干渉しない主義です」と言い放ったのだ。
これには私も困り、
「まあ、お約束事なんだから、言わせてあげてよ」と頼み込んで、やっと「お嬢さんをください」「はい、どうぞ」と漫才のようなやり取りが成立した。

でも、父はせいうちくんをとても気に入っていたと思う。
亡くなったあと知りあいのおばさんから、
「パパはせいうちくんのこと、『ありゃあ、いい青年だ。うさこもこれで安心だ』と何かにつけて言っていたわよ」と聞いた。
ただ、同時に「母親と姉がくっついちゃって、うさこがはじき出されている。可哀そうだ」とも言っていたと聞かされ、ちょっと腹が立った。
「家庭内のことはわからないんだから仕方ないや」と思って父に助けを求めることはなかったが、「わかってたんなら何とかしろよ!」と自然に罵声が浮かんでくる。

結婚式で私の寮の友人たちが「寮歌」とされていたジョン・デンバーの「TODAY」を私も交えて歌ったもんだから、酔っ払った仲人(まんがくらぶの顧問)が、式の〆になって「ICUの寮歌が出て、一高の寮歌が出ないわけにはいかない!」と叫んで歌い出した時も、父は手拍子を打って一緒に歌ってくれた。
(せいうちくんのお父さんは忘れてしまったのか、歌わなかった)
それで時間がオーバーし、仲人先生は恩師に会いに出かけるという大事な予定に、飛行機に乗り遅れていけなくなってしまったりしていた。

「この後二次会があって、それからまんがくらぶだけの三次会をやる」と言ったら、
「それ、面白そうだな。行ってみたいな」ともらしていたのだが、例によって母が、
「何非常識なこと言ってんの!帰るわよ!」とひきずっていってしまうにまかせたことを今でも後悔している。
私が4歳の頃から隔月で出ていたカッパコミックスの「鉄腕アトム」を買ってきてくれていた父なら、まんがくらぶの集まりも楽しめたかもしれない。
こうやって毒親の母は家族を分断統治していたんだな。

いいことばかり思い出すが、昭和の男がみんなそうなのか、エロオヤジであった。
高校生の私の風呂をのぞこうと洗面所をうろうろしたり、間違えたふりをして風呂の扉を開けたりしていた。
人生で400字詰め原稿用紙3枚ぐらいしか会話しことがないと思うんだが、
「おまえはどうしてそんなに翻訳調でしゃべるんだ?」
「おまえはどうしてそんなに丸い眼鏡をかけているんだ?」
「初めての時は、女が上になった方がいいらしい。注射とか、いつ打たれるかと不安に思うより自分からやった方が安心だろう」
(実家で娘におっぱいをやっていたら)「おまえはなんでそんなに乳首が黒くなっちゃったんだ?」
記憶に残る限りロクなことを言われていない。

それでももっと父と話しておけばよかった。
70歳すぎて肺がんのステージⅣと診断された父は、手術が無理と聞くと他の治療を拒否し、自分の作業用の家で、生涯かけて集めた切手を猛烈な勢いで整理をし始めた。
最後はベッドからバイトの人に指図して、立派なコレクションを作り上げ、1千万にもなるそのコレクションは「売って、2人の孫の学費にあてろ」と言い残した。
ほっとしたのかホスピスに入り、見舞いに来て帰ろうとする母に「オレはもう、今夜ぐらいでいいなぁ」と言い、実際その夜中に静かに亡くなっていた。
いろいろと、見習いたい人生だ。
しかし享年71歳か。私にはもうあと7年しかないぞ。

本当に、父とはいろいろ話しておきたかった。
「どうしてママは私じゃダメなの?お姉ちゃんしか好きじゃないの?」と聞いてみたかった。
この先の人生は父が母にあてたラブレターを時々読み返して、父の悪口ばかり子供たちに吹き込んだ母も、ある時期は父のことを思っていたのだと確認したい。

創刊間もない頃からSFマガジンを購読していた父で、私も中学生の頃からその恩恵に預かっていた。
最後に電話で父と話した時、
「最近、SFが読めなくって」とこぼしたら、
「あれはコドモの読むもんだ。オトナはついていけん」と言われてびっくりした。
新しいもの好きで頭がはっきりした父でも精神的動脈硬化を起こすのか。
彼に「三体」を読ませて感想を聞いてみたかったなぁ。

23年11月2日

今日の夜、せいうちくんがハイエースを借りてくる。
出発が早朝になるので、レンタカー屋が空いてる時間に借りておくのだ。
(そして近所の安めのパーキングに停める)
朝起きたら敷布団を2枚積んで埼玉のGくんちを目指し、そこからまた北関東の方をめぐるつもりだ。

せいうち家のように十年一日同じことをしていたがる人種と違ってGくんは常に新しいことにチャレンジするタイプなので、新たな温泉つき道の駅も見つけてくれたし、ルートも考えてくれている。
「ハイエース借りるから、3人で車中泊いかない?」というだけの起爆剤でこんなに急発進するとは思わなかった。
そしてせいうちくんは例によって、「人がやってくれると一切お任せして何にもしないタイプ」である。

ここんとこ忙しくて息が詰まっていたから、ちょっとガス抜きしてくるよ。
上手くいけばこれでGくんがハイエース買ってもいいな、と思うきっかけになるかもしれない。
というわけで今週は早めの更新となった。
来週は車中泊報告するね!

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