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プロセスを見取る喜び

作家の時間で、2学期中は全く文章が書けなかったK君。
3学期に文章を書き出し始めるという大きな変化が起きた。
字形がうまく取れないことで、文字を書くことにすごく抵抗があったみたいだ。
それが友達からの「字が読みやすくなったよ」というフィールバックがきっかけで勇気が湧いたてかけるようになったと言う話を僕にしてくれた。

そこから約2週間。
彼は1つの作品を書き上げた。
なんと9ページも当たるクレヨンの物語を書いたんだ。
今年度のハイライトとも言える出来事だ。

彼はもともと書きたい事はあったのではないかと思う。
文章を書くことはできなかったが、おしゃべりはとても上手にできる子だった。
むしろしゃべりすぎてしまう傾向のある子だ。
2学期までの時間は自分が描いた絵を友達に説明することをたくさんしてきた。
今回の変化の背景にはそのたくさん話した経験も生かされていると思う。

僕にとって新しい発見がもう一つ彼はその自分が書き上げた作文を本当に宝物のようにしていることだ。
彼は物の整理なのがとても苦手。
しかし、その原稿は1階もなくさずに管理することができていた。
書き終わった原稿を持って彼は僕にこう言った。
「先生、これは持って帰って、児童クラブの先生に見してあげてもいい?お家にも持って帰って、お母さんにも見せたい。」
僕は正直なくしてしまうことが心配だったが、絶対に明日学校にまた持ってくることを念押しし、彼は家に持って帰った。
そして今日無事に学校にもう一度持ってきた。
さらに個別指導の先生にも見せてあげたらどうかと提案すると、
「絶対に見せたい!」
と言ってウキウキで持っていた。

僕は彼が完成作品を見せてくれた時、書き上げられたことの喜びを全力で分かち合えた。
細かいこと言えば、誤字脱字などいろんな点で指摘できる。
しかし、2学期にほとんど文字を書くことができなかった彼が起こしたこの変化を喜ばずにはいられなかった。

彼のこの姿を見て、彼にとっての1年間の書く指導は意味あるものになったのではないかと思う。
2・3学期かけて、今のところ書き上げた作品は1作品だけだ。
しかし、何を書いたらいいのかわからず苦しみ、絵はかけるようになり、その絵について友達と話しまくり、3学期にようやく文字を書く自信がつき1つの作品を完成させた。
そしてその作品を宝物のように扱っている。
このプロセス自体が、彼にとってとても大事な経験になったと、僕は近くで見ていて思うことができた。
そして間違いなく、彼のこの変化を見取れたことは僕にとっても宝物だ。

こんなプロセスを共有させてもらえる作家の時間と言う実践は、ものすごい可能性を秘めていると思う。

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