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学校はどんな場所であればいいのか?

暴れている子を力で止めた。教師、2人がかりで静止し、4人がかりで別の教室へと連れて行った。僕にとって久しぶりの出来事だった。
壁を思いっきり叩き、雑巾を教師に投げ付け、「なんで否定ばっかりするんだ!」と泣きながら叫んでいた…

彼のことは2年生の頃から知っている。クールダウンしているところで、少し会話をしたり、クラブ活動で関わったりと顔なじみの中ではある。今まで学校生活で困っているところも部分的に何とか見かけてきた。それと同時に彼と向き合う先生たちの姿も見てきた。

 彼の姿を見ていると、以前僕が担任をしたある1人の児童と重なる。だからか個人的に勝手な思い入れがあった。
 彼へ尋ねた。
「何がそんなに辛かったの?」
「知らない」
他にもいくつか質問しても
「知らない」
彼の悔しいような、苦しいような、辛いような表情。その姿を見ていて泣けてきた。

 時間をかけて一緒にいてあげたかったが、担任が話を聞きに来たので、僕はバトンタッチ。

 この現場に遭遇して、僕はただ辛い気持ちになった。彼に何もしてあげられないこと。彼にとって学校がそのような場になってしまっていること。それだけではなく、担任の先生だってあんな状態に何度もなったらしんどい。
 また学級担任と言う仕組みのバイアスが僕自身にかかっていることも感じた。彼の担任が来たときに、自然にもうここは僕の出る幕ではないと思い、その部屋を出て行った。現状のシステムではその判断は間違ってはいなかったと思う。どんなに僕に思いがあったとしても、彼と毎日向き合うのは担任だ。
 しかし、その仕組みで良いのかと言う疑問も同時に出てくる。すべての子供たちして、すべての教員たちにとって安心して学べるような場に学校がなるためには、一体どのような仕組みにしていけば良いのだろうか?そしてそれは誰が主体となって作っていくものなのか?学校はどんな場所であればいいのか?

ただそんなにすぐ変わらないことを考えているばかりでは何も変わらない。今できることを校内で考えていくしかない。

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