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親である自分と、そのままの自分の狭間で。

「親がご機嫌で輝いていること」

子育てにおいて(まぁ子育てに限らずかもだけど・・)、常には難しいかもしれないけど、これって結構重要なことだと思うのです。
笑う角には福来たるじゃないけどもさ。

でも、なかなかできてないかもしれない…。

子どもと一緒にいられるいまのこの時間が尊いなと思う反面、
動きづらいなとか思ってしまったり、
日々のお世話などで埋もれていきエネルギーがきれてしまったり、
そもそもそうなってしまったり思うことを自己嫌悪したり…。
そんなことが、結構おこります。
ホントは毎日ハッピーでいたいのだけどね。まぁでもなかなか現実的にできていない…。

パパママさん(わたしと同じように0歳児ベビー育ててる人でも、それに限らずでも)にお尋ねしたいのですが、
親も子もいかしあえる、そんなあり方やしている工夫って何かありますか?
もしくはそーゆー場。親子で参加できてご機嫌になって学びがある、
そんなサークルやプログラムとかってあるのかなぁ。

そんなことを聞いてみたい…すごく漠然としてるけど。

今しか味わえないこの小さき人に全力で向き合っていきたい反面、
子どものこととは別に、自分自身のことも深めていきたい気持ちもちょっとある。
でもやっぱり近くにいるので、気持ちはそちらにいくんだけどね。なんだかんだ切り離せないし、自然と今一番の関心がそうなんだっていうのもあるかもだけど…

要は、子育てを自分の趣味・仕事にしたくない気持ちもあって。
そうするといずれいろいろ詰まってきちゃうのではないかなとか思うから。


最近子育てに関する本を読むと、わりと出てくるキーワード、
「自己肯定感」についてもちょっと触れたい。
むしろ親であるわたしも自己肯定感あげたいと思う 笑。
というか一緒にあげていけるといいかなぁ。

だから自己肯定感についても最近またちょっと考える。
(子育てそのものに関する自己肯定感の低さというより、子育てしてる自分じゃない面の自分に対する自己肯定感の低さみたいな・・・)

昔から自分の「できない」にずっとコンプレックスがあって(だからこそ完璧主義の気もあったのだが)、なんだかんだいまも根強いんだと思う。

いくつになってもレベルアップ感、向上心とのせめぎ合いがある気がする。

あと、地味に休職したときの自分の中の"杭"みたいのがずっと残ってる気はする。なかなかとれない。
自信のなさというか。
できなかった自分、みたいな。
ふとしたときに顔を出す。

この自分との付き合い方、もうちょいやってけるといいなー。
勝手にしんどくなったりするから。
理想の高さ、悪い意味であきらめの悪さ、うまく付き合っていきたい。

なにかに熱中してたり楽しさが全面にあるときは、自己肯定感の低さに打ち勝てるから、全力で自分をだして子どもも楽しいことをやっていけたらいいなぁとは思ってる。


最近すごく思うのは、フラットに対話できる人って大事よなー、ってこと。
ライフステージが上がるにつれて、よりパーソナルなことが増えていくから、なかなか貴重だと思うのです。

昔のゼミのような探究仲間がすごく恋しい気分…。
学びの場、語りの場って、意識しないとあまりないからね。
いちばん大切にしたいのは家族には変わらないけど、家族以外との場もほしい気分。

そういや最近、ママの当事者研究に関する本を読んで、当事者研究において「仲間」「語り」というのは重要なキーみたいでした。

迷った時にはいつも、自分の納得を半年くらいかけて探求の場で育てていってたから、そういう場をまたほしいのかな。
語りがあったり気づいていける、そんな場。

親である自分とそうでない自分両面含めての対話の場、学びの仲間を求めているのかもしれない。
わたしにとって、仕事がそれを兼ねていたのかもしれないな、とも思う。
そこが重なると、やっぱり楽しいしモチベーションあがるから。


…いつものようにとりとめないけど、
「自分もまわりも大切にできるあり方」
「楽しく幸せになれること」
が目下の課題です。

おわり。

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