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アキラメからの

先日、何気なく流れているTVの内容に耳を傾けた。
大正製薬が体脂肪を減らせる薬(内臓脂肪減少薬)を開発・販売したとか・・。
メタボに効く、という薬は国内初とのことで、「中年になっておなか周りが気になり出した」という潜在的ニーズに向けたもの。

半年、1年後のスッキリしたおなか周りを夢に描きつつ、ややくたびれてきた中年層を中心にその薬は売れていくんだろう。

話の内容は、もっぱらそのクスリを服用し、効果が出ることでどんなに変わるか、といった内容に終始していた。スタジオの一同の反応は、おおむね好意的だった。

コメンテーターの話がなんだか空々しく響く。

「あれから40年・・」
「変わり果てた姿に・・」

綾小路きみまろさんの名調子が自虐的に刺さるように、寄る年波とともに、腹部と言わず臀部にも顔にも手足にも「贅肉」「無駄肉」がついてくる。あるいは筋肉のたるみが気になる。

普通一般の生活をしていれば、人は意識しなくとも、加齢とともにそうした傾向をたどる。
または本人は薄々気がついてはいるものの、半ば不可抗力的な生活習慣によってそうした容姿の変貌が現れてきたりもする。

連日のような仕事仲間や友人らとの会食や酒宴、接待などがそれだ。
僕などの若いころもそれでした💦
バブル時代であれば多少優雅な「社用族」という言葉がありましたが、いまなら「社畜」でしょうか。

しようがない。

ダイエットなどメンドーな摂生もなく、手っ取り早くBMI(体格指数)を減らそう、と薬に頼る気持ちもわかります。

キーワードは「くびれ」

しかし、その動機はともかく、その行為は刹那主義というか、ほぼ自分に主体性がない。
「乗っかる」というか「流される」というか。

政界などの目につく腐敗を評して「今だけカネだけ自分だけ」と憤慨する方々は多い。

しかし、どうだろう?
見境なくクスリをのんだり、注射をしたり、手術を受けたり・・それがどう違うのだろうか?

「今だけ、カネを払うことで、自分が楽になったり、よくなったりすればよい(カネを払ってるんだから当然の権利だ)」

唯物思想、唯物主義、モノカネすべて(拝金主義)、という病は、理論や理屈ではない。生まれてこのかた、陰に陽に、骨の髄まですっかりしみ込んだ「集合意識」だから、僕らの内外からそうそう簡単に出ていかない(なにせそれに同調しないものは「弱肉強食」とやらの掟で淘汰されちゃう社会ですものね)。

いきおい、人は「善(正)か悪(邪)か」という指標が古臭く思え、「損か得か」という自己中心的な狭い判断が幅を利かせるようになり、おまけにそれに対して無批判になる(だから平気で賄賂を受け取れるんですね)。

人様の行為に水を差す気は毛頭ないが、古い、カビの生えたような集合意識の前で自分を埋没させてしまうのはばかばかしいし、もったいない。
というのも、それがどんなに巨大で、周囲を埋め尽くしていようとも、それは(自分が描いた)幻でしかないからです(あの人もこの人も同様なことを言っているのは、同じ幻影を語っているだけです)。

たとえ100万人が「白」といっても、実際それは「黒」だったなんて事柄はたくさんあります。
「地動説」の登場前夜を想像されてみてもいいが、多くそれは

「不可能」という集団心理(意識)が根っこにあった。

「不可能」→「無理」「ありえない」という意識、常識に膨らんでいったわけです(面白いもので、コペルニクスもガリレオも世界を変えたわけではない。世界の「認識=集合意識=世界観」を変えたのだ)。

では、その「不可能」という意識はどこから来ているのだろう?

不可能という心理は、敗北者心理を自己正当化しているところからきている。

キーワードは「あきらめ」

「うちはそういう家系だから」
「遺伝だから」
「血統だから」
「運命だから」
「医者に〇〇と診断されたから」
「日本人だから」
「高校しか出ていないから」
「偏差値やっべーから」
「先が見えてるから」
「この歳だから」
「男(女)だから」
「これといって才能ないから」
「容姿も平凡だから」
「みんなが言ってるから」
「初めてのことだから」
「前例がないから」
「会社の規約だから」
「無職だから」

つまり、「やる前からの」だ。

すべて、他人の意見か、それによって膨らまされた集団幻想ではないですか?

「だから・・・?」

だから、の次は「出来ない」ではなく、
だからこそやるべきではないですか?

・・・こんなドヨンとした意識の海をたゆたう現代人にとって、一服のカンフル剤になる映画がある。

それは、ジュリア・ロバーツ主演の映画『エリン・ブロコビッチ』だ。

古い作品なのでご覧になられた方も多いでしょうが、老いも若きもつまらない幻影から人生をあきらめかけている方必見、マスト映画でしょう。
実話というところがミソで、モデルになったご本人もチャーミングな女性。

いまや、アメリカンドリームなどどこ吹く風なほど退廃しきったアメリカだけど、単なるサクセスストーリーというよりも、主人公の常識にとらわれない正直で、勇敢で、前向きな生き方に目が覚めさせられる。
大企業の巨悪を、ド素人の弁護士が体当たり(時には色仕掛け)でねじ伏せるといった世間的には破天荒で無謀ともいえるストーリーだが、しかし誰しもが拍手喝采を送った。

胸元も露に超ミニのスカートでキメた元ミス・ウィチタ。離婚歴2度。3人の子持ち。無学、無職。貯金残高16ドル。そんな彼女が1枚の書類から大企業の環境汚染を暴き、634の住人の署名を集め、史上最高の和解金350億円を勝ち取り、アメリカ中にスカッとした感動をもたらした。これは実話に基づいた痛快なサクセス・ストーリー。=本作解説より

これを読まれているあなたでしたらご経験がおありかと思いますが、数人で何らかの話題になって盛り上がっているのに、自分だけ溶け込めない。みんなの気持ちは理解できるのだが、何かどこかに違和感を感じる。もっとも、座の空気をよどませたくないから表向き「そうだそうだ」と同調の振りをする。でも、自分でもよく分からないが釈然としない気持ちが残る。

今回は、「メタボ改善薬」という卑近で俗な話題を耳にした際に僕が感じたそんな思いを書いてみました。


東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。