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簡単に好きといえば幸せ

どうしても趣味とか夢とかやりたいこととか、ないなぁと思ってしまうことが多い私ですが、最近はそんなもんかなとも思います。

寧ろ自分が思っている趣味とかがハードルが高い気がする。例えば私は文章を書くことが好きだけど、それで小説を書き上げた経験もないし、なんなら長い文章を書くことが苦手だったりするから胸を張って趣味とは言えないなと思っていた。
私にとって趣味とか夢とかやりたいことは、寝食を忘れて何時間も没頭できることだと。

じゃあそれを行った結果どうなるの?と考えた時に、やはり何かを生み出してこそ大義名分を語れるのではないかと。何時間も没頭して作り上げた作品、自分をとことん磨いて芸ができるようになる、他人や社会から認められる……。壁が高い。
またそれを得ることで、他人と違う輪郭のはっきりした私が生まれるような気もしていた。

中学生の頃、好きなアイドルやアーティストで盛り上がる友達を見て、羨ましかった記憶がある。好きなものを語る時、それはその人の名刺みたいで、信条のようで、代名詞のようで。だから私もこの曲いいなと思ったバンドを、すぐにアルバムを借りてきて一時期そのバンドを好きだと公言していた。結局はすぐ聞かなくなってしまったのだけど。(そもそも小学生の頃はアーティストのアルバムが出ることに疑問を抱くぐらい、曲だけを好きになるような子どもだったことを思い出した)

そんな私は高校生くらいの時に運命の出会いをした。社会人になった今でも、その人の生み出す曲が大好きでライブにも通い、アルバムに芸術性があることも知った。

これは大きな声で趣味だと言ってもいい。
でもここで思い出す。私はその人の音楽を聴いて、何時間も没頭して作業をすることはない。もちろん聴いているだけなので偉い人から賞をもらうことはない。いってしまえばただ美味しく消費をさせていただいている。

消費…そういえば趣味聞かれた時に「食べることです!」と答える人がいる。「寝ることです!」という人も。それを聞いた時は、なんだかずるいなぁとか思っていたけど、私も一緒なんだよな。自分で趣味のハードル高くして、他人と違う特別なものを、趣味とか夢とかに委ねていたけどそんなことしなくたって自分が満たされるものであれば他人とか形とか、関係ないよなと。
なんかちょっと気になるな、考えが似ているな、とか。簡単に惹かれてしまえば(詐欺にはご注意)、幸せなのかもしれない。

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