保健室登校...
今回は、私の高校生時代について書きます。
実はこのトピック私の中では結構重めなんですけど、こういう選択肢もあるんだな〜程度に見てくれると嬉しいです、笑
まず、”保健室登校”ってなんぞや??って思った方がいるかもしれないので、説明すると、文字の通り、保健室に登校することです。
普通だったら、教室に登校しますよね。保健室登校は教室ではなくて、保健室に登校します。
まあこれ聞いて”????”みたいな人がほとんどかなと思います笑
簡潔に私の経験をまとめると、教室に行くことができなくて、保健室にお世話になりまくっていたというお話です。
教室に行くことはできるんだけど、すぐに気分悪くなったり、パニックになったりして抜け出していました。何が原因か当時の自分はよくわかっていなかったです。というより、目を背けてたかなあ。
この話、本当はもっと丁寧に細かく書きたいのだけれど、そうすると多分修士論文くらいの量になりそうなので、今回は全体的な話をざっくりと!
高校一年生、クラスのみんながなぜか怖く感じてしまって、勉強にもついていけない自分の不甲斐なさで体調を崩すことが増えました。家庭の事情とかも重なってもう本当にあの頃の自分は自暴自棄になってグレてたなあと今更感じます笑
人に媚びることが苦手な私は、クラスで友達と呼べる人もいなくて、無理して友達作ろうともしてなかった(良いんだか悪いんだか笑)
学校に行くことが嫌すぎたけど、他に行く場所もなくとりあえず学校に行っては授業中に抜け出したり、寝たり、携帯触ってたりした。アルバイトをしていたので、お金には困ることはそんなになかった私は、だんだんと学外の外の世界に目を向け始めて遊び狂う日々に突入します。
学校っていう小さなコミュニティにいた私は、外には大きな大きな世界が広がってると知りました。
学校に行くことが本当に嫌だったし、勉強も大嫌いだったので、両親に学校を辞めたいと号泣しながら訴えました。
当時、体調が不安定だったこともあり、病院で検査することも多く、両親はとても心配していました(ありがとう)
「学校やめて、アメリカに行く!」って泣きじゃくりながらお願いしました笑
アメリカにおばあちゃんがいるので、おばあちゃんと暮らしながらあっちの学校に通う計画を勝手に立ててました、笑
まあ、両親はびっくりびっくり笑(それはそう)
16歳なりにたくさん考えて出した結論だったけど、両親と高校一年生が終わるまで頑張ってみるという約束をしました。
学校が嫌すぎて、高校一年生の文化祭は行かなかった笑
そんな感じで一年生終了。
高校二年生!学校で唯一気の合う子がいて、その子とまさかの同じクラス(一年生の時は違うクラス)
一年生の時病みすぎて先生たちが考慮してくれたのかな??笑
高校二年生はその子に救われまして、楽しい高校生活を送りました。
相変わらず、成績だけは本当に悪くて、赤点&補講パラダイスでした。
勉強には苦しいんだけど、友達に恵まれて2年生はあっという間に終了。
高校三年生、ここから私の闇生活再び、笑
まあ高校三年生も色々とあり、ほとんど保健室登校だったかな。
嫌な思い出すぎて記憶ないの笑
教室にいるのも結構しんどくて、保健室通いの毎日。
ひどい時は、朝学校行くけど、朝の会だけでて保健室よって、帰って、学校の近くのスーパーでアイス食べてた。
そのころもまた体調が不安定になってしまったの。都合よく体調悪くなりすぎでしょって思われても仕方ない、笑
まあそんな感じで、ほとんどの時間を保健室で過ごしていました。
教習の勉強も、大学入試の勉強も全部保健室でやってた笑(授業受けろ)
でも、本当に1つだけよかったことは、当時の担任の先生と保健室の先生が理解してくれたこと。もちろんずっと保健室にいる私に厳しい言葉をかけてくる人もいたんだけど、その2人だけはなんか味方に感じていた。
保健室の先生に関しては、永遠に居座らせてくれたことに感謝だし、嫌なことは掘ってこなかったのが一番の救いだった。話は聞いてくれるんだけど、全てがちょうどよかったんだよね笑 いつかの体育終わり、なんかすごく嫌なことがあったの。(嫌な記憶すぎて内容覚えてない)教室に戻らないでそのまま保健室に泣きながら直行してて、保健室に入った瞬間、泣いてる私のことみて、「ちょっとベッドに横になる?」って言ってくれたの。一言でも話したら号泣しそうだった私は、「うん」とだけうなずいて、ベッドで声を殺して大泣きした。
担任の先生は、成績も授業態度も悪い私のことを常に心配してくれた。ぶつぶつ言いながらも、私の話聞いてくれて親身になってくれた。授業サボりすぎな私を見かねてか、授業前に保健室にお迎え来てくれたり。成績悪すぎた私が、大学いく!って言った時も、呆れながらも一生懸命一緒に考えてくれた。私が緑のネイルしてた時、「あれ、爪にカビ生えてるよ!」って言われたのは一生忘れない笑
そんな大人たちや家族に助けられ、高一まで頑張るという親との約束をすっかり忘れて、高校を卒業しました。
本当は全部事細かく書きたいんですが、この時点ですでに2000字を超えている笑(結構凝縮した方)
トータル、私は高校生活の半分くらいを保健室で過ごしました。
当時は本当に本当に辛かった。周りは楽しそうだったから余計引け目を感じていました。
でも、保健室登校を通して学んだことはたーーーーーーーくさんあるの。だから今はあの時の自分が誇らしい。
人によっては、ただの甘えにしか聞こえないんだろうけど、甘えることができた自分偉い!!(甘えてたつもりはないけど笑)
自分がたくさん苦しい経験をして、泣いて悩んだから、人の痛みに寄り添えるように少しはなったんじゃないかと思ってます。
久しぶりに体調を崩して一日休んでいた私からは以上です!(多分夏バテ)
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