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濃度のお話2

次こそは濃度の違う集合の話をします。

最初、濃度って何?という話をした時に、濃度は「個数の拡張」のようなものだと話しました。
なら、個数が違う集合(もちろん個数を考えられるのは有限集合だけ)の濃度は違うのか、と思いますよね。これは実際に違います。
特に、個数が大きい方から小さい方の対応は、常にb)「異なる要素の対応先はいつも異なる」
を満たしません。証明は省きますが、これは有名な鳩ノ巣原理の言い換えとも言えます。
逆に、個数が小さい集合から大きい方への対応は、いつもc)「全ての行先の集合の要素は、なにかの対応先になっている」を満たしません。
(一般に、集合A, Bに対して、AからBに対して
bを満たすような対応が存在することと、BからAに対してcを満たすような対応が存在することは必要十分です)
こんな感じで、個数が違う集合の濃度は異なることがわかります。

今回は、自然数の集合Nと、実数の集合Rが、異なる濃度を持つことと、
一般に集合Aに対して、Aと、「Aの部分集合」全体の集合の間に1体1対応が存在しないことを示します。



その前に、これまでAとBの濃度が同じ、というAとBを入れ替えても意味が変わらないものの定義として、「AからBへ1体1対応が存在する」という、一方的で交換すると意味が変わってしまう事柄を使っていることに疑問を感じる人もいるかもしれないので、そこだけ片付けておきます。
答えから言うと、「AからBへの1体1対応が存在する」ことと「BからAへの1体1対応が存在する」ことは同値な命題です。

AからBへの1体1対応fが存在すれば、BからAへの対応として、fの逆の対応、つまり、Bの要素に対して、「それをfでの対応先とするAの要素」を対応先にすればいいわけです。
1体1対応ですから、Bの要素に対して、それを対応先にするAの要素は1つだけですし、しかも1つ必ず存在します。さらに、異なる要素に対してその対応先が違うのは明らかですね。(対応の定義の元が1体1対応だから)

ということで、AとBの濃度が等しいことの定義で、AからBへの1体1対応が存在する、といって問題ないんです。
それが存在するなら、BからAの1体1対応も存在するし、逆に存在しないなら、BからAのそれも存在しません。



ここから、自然数の集合Nと、実数の集合Rの濃度が異なることを示します。上で言ったように、NからRへの1体1対応が存在しないことを示せば十分です
·····が、カントールの対角線論法というものを使いたいので、まず、0以上1以下の実数の集合(いわゆる閉区間[0, 1]ですね。)と実数の集合Rの濃度が等しいことを示します。
その後でNと[0, 1]の濃度が異なることを示せば、NとRの濃度が異なることが言えますね。



濃度が等しいのは実数の=とは別物だから、Aの濃度=Bの濃度、Aの濃度≠Cの濃度でも、Cの濃度≠Bの濃度かはまだ分からないだろ!という鋭い方は、一般の集合A, B, Cについて、
Aの濃度=Bの濃度 かつ Bの濃度=Cの濃度 
ならば Aの濃度=Cの濃度
が成り立つ事を証明してみましょう(濃度のお話1の、数学的帰納法での証明の中で似たようなことしてるので、参考になるかも?)
それを示せば、その「対偶」を取れば、スッキリするはずです


まずは、Rと[0, 1]の濃度が等しいことを言いましょう。 上で言ったように、Rから[0. 1]への1体1対応(関数)があれば十分です。その前に、都合よく関数Tを

$$
T(x)\coloneqq \frac{1}{2} + \frac{tan^{-1}(x)}{\pi}
$$

と置いておきます。($${tan^{-1}(x)}$$は、tan(x)の逆関数)
Rから[0, 1]への対応として、xの対応先を、

(xが、$${T^n(1)}$$または$${T^n(0)}$$と表せる時)→x
(それ以外の時)T(x)

ただし、$${T^n(x)}$$は、T(T(T·····(T(x)))·····)と、xに対してTをn回作用させたものです。

としましょう。

これがb)異なる要素の対応先は異なることをまず示します。
T(x)は、異なる実数に対しては異なる値を返すので、Rの2つの異なる要素x, yが両方とも$${T^n(1)やT^n(0)}$$の形で書けない時、または両方ともそんな形でかける時は明らかに対応する値は異なります。
xが$${T^n(1)やT^n(0)}$$の形でかけて、yはそのような形で書けないとすると、xの対応先はxで、yの対応先は$${T(y)}$$ですね。 もし、$${T(y)=x}$$とすると、xは$${T^n(1)orT^n(0)}$$で表せて、、Tは異なる実数に対しては異なる実数を返すから、$${y=T^{n-1}(0)またはy=T^{n-1}(1)}$$となって仮定に矛盾します。だからy,xの対応先は異なります。

これで全ての場合についてbが成り立つことがわかりました。

次にc)[0. 1]の全ての要素はなにかの対応先になっている
を示します。
yを[0. 1]の要素とします。
(yが$${T^n(1)やT^n(0)}$$の形でかける時)
この時はyの対応先がyとなっているのでOkです

(そうならない時)
$${tan(πy -π/2)(=T^{-1}(y))}$$は、$${T^n(1)やT^n(0)}$$の形でかけない(背理法で示してみよう)から、これの対応先は、$${T(tan(πy -π/2))=y}$$

これでこの対応が1対1対応になっていることがわかりましたね。
よって、Rと[0. 1]の濃度は等しいことがわかりました。

(ちなみに、こんなややこしそうな対応の作り方にも関係してるのですが、AからBに、bを満たす対応があって、BからAにもbを満たす対応があったら、AとBの間に1体1対応が存在する、というベルンシュタインの定理があります。)


ということで、次はNと [0. 1]の濃度が異なることを示しましょう。
先程とおなじく、Nから[0. 1]への1体1対応が存在しないことを示せばOKです。
b)を満たすな対応(写像)は普通に存在しますが、c)を満たす対応(写像)は存在しません。それをカントールの対角線論法で示します。
ここから、Nから[0, 1]への対応を好きにとって、その名前をfとします。そして、Nの要素nのfによる対応先をf(n)と書くことにします。(関数に近づいてきましたね)

今、対応fを自由に取ってきました。今から示したいのは、このfによる対応先になっていない[0. 1]の要素の存在です。

1から順に、対応先を並べていきます。

$$
f(1)=0.a_1(1) a_1(2) a_1(3)·····\\
f(2)=0. a_2(1) a_2(2) a_2(3)·····\\
・\\
・\\
f(n)=0. a_n(1) a_n(2) a_n(3)·····\\
・\\
・\\

$$


というふうな具合です。(少しわかりにくいですね。)
1などは、0.9999999·····として書くことにすると、全部この形でかけます。(基本的に途中で止まるやつも同じ方法で無限小数で表すようにします。)

ここで、数列$${b_m}$$を、$${a_m(m)}$$が偶数なら$${b_m}$$は1
$${a_m(m)}$$が奇数なら$${b_mは2}$$というふうにします。
そして、[0.1]内の実数bを、
$${b=0.b_1 b_2 b_3·····}$$とすると、bは、f(1)、f(2)、·····の全てと異なる実数となります。
(f(n)とbは少数第n番目の数が違う)
つまり、bには、bが対応先となるNの要素がないことになります。
fは自由に取ってきた対応(写像)ですから、どんな対応をとっても、なにかの対応先にならない[0.1]の要素がなにか存在することになります。
これで、Nから[0, 1]への1体1対応は存在しないことがわかりました。つまり、Nと[0.1]の濃度が異なることがわかりました。
これで、NとRの濃度は異なることがわかりました。一般に、Rの濃度は、Nの濃度よりも「大きい」と言われます。



ここからは、一般の集合に対して、Aと、Aの部分集合全体の集合の濃度が異なることについて話します。
まず、Aの部分集合というのは、言葉通りAの一部分であるような集合のことですね。そのような集合を全部集めてきたのがAの部分集合全体の集合です。これをβ(A)と書くことにしましょう。

実はβ(A)の濃度は、Aの濃度よりも常に大きくなります。
つまり、さっきと同じように、Aからβ(A)への対応は、全てc)を満たさない、ということになります。
それを示しましょう。
Aからβ(A)への対応を自由にとって、それをFとしましょう。
この時、自身が、自身の対応先の集合に含まれていないようなAの要素を全て集めてきた集合を考えます。それをBと名付けておきましょう。
($${B=\{x\in A, |x\notin F(x) \}}$$)これは、Aの部分集合集合ですから、この集合Bはβ(A)の要素です。このBが、Fによる対応先になっていないことを示します。
aをAの要素とします。
aが、Aの部分集合であるBに含まれている時と含まれていない時に場合分けします。

もし、aがBに含まれているなら、aはF(a)の要素にはなっていません。つまり、F(a)とBは、集合として異なるものになります。(Bにはaが入っているのにF(a)には入っていないから)
つまりF(a)≠Bです。
もし、aがBの要素でないなら、F(a)はaを含みます。これも同じ理由でF(a)≠Bが分かります。

ということで、どんな対応Fに対しても、その対応先とならないようなβ(A)の要素が存在することがわかりましたから、Aとβ(A)の濃度は異なることがわかりましたね。



これに関係して、「集合全体の集合」を考えることはできない、ということが分かります。
つまりは大きすぎる集合は考えてはいけないということですね。
もし、集合全体の集合というものを考えたとしましょう。それをSとします。
Sの部分集合全体の集合を考えて、それをβ(S)とします。 
Sからβ(S)への対応として、Sの要素sに対して、sのみを要素に持つ集合を対応先としてとると、これはb)を満たします。
さらに、β(S)からSの対応として、β(S)の要素Dに対して、Dも集合であるから、DはSの要素。
Dをそのまま対応先にすれば、これもb)を満たします。
上の方で、ベルンシュタインの定理というものを紹介しました。その定理から、Sとβ(S)の濃度が等しい、ということがわかってしまいます。これは、先程示したものと矛盾しますね。
これ以外の矛盾もありますが、とにかく集合全体の集合とか言うものは考えてはいけない、ということになります。



今回はこれで終わります。読んでくださった方ありがとうございました。

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