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ミュージカル作品紹介vol.23/屋根の上のヴァイオリン弾き

…いや、その…色々と分かってはいるんですけど、また観に行ってしまいました…

屋根の上のヴァイオリン弾き』を観てきたので、せっかくならその感想をば。

…と、その前にひとつ言いたいことがあって。

私は2月23日、祝日の昼に観に行ったのだけれど、劇場、マジで危機だと思った。まずは1階席、空席がそこそこにあった。私の周りだけで言えば前後左右席が空いてる感じ。そして中2階と2階。1階の私の席から見る限り誰もいなかった。

…そんなことある?だって祝日だよ?祝日の昼間にこんなに観客がいないなんて…。上限50%の方針出てるけど、50%すら埋まってない。曲を歌い終わった後の拍手の少なさ、笑い声の小ささ、カーテンコールの時に見える客席。役者さん達の気持ちを思うと本当に心苦しい。

もちろんその他にもコロナの影響を強く受けている業種は沢山あると思う。だから演劇界だけのことに言及するのは良くないかもしれないけど、今日の状況は流石にこのままだと芸術文化全般が本当に廃れていってしまうんじゃないかっていう危機感を強めた。

この状況下で劇場に行くことを躊躇う人が居ることも勿論理解できる。だから、もし少しでも「再開したら」とか「応援はしたいけど」とか思っているようだったら、各種配信やらグッズを買ってほしい。大手の東宝を以ってしてこれなんだから、小劇場界隈はもっと厳しいはず。役者の数もスタッフの数も劇場の利用も減らすのは難しいし、固定費が削れないの本当にしんどいよな。。

感染防止には最大限配慮しつつ、出来る応援をしていこうと改めて決意したのでした。

さて、本題の『屋根の上のヴァイオリン弾き』。1964年にブロードウェイで初演。日本ではその3年後に帝国劇場で初演。何度も再演を繰り返し、2021年2月、日生劇場にて上演。

ストーリーは以下のとおり。

1905年―帝政ロシアの時代、アナテフカという寒村で酪農業を営むお人好しで働き者のテヴィエ(市村正親)は、信心深くて、楽天家で、25年連れ添っている妻のゴールデ(鳳 蘭)には頭が上がらないが、5人の娘たちを可愛がり、貧しいながらも幸せな日々を送っていた。
長女のツァイテル(凰稀かなめ)、次女のホーデル(唯月ふうか)、三女のチャヴァ(屋比久知奈)、年頃の娘たちの今の最大の関心事は、自分たちの結婚について。今日もイエンテ(荒井洸子)が、ツァイテルに縁談を持ってきている。娘たちは気もそぞろ。娘たちにとっても、姉さんが早く結婚を決めてくれないと、自分たちに順番が回ってこないからだ。だが一方、ユダヤの厳格な戒律と“しきたり”に倣い、両親の祝福が無ければ結婚は許されない。
そんなある日、金持ちで肉屋のラザール(ブラザートム)からツァイテルを後妻に迎えたいと申し出を受けたテヴィエは、酔った勢いでついつい結婚に同意してしまう。長女の結婚相手が見つかったことで妻のゴールデも大いに喜んだが、当のツァイテル本人には仕立屋のモーテル(上口耕平)という相思相愛の存在があった。ツァイテルとモーテルの熱意に心を動かされたテヴィエは、ついに若い二人の結婚に同意する。が、結婚の許しを同時に二つも出してしまったテヴィエ、ゴールデやラザールに何と切り出せば良いのやら…。
さらには、次女ホーデルは革命を志す学生のパーチック(植原卓也)を追ってシベリアへ旅立ち、三女のチャヴァはロシア人学生のフョートカ(神田恭兵)と結婚したいと言い出し駆け落ち同然で家を飛び出す始末。そしてテヴィエ一家にも、革命の足音と共に、故郷を追われる日が刻々と迫っていたのだ―。
(公式HPより引用 https://www.tohostage.com/yane/story.html)

約50年前から上演されているいわば古典ミュージカルともいえる作品。どうしてそんなに再演が続くのか。私なりにまとめてみようと思う。

家族の絆、そして宗教

この作品はテヴィエ一家を中心に繰り広げられる。夫のテヴィエと妻のゴールデ、そして5人の娘たち。ストーリーにも記載があるが、娘たちの結婚・恋愛がこの話の軸となって描かれていく。

開演してすぐ、キャストほぼ全員が輪になって踊る。「しきたり!しきたり!」と何度も繰り返され、正直初見では何が行われているのか、何を表現しているのか理解が追い付かない部分があった。

しかし物語が進むにつれて、彼らがユダヤ人であること・厳しい戒律としきたりを守って生活を営んでいることが表現されていく。冒頭で繰り広げられるシーンは朗らかな世界観だと勝手に思っていたけれど、見方によっては結構狂信的な様子を表したものだったのかもしれない。

まずは優しい長女ツァイテルの結婚について。テヴィエ一家は決して裕福でないため、お金持ちの親族が出来ると良いという価値観がある。そして、村にはイエンテが仲人として村の娘たちに見合った夫を紹介するという習慣があり、そこに則るのがいわば「しきたり」として存在している。

そんな中、金持ちの肉屋のラザールがツァイテルとの結婚を望み、これはテヴィエとゴールデにとってもうこれ以上は無い幸運だった。が、ツァイテルはモーテルという貧乏な仕立て屋と恋に落ちており、二人は結婚のために必要な「祝福」をテヴィエに求める。

ここで、まずひとつ目の葛藤「愛か、金か」が描かれる。

次に、しっかり者の次女のホーデルについて。この村は男性と女性が踊ることは禁止されていたり、女性は勉強する必要は無いという価値観があったりと、現代と比べるとかなり偏りのある文化が根付いている。

そんな中、女性の勉強を必要なことと考え、ひょんなことからテヴィエ一家の娘たちに勉強を教えることになったのは革命を志す学生パーチック。しっかり者かつ先進的な考えを持つホーデルは自然とパーチックに惹かれ、パーチックもまたそんなホーデルに惹かれていく。

しかし革命を志すゆえにパーチックはロシアに発つことを決める。ホーデルは付いていくべきなのか否か。遠距離恋愛はこの村では稀なもの(事実、作中では彼らの他に遠距離恋愛の様子が描かれることはない)。

ふたつ目の葛藤「夫婦の考える理想の家庭」はどんな思想を持っていようと実現できるものなのか?

そして本好きな三女のチャヴァ。彼女はロシア人学生のフョートカと恋に落ちる。しかしユダヤ人には「ユダヤ教信者以外と結婚することは許されない」というルールがある。

抑圧する側とされる側の許されぬ恋とはいえ惹かれ合うチャヴァ達は駆け落ち同然で出て行く。そんなチャヴァのことを、後にテヴィエは「チャヴァは死んだ」と言う。勿論彼女は生きている。

ここで三つ目の葛藤「宗教観の違いは乗り越えられるのか」。

この三つの葛藤がテヴィエの芝居で表現されていく。でもこの三つの葛藤は、実は現代にも通ずる普遍的なものなんじゃないかって思わせられる。

結婚をする三人の娘たちは勿論、その「親」であるテヴィエとゴールデがこの葛藤に直面した時、どのように考えてどのように決断をするのか。家族の絆は守られるのか。そして最後はどんなクライマックスを迎えるのか。

…ぜひ劇場で。

私は普段色々な作品(映画・舞台問わず)を見るときに「オチ」を考えながら見てしまう癖がある。だけどこの作品はオチが最後まで読めなかった。

歌が良い!とかダンスが楽しい!とか舞台装置が派手!とかそういった特徴というよりは、純粋に「物語」として楽しむのが適切な作品なのかな、と思った。

…以上です。3月1日まで日生劇場で上演し、その後は愛知→埼玉と巡るらしいので、興味あったら是非見てみてください。

今日はJリーグ開幕戦、家長の2得点で無事にフロンターレ勝利して今シーズン開始!幸先いいぞ!

3月後半の試合には行けますように。。

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