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「切り絵で世界旅」コーラルリーフ号(グレートバリアリーフ/オーストラリア)2泊3日のダイビングツアー。だが初日に挫折(泣)

 1990年、初めてオーストラリアに行くことになった。行き先はケアンズ。コアラとカンガルーしかいない国で何をすればいいんだろう? 退屈するだろうな。盛り上がらならない気分のまま、オーストラリアのことを調べていると、ケアンズの沖には世界最大の珊瑚礁地帯グレート・バリアリーフがあるではないか。スキューバ・ダイビングには絶好の場所で、色とりどりの珊瑚類やナポレオン・フィッシュなどを堪能できるそうだそうだ。
 そこで閃いた。スキューバの免許を取得してグレートバリアリーフでダイビングしよう。さっそく国内でNAUIの免許を所得してケアンズへ飛び立った。

コーラルリーフ号の船先部分

 現地で2泊3日のダイビングツアーに申し込み、クルーズ船コーラルリーフ号に乗り込んだ。船はどんどん沖へ進むにつれて海の青さが目に沁みるほど深くなった。1本目。見事なテーブル珊瑚が眼前に広がり、1mの大きなシャコ貝やナポレオフィッシュにもお目にかかり、ツバメウオの群れにも何度も出会う。

船尾部分。ダイビングのためのタンクが並ぶ


 その後も2本目、3本目のダイビングを楽しみ、そして問題の4本目のことだ。水深7m付近で水圧調整のための耳抜きができない。これができないと鼓膜が痛くなり、深いところに潜れない。何度やってもできないので、腹立ちまぎれに指で耳の下を押したところ、プシューという音がはっきりと聞こえた。痛みはなくなったがどうもやばい。とりあえず水中記念写真のために水深16mの海底まで降りてはいチーズ。だが先ほどから平衡感覚が取りにくい。どちらが海面なのかもわからなくなる。確実にやばい。鼓膜に穴が開き、海水が入り込んだため、三半規管がいかれたのだろう。一緒に潜っていたバディに合図をして、海面へ向けてキックをし、やっとの思いで浮上して船に上った。
 私のダイビングはこれで終わり。あとは、他のダイバーたちが楽しんでいる姿を横目で眺めながら、ビールを飲み続けていた。

ブルーライという名の罰ゲームの様子

 さて、乗っていたコーラルリーフ号のことである。フローティング・ホテルと名付けられたクルーズ船は、洋画を見ているような雰囲気を漂わせていた。
 中でも目を見張ったのが、壁面の写真だ。船内パーティーのスナップなのだが、どう見ても乱交パーティに近い感じで、金髪美女の裸の写真まで何枚も混じっている。オーストラリア人は、自分達をオージー(Aussie)を呼ぶらしいが、オージーという音は(orgy)、つまり乱行パーティも意味する。
 最終日、ブルーライン違反者(船内ルールを破ったものは名前を書く)も含めて「全員水着で集合」の合図。 「このブルーのデッキの外側を歩くように」。ん? それでブルーラインと言うわけね。納得。でもオージーの方はどうしてくれるのだ?
<旅行日/1990.06.30>

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