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いつまでもあると思うなサービスと労働力

先日の別府旅行で、わたしは砂風呂に入った。
鉄輪のひょうたん温泉で約2000円ほどの料金で、普通の入浴付きのもの。

砂風呂に入って、汗を流し、ついでにセルライトも流したいという思惑はすぐに消え去った。
砂風呂は、自分で掘って自分で砂をかけるようなシステムだったので、砂をうまく自分にかけられず、ほとんど温まらなくてすぐに出た。

まあ、2000円で人件費をかけて埋めてもらうのは、無理な話なのかもしれない。

ところが後日、訪れた竹瓦温泉でも砂風呂があった。
こちらは1500円で砂をかけてもらえるサービス付きだった。

2時間待ちの大人気で、帰りの船の時間に間に合わなさそうなので、断念した。

大人数を、一気に埋めていけるなら1500円でもなんとか採算も合うのかもしれない。受ける側もお得感満載である。

だから人が集まってくる。
けれど、このサービスいつまで受けられるのだろうか。

働く人がどこまで続けてくれるかと、他人ごとながら心配してしまう。
そして、砂風呂に入れるのは、今のうちだけかもしれないから受けておいた方がいいと思った、それと同時に、それほど受けたいと思っていない自分にも気がついた。

いまサービスを享受したい人に対し、供給量が絶対的に不足しているように思われる。旅館や飲食店、その他のサービス業での人不足は深刻だ。

砂風呂だって、近い将来、働きたいという人はいなくなる可能性もある。
1500円で砂をかけてやろうという店がいなくなり、1万円なら考えてもいいというなら、このビジネスモデルは成り立たないだろう。

こうやって、安い人力のレジャーは減っていく。
必要とされ続けるサービスなのであればロボットに代替えされ残っていくかもしれない。

考えてみると、そこまで必要ではないサービスが、身の回りに多くある。
あれも、これも、ロボ化するかな?それとも消滅?
もしくは、やりたい側の需要があるから、人が細々とやっていくのかな?



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