見出し画像

*注)林浩治「在日朝鮮人作家列伝 02 金泰生」

林浩治「在日朝鮮人作家列伝 02 金泰生」の注*1)*14)です。(編集部筆+著者〔林さん〕添削・加筆)



*1)「くじゃく亭通信」

実業家、高淳日が、渋谷に開店した画廊「ピーコック」(1968年)とレストラン「くじゃく亭」(1970年)を発信地とする、日本と朝鮮半島、在日をつなぐ文化紙。のちに金泰生が受賞した「青丘文化賞」も高淳日と実業人仲間がはじめたもの。
三一書房から『始作折半 合本くじゃく亭通信・青丘通信』という合本が出ています。


*2)『文藝首都』

戦前から戦後1970年まで発行され、多くの作家を文壇に送った同人誌。保高徳蔵・みさ子夫妻が私費をなげうって運営し、芝木好子・北杜夫・なだいなだ・佐藤愛子・中上健次らを世に送り出しました。
元は、プロレタリア文学興隆期に雑誌『改造』の懸賞小説出身新人作家の作品発表の場として作家の保高徳蔵が創刊した『文学クオタリイ』の月報的位置づけで発行されたが、季刊誌は2輯しか出せなかったそうです。
「01 金達寿」の「■金達寿の軌跡」の第2段落にも登場します。

*3)新日本文学会

戦後まもなくに、戦前のプロレタリア文学作家たちを中心に結成された作家団体。雑誌『新日本文学』を発行。
当初は共産党員の会員が多かったため共産党のイメージが強かったが、60年安保闘争後には共産党とは完全に決別。
2005年まで文学学校や雑誌発行などの活動が続いていました。

*4)日本による植民地収奪

日本政府の植民地統治機関である朝鮮総督府は、「土地調査事業」等を通じて朝鮮の農民から土地所有権や土地占有権を奪った。働く場を失って流民となった人びとの一部は、生活のためしかたなく、満州や日本に移動したのです。
「日本帝国は朝鮮の近代化を手伝った」なんて言い方がよくされますが、この実態を忘れてはならないと思います。

*5)猪飼野

現在の大阪市東成区・生野区にまたがる、旧平野川左岸の河川敷一帯の地域。1970年代に消えた地名。多くの〈在日〉文学に描かれます。

*6)梁石日

作家。映画「月はどっちに出ている」(原作『タクシードライバー日記』)「血と骨」「夜を賭けて」の原作者として有名。

*7)谷口雅春『生命の実相』

谷口雅春は、昭和の初め、神の啓示を受けて新宗教「生長の家」を創立。その聖典『生命の実相』は、戦前の、貧困と希望の見えない暮らしにあえぐ若者たちに迎えられ、大ベストセラーになりました。

*8)西田天香

明治・大正・昭和を生きた、実業家・政治家・社会活動家。座禅と托鉢による宗教生活の場、「一燈園」をひらく。多くの文化人も、西田天香の活動・思想心を寄せました。戦前のベストセラー倉田百三『出家とその弟子』の親鸞のモデルといわれています。

*9)朝鮮人社

飯沼二郎(農学者・市民運動家)と鶴見俊輔(哲学者・大衆文化研究家・市民運動家)が、自宅を朝鮮人社として、雑誌「朝鮮人」(1969~91年、全部で27号)を発行。
在日朝鮮人のさまざまな論者を迎えた座談会を開き、その内容を掲載したそうです。(https://www.groupsure.net/post_item.php?type=books&page=170512Shigoto4 サイトから)
また、刊行の目的は、朝鮮人を強制送還するための施設である大村収容所を廃止することだったといいます。
グループsureから、姜在彦・小野誠之・関谷滋・黒川創著
『鶴見俊輔さんの仕事④ 雑誌「朝鮮人」と、その周辺』
という本がでていますね。

*10)左右の激しい対立

日本帝国から解放された朝鮮半島は、どんな国を作るかをめぐって意見を戦わせる、という以前に、ソ連とアメリカ、2大国のなわばり争いに巻き込まれ、「べつに何主義でもない」人たちも「どっちか」のレッテルを貼らて、もうほとんどわけのわからない殺し合いに発展していました。日本帝国の支配下で拷問とか暴力のふるい方をすり込まれた暴力団まがいの人たちが「実力」をふるい、輝かしい独立を迎えるはずだった歴史を血みどろに塗ってしまいます。

*11)石塚友二

1906(明治39)年~1986(昭和61)年。俳人、小説家(昭和17年に芥川賞候補に)。俳誌『鶴』を主催。『文芸首都』の前身だった『文学クオタリイ』の同人だった。

*12)金石範(キム・ソクポム)

在日朝鮮人作家。全7巻の『火山島』など。1925年生まれ。96歳の今も現役。すごい。
金泰生『私の人間地図』に、軍事教練をサボって生野警察署に連行されたとき、目の前の少年がすさまじい暴行を受けながら、一言も声を漏らさないのを見て、「ぼく」が感動する場面が出てきます。この少年と20年後に再会するのですが、それが金石範だったそうです。
次回の03回、林浩治「在日作家列伝」は金石範を取り上げます。お楽しみに!


*13)済州島4・3事件

せっかく日本帝国の植民地から解放された朝鮮半島なのに、こんどはソ連とアメリカの2大国が、国を勝手に半分こしてしまいます。
南半分は、アメリカの傀儡、李承晩(イ・スンマン)大統領が政権(資本主義)をたて、北半分では、ソ連の後ろ盾をえたリーダー金日成(キム・イルソン)による「抗日パルチザン」(共産主義)が勢力を張っていました。
「どっち主義かはわからないけど、とにかく自分たちの国を取り戻したい」という朝鮮の人たちの素朴な願いは、左(共産主義)VS右(アメリカの傀儡・反共産主義)の血みどろの利権争いにまきこまれて行きます。
 そんななか……
 1948年4月3日、朝鮮半島の南に浮かぶ済州島で、5月10日に予定された南朝鮮単独選挙に反対した島民による蜂起が起こります。選挙は阻止されましたが、(当時、朝鮮半島の南半分を押さえていた米軍によって)国防警備隊やテロ集団が大量に送り込まれ、多くの虐殺を含む徹底的な島民弾圧が始まりました。
特に、北朝鮮の農地改革で土地を奪われて共産主義に恨みを持つ青年たちの「白色テロ」は残忍だったといいます。
島民の5分の1が無差別に惨殺されたといいます。
こんなとんでもない、恐ろしい事件でありながら、当時、世界に知られることはなく、未だに真相、事件の全容がわかっていないのだそうです。

▲〔前篇〕、ここまで

*14)井野川潔・早船ちよ

井野川潔(明治42〔1909〕~平成7〔1995年〕)は埼玉県出身、教師を退職して、生活綴り方運動にかかわり、弾圧を受ける。戦後は活綴方研究会を創設、教育運動史研究に貢献。
早船ちよ(大正3〔1914〕~平成17〔2005〕年)は、岐阜高山出身。製糸女工として働き、小説家となる。吉永小百合主演で映画化された、埼玉県川口市を舞台とする「キューポラのある街」の原作者として有名。
二人は昭和8(1934)年、結婚。戦後はともに児童文化運動を牽引する。


*15)鄭敬謨(チョン・ギョンモ)

日本へ亡命してきた評論家。南北朝鮮の統一運動家。理論を言うだけではなく、歴史の表舞台で闘った人でした。1989年には北朝鮮へ行って、韓国の統一運動家、文益煥牧師と金日成との会談に同席し、共同声明を発表しています。
 1924年京城(ソウル)生まれ~今年2021年の2月に96歳で亡くなりました。戦前、日本の慶応大学医学部で学び、戦後、アメリカの大学で学び在米韓国大使のすすめでアメリカ政府の職員となり、朝鮮戦争の停戦に立ち会います。
アメリカ政府の人だったのですが、朝鮮戦争はアメリカによる朝鮮半島の侵略だと考え、「韓国」へもどると、韓国の朴正熙大統領の独裁政権の下で民主化と南北統一のために闘って弾圧され、1970年、日本へ亡命したのでした。
日本語でたくさん本を書いています。

林浩治さんも、ブログに書いておられます
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2021/03/index.html


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?