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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その8)

壺井栄をナメるなよ !(その8) 栗林佐知


(その7)からつづき

■ 「草いきれ」

 先ほど、「妻の座」についてたくさんの論評がでたのが、“少し後のことだ”と言ったが、この“少し後”のことについて話そう。
 壺井栄の「妻の座」の連載終了・出版は、1949年だが、その「論争」が起こったのは、1956年の後半~57年のはじめのことだった。
 以下、順を追う。

 『妻の座』刊行から2~3年の間、栄は更年期障害もあって体調がすぐれず、文壇から少し遠ざかっていた。だが1952年頃になると復帰をとげ、たちまち忙しくなっだ。
 1952年、キリスト教関係の雑誌「ニュー・エイジ」に「二十四の瞳」を連載。年末には全面改稿して単行本を出版(光文社)した。これがよく読まれ、さらには木下恵介のメガホン、高峰秀子の主演で映画化され、大ヒット(キネマ旬報の人気投票で「七人の侍」を抜いて第1位に)する。壺井栄は、押しも押されもせぬ国民的作家となる。

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 そのさなか、1953年、栄は「岸うつ波」という作品を「婦人公論」に連載。これが映画「二十四の瞳」ヒットと同じ年、1954年に単行本になる。
 その内容は、「進歩的な作家」の何回めかの妻となった女性が、結核を患って離婚されるという物語で、この悲劇を通して女性のおかれた理不尽な立場を問うたものだ。
 ヒロインを追い出した夫は「永井」という名で登場するが、栄は、徳永直の再々々婚相手の女性から手紙をもらい、彼女をモデルに「岸うつ波」を描いたのだ。
 これは、作者自身、「力を尽くせなかった」とあとがきに書いているとおり、作品としては残念すぎる出来だ。
 冷静になったぶん、怒りが悪意に変質してしまっているし、小説ではなく図式を見せられているかのようだ。

 この「岸うつ波」に、徳永の鬱憤は爆発したのかもしれない。
 押しも押されもせぬベストセラー作家となった壺井栄にくらべ、その後も再婚離婚をくり返した徳永直の生活は落ち着かず、まったくふるわない。
 2年後の1956年夏、徳永は「新潮」誌上に「草いきれ」という小説を発表し、これが年内に出版される(現代社)。

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 この「草いきれ」、なんと、栄の「妻の座」の登場人物の名をそのまま使い、4人の子を抱えた50やもめ「野村」の困窮、「閑子」の不美人ぶり、逆上して押しかけてきた大女「峯(ミネ)」による「野村」への、殴る蹴るの暴行をおぞましく描いた。

(その9)へつづく(また来週~)→

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