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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その13)

※↑ 季刊『人間として』筑摩書房刊1970年創刊



(その12)からのつづきからのつづき
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高史明コサミョン──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その13)


14)夜がときの歩みを暗くするとき


 金天三が小説を書こうとしたのは罪障感のためだ。
 天三は罪のない同志を査問した。彼の潔白を感じながら党中央の決定にしがみつこうとしたのだ。そのあげく、良心に反してまで守ろうとした党の決定が廃棄され、朝鮮人だという理由で党から排除された。

 1970年3月、雑誌『人間として』創刊号に、金天三はペンネーム高史明で最初の小説「夜がときの歩みを暗くするとき」の連載第1回を掲載した。小説を書き始めてから10年の歳月が過ぎていた。
この小説は、同誌に4回に渡って掲載され、71年6月には筑摩書房から同名で出版された。

 1950年代初期、分裂共産党の時代から六全協の前まで、高史明が共産党員として苦しんだ時代を描いた。
主人公の境道夫は夫のいる泉子と恋愛関係になり泉子は妊娠する。
境は裏切り者、スパイのレッテルを貼られて苦悩する。

 重厚な文体で、党の官僚主義的体質の告発、党員の生、女性の自立、在日朝鮮人の問題意識はどうあるべきか、などの問題を内包したまま不器用に表現された。戦後版『党生活者』と呼んでも過言ではない。
 この小説では重要な登場人物として朝鮮人が複数出てくるとは言え、主人公の境は広島出身の被爆者で日本人だ。
その点を金時鐘キムシジョンに批判され怒鳴りあいになった。

 朝鮮語の分からない高史明は、朝鮮人として生きてきた自分を、日本語で「日本人の目」で見る存在構造を意識していた。
高史明の意識は日本帝国主義に支配された朝鮮人ではなく、天皇を崇拝した日本人という面が大きかった。
日本語は日本人のもので、自分は「半日本人(パンチョッパリ)」という分裂意識が高史明をさいなんだ。
天皇を崇拝した右翼少年だったとしても朝鮮語のできた金時鐘李恢成とは違った。
自分とは何者かという問いが、高史明を文学へ導いた。

 しかし書くことで社会から在日朝鮮人作家として見られるようになり、1971年12月には、ライフル銃立て籠もり事件の金嬉老事件裁判弁護側証人として証言するといったことにも関わるようになった。

 ところで高史明の作品でフィクション性の高い小説らしい小説は『夜がときの歩みを暗くするとき』と、短篇2篇、「弥勒菩薩」(『人間として』7号 1971年9月)と「邂逅」(『季刊三千里』3号 1975年8月)くらいだ。

(その14)へつづく

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