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『男はつらいよ』ポスター&プレスリリース制作秘話「決まった形の中に新しさを!! 宣伝(ポスター)の挑戦とは?」

「愛してる」なんて カンチューハイ2本で言えるなら こんなに苦労しねってことよ。
これは、1988年に公開された40作「寅次郎サラダ記念日」のポスターのキャッチコピー。当時ベストセラーとなった俵万智さんの『サラダ記念日』の短歌が登場する作品で、三田佳子さんがマドンナを務めています。 

この作品の宣伝を当時手掛けたのが、宣伝プロデューサーの幸田順平さん。他にも、数多くのシリーズ作品に携わった名物宣伝マンです。

50周年を記念して発売される復刻“寅んく”4Kデジタル修復版ブルーレイ全巻ボックスには、特典として全49作の「レプリカポスター」と「公開当時のプレスシート縮刷版」が封入されています。そこで、これらのポスターやプレスシートがどのように制作されたのか、当時のエピソードを交えてお話しを伺いました!

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『男はつらいよ』の作品づくりは、
ポスターを考えるところから始まった

——男はつらいよ50周年記念 復刻“寅んく”4Kデジタル修復版ブルーレイ全巻ボックスには、50周年記念ピンバッジセットなど、たくさんの特典が封入されていますが、その中に全49作の「レプリカポスター」と「公開当時のプレスシート縮刷版」も含まれています。幸田さんは、『男はつらいよ』の宣伝を担当されていたんですよね。シリーズのどの作品から携わられているのですか?

幸田:伊藤蘭さんがマドンナを演じた26作「寅次郎かもめ歌」からですね。

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——26作のプレスシートに「宣伝プロデューサー補」として、幸田さんのお名前が入っています!

幸田:本当ですね。後半のシリーズになると、宣伝担当の名前は表記しなかったのですが、この頃は載っていましたね。

——7〜31作までは、プレスシートに宣伝を担当された方のお名前も載っていますが、コピーやデザインを担当された方のお名前が載っているものも中にはあります。

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幸田:ポスター、チラシなど宣伝に使うもののデザインは外部のデザイナーにお願いすることもありましたが、基本は松竹の宣伝部内で制作していました。

——宣伝部でデザインまで手がけていたんですか!?

幸田:そうです。私が担当した当時は、キャッチコピーも宣伝担当が考えていました。あと、プレスシートにも載っている“あらすじ”や“解説”は、宣伝を担当する者の仕事でしたね。私は40作「寅次郎サラダ記念日」から9本、『男はつらいよ』の宣伝責任者を務めさせて頂きました。

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——宣伝の責任者とは、どのようなお仕事なのでしょうか?

幸田:予算決めから、デザイナーのキャスティング、プロモーションの方法、監督や社内への説明、出演者の方々からの注文・相談…つまり、宣伝にまつわるありとあらゆることをやる仕事です(笑)。『男はつらいよ』は、とにかくスケジュールに追われて、宣伝に関わる様々なものを制作していったという印象がありますね。1989年までは年間2本つくられていましたから。

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——『男はつらいよ』は1969年に第1作2作と公開されてから、1970年・1971年は年3本、それ以降は42作目まで、毎年2本という脅威のペースで公開されていました。幸田さんが携わられた27作のプレスには、「七月下旬完成、八月八日(土)から全国松竹系劇場で一斉公開となります。」とあります…。

幸田:そういうスケジュールでしたね。『男はつらいよ』は夏と年末年始に公開でしたから、月刊雑誌などに広告を載せようとすると、だいたいその3ヶ月前ぐらいには入稿していないといけないのです。でも、その時期にはまだ映画の内容どころかキャストも何も決まってない。でも、入稿しなければならない…といった具合でした(笑)。

——何も決まっていない状態で、作品のポスターやチラシを考えることもあったんですか!

幸田:例えば、ポスターだと公開までに「スピードポスター(B2サイズの縦半分)」→「イメージポスター(B1サイズ)」→「本ポスター(B2サイズ)」という3つの種類を制作します。

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左から:40作 スピードポスター / 40作 イメージポスター / 40作 本ポスター(後で差し替え)

——本ポスターというのが、今回特典として封入されているものですね。

幸田:本ポスターがもっとも作品の内容を表しているものになります。作品によっては、公開の1ヶ月前近く、最短では1週間前に劇場に届くこともありました。だから、貼り出されてすぐに公開となっていたわけです(笑)。そして、その前に貼り出されたり配布されたりするのが「スピードポスター」「イメージポスター」になります。これらは内容が固まる前につくられる、イメージを伝えるものなんですよ。これが、そうですね。

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※左から:42作 スピードポスター / 42作 イメージポスター

——寅さんが眉毛だけで表現されていますね! これらは映画の内容が決まる前につくられているんですか!?

幸田 そうです。脚本を書いている際中の山田監督にご相談しに行き、まだ何も固まってない中から、まず副題だけ決めてもらうということもありました。

——そう思って見ると31作「旅と女と寅次郎」39作「寅次郎物語」などは、どの作品にも当てはまるタイトルでもありますね。でも、公開された今となってはそれぞれの作品名として存在感があるので不思議です。

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幸田:だから、どのポスターもプレスシートもスケジュールが大変な中、生み出されたものたちなんです。40作の本ポスターは、山田監督が帰宅する電車の中でポスター案を見て頂き、決まったことを覚えています。大船の撮影所から乗った横須賀線ですね。

——このポスターですか!

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——40作「寅次郎サラダ記念日」は、1987年に発売され、その年のベストセラー1位になった俵万智さんの歌集『サラダ記念日』に由来した作品ですね。マドンナの三田佳子さん演じる真知子の姪・由紀子(三田寛子)は国文学を専攻しており、短歌を研究しているという設定でした。その由紀子が詠んだとして『サラダ記念日』の短歌がエピソードの随所に登場します。キャッチコピーもそれにちなんだものになっていますね。

幸田:このキャッチコピーは私が考えたんですが、読んでおわかりのように、俵万智さんの短歌から文字ったものですね(笑)。

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【「愛してる」なんて カンチューハイ2本で言えるなら こんなに苦労しねってことよ。】

——これは、映画の中でも使われている「『嫁さんになれよ』だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの」を文字ったんですね。

幸田:そうです。山田監督に、仮で写真を貼ったラフデザインというものに、キャッチフレーズを入れ、それをだいたい4、5点見て選んで頂きましたね。そして「面白いね」とおっしゃって頂いたコピーがこれなんです。

——『男はつらいよ』の撮影帰りの横須賀線で決まったコピーなんですね。やはり、スケジュールがない中、このようなキャッチコピーを考えるのは大変だったのでしょうか?

幸田:何度も何度も脚本を読んで、山田監督を含めた様々な方と話を重ね、色々思索を巡らせてつくっていました。この43作は、当時流行ったあるものを反映させているのですが、わかりますか?

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【若い二人のかけおちに おじさん いよいよ登場!】

——泉(後藤久美子)がお母さん(夏木マリ)と離婚したお父さんを、満男(吉岡秀隆)と一緒に訪ねる「寅次郎の休日」ですね。…何でしょうか…?

幸田:アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ曲「おどるポンポコリン」の「インチキおじさん登場!」からなんです(笑)。

——なるほど! 43作が公開された1990年は、『ちびまる子ちゃん』のアニメが放送開始となった年です。当時エンディングテーマとして使われていた「おどるポンポコリン」は、その年の日本レコード大賞を受賞しています。そういう世相も反映されているのですか。

幸田:『男はつらいよ』シリーズはキャッチコピーだけでなく、ポスターやプレスシートなどを制作する際、決まったフレームの中にそのような新しさをどう表現するかということを、試行錯誤した作品でした。シリーズがたくさんあると、それまでのものとは同じにしたくない。「また同じか」と言われるのは宣伝部として悔しいじゃないですか(笑)。

シリーズの作品は、そういう意味で一見つくるのが簡単そうに感じられるかもしれませんが、車寅次郎という主役、おいちゃん・おばちゃん・さくら・博というくるま屋のメンバー、そういう決められた形式の中に新しさを反映するということが、とても難しかったんです。

——確かに、49作すべてのポスターをずらっと並べてみると、共通するのは「寅さんが写っている」ということと「題字」だけで、他はそれぞれ違いますね。プレスシートも9作は「SHOCHIKU TIMES」と大きく文字が入り新聞のようなデザインになっていたり、22作は手描きの素敵な羅線で囲われて額縁のようになっていたり、またロケ地紹介が載っているものもありますね!

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幸田:デザイナーやスタッフと「これまでにないものをつくろう!」と喧々諤々と話し合ったことを覚えています。夏公開の作品は「空が入っているポスターにしよう」とか、「寅さんの顔が大きく写っていた方が、お客さんは安心するかな」とか。

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——そう言われてみると、夏公開のポスターとお正月公開のそれとでは、イメージが違いますね。寅さんの顔も多くは、表情がわかるぐらいとっても大きく載っています。

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幸田:写真も毎回撮りおろしたものを使いました。シリーズだから、過去のものを使っているのでは?と思われるかもしれないけど、そういうことは絶対しませんでした。渥美清さんも、「今の自分」を捉えて表して欲しいとおっしゃっていましたから。

——ポスターやプレスシートに載っている寅さんは、その時の寅さんを捉えたものなんですね。

幸田:そうですね。僕が関わった、この27作のポスターに載っている通天閣のネオンも、カメラマンさんと大阪まで行って撮ってきたものです。とても天気のいい日だったのを覚えています。

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——大阪が初めて舞台となった回ですね。このポスターにある通天閣は、公開当時1981年の街の表情なんですか。全てが、その時を捉えたものだと。

幸田:それは、ポスターやプレスシートだけでなく、宣伝の方法も新しいものを取り入れていました。例えば、正月公開の作品の際は、もちつき大会、年賀状の出発式、また帝釈天では、日本列島を型どった場所に『男はつらいよ』のロケ地になったところの県木を植えて、植樹祭を行うなどのイベントも開催しました。

——宣伝のためのイベントなども、新しい試みを行っていたんですね。プレスシートに「宣伝協力」や「協力」として、よく「郵政省貯金局」が載っていますが、これはどのようなことをされたのでしょうか?

幸田:年賀状の発売日に合わせて、「『男はつらいよ』がもうすぐ公開されますよ。寅さんの季節ですよ」ということを、郵政省と協力して行ったりしていました。

——寅さんの絵入りハガキセットなども発売されていましたよね。

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幸田:郵政省と多く組んでプロモーションを行ったのは、『男はつらいよ』シリーズにも郵便局やハガキが登場するシーンが多くあるように、山田監督と渥美さんが郵便局がお好きだったからというのもありますね。

——ちょうど、47作のプレスシートに載っている写真は、寅さんがハガキを持っていますね!

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幸田:だから、これだけたくさんのシリーズ作品がある中で、「また同じか」と言われないように、毎回毎回新しいものを取り入れる。それが、『男はつらいよ』の宣伝だったと思います。

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——50周年を記念し行われた4Kデジタル修復について、担当者の方にインタビューした際、シリーズすべてをひとつずつ観ていくと、それぞれに新しい試みをしているのがわかるとおっしゃっていました。『男はつらいよ』はその作品自体だけでなく、ポスターやプレスシートなどの宣伝も含めて、決まった形式の中にも新しさを取り入れていった映画だったんですね。

幸田:21作のポスターは、そのことがよく現れていると思います。今見ても斬新でかっこいいですね。寅さんとマドンナの木の実ナナさんの写真の表情もとてもよくて。

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——21作「寅次郎わが道をゆく」ですね。これは歴代のポスターの中でも異彩を放っています! 黒の中に、踊り子の赤がとても映えていて。

幸田:当時、浅草に松竹が運営する国際劇場というところがありまして、そこを舞台に撮った作品です。木の実ナナさん演じる奈々子は、国際劇場の舞台に立つ松竹歌劇団の踊り子という設定でした。そこを閉鎖することが決まった年につくられたんです。

——国際劇場は、戦前から戦後にかけて浅草のランドマーク的な存在でした。松竹歌劇団のグランドレビューと松竹映画が組み合わされて公演されていたんですよね。1981年に閉鎖された後も、その前の道路は「国際通り」と呼ばれています。

幸田:僕が担当した作品では、この46作「寅次郎の縁談」のポスターが印象に残っています。2回目のマドンナを務めた松坂慶子さんをエスコートする寅さんの表情がとてもいいでしょ?

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——街の中で傘をさす二人の姿が印象的です。マドンナの後ろ姿が写っているのは、このポスターだけですね。

幸田:僕が携わった中で一番印象に残っているのは、今回封入されている本ポスターではないのですが、48作「寅次郎紅の花」のイメージポスターです。切り紙細工アーティストの方に、出演者の顔をつくってもらったんです。

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——お馴染みのメンバーが七福神となって宝船に乗っているものですね。この作品が、渥美清さんの遺作となりました。渥美清さんの病状が思わしくなく、この作品に出演できたのは奇跡だったと言われています。

幸田:だからこそ、思いっきり明るいイメージのポスターにしたんです。お正月の公開だったから、宝船で。山田監督がこのポスターを見て、大喜びしてくださったことを覚えています。本ポスターも明るいイメージで制作しました。

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——リリー(浅丘ルリ子)と寅さんが相合傘をしていますね。赤い傘とハイビスカスでとても華やかです。

幸田:東劇のスタジオで撮影した写真です。退職してからは、なかなかこうやってポスターをゆっくり見る機会もないのですが、「この時は、こうだったな」と思い出しますね。

——幸田さんは、今年亡くなられた八千草薫さんがマドンナを務めた10作「寅次郎夢枕」が公開された1971年に入社後、数々の『男はつらいよ』に携わられ、シリーズの後半では宣伝責任者としてポスターやプレスシートなどをつくってこられました。ある80歳の映画好きな女性にお話を伺った際、公開当時に購入した寅さんのハガキを今でも大切に持っているとおっしゃっていたことを思い出しました。幸田さんのお話を伺って、ポスターやプレスシートを通してみても『男はつらいよ』が改めて特別な作品だったということがわかります。

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幸田:実は、僕が入社したのも『男はつらいよ』がきっかけだったんです。周りの友人があまりにも話題にするので、1・2・3作の3本立てを観に行きました。「こんな映画があるのか!」と考えられないくらいの面白さだったので、そのことを入社試験で伝えたんです。そして松竹に入社しました。まさか自分が担当するとは夢にも思いませんでしたね。

退職後の現在は、『男はつらいよ』のロケ地を周っているんです。去年の今頃は、13作「寅次郎恋やつれ」の舞台となった島根県 津和野に訪れました。撮影した場所は、映画の中の風景と全く変わっていませんでしたよ。8作「寅次郎恋歌」の岡山県 備中高梁も変わっていませんでしたね。

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——幸田さんの人生に深く関わった『男はつらいよ』を、現在もなお辿り続けていらっしゃるんですね。『男はつらいよ』の作品だけでなく、ポスターやプレスシートも、その時代時代の時間を封じ込めたものであることがよくわかりました。ありがとうございました!

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今回、復刻“寅んく”の特典として封入されているシリーズ49作すべてのポスターとプレスシートとあわせて、4Kデジタル修復版ブルーレイを鑑賞すると、より深く『男はつらいよ』を楽しめるのではないでしょうか。時代時代の匂いや時の流れを、映画の鑑賞とともに、ぜひ体感してみて下さい!

復刻“寅んく”4Kデジタル修復版ブルーレイ全巻ボックス
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