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5月20日 【雑談】このゲームやめ時かなぁ……って思うとき

 今回は雑談です。資料もありません。個人的に「こうかなぁ」と思う話を書きます。

 ゲームとの付き合いは長く、色んなゲームをやっているわけだけど、最近は一つのゲームで遊べることが非常に多い。インディーズ系はさくっと終わって、それもいいのだけど、しっかり作られたゲームは、どこまでも遊べてしまう。「トロフィーコンプリート」というものがあるのあけど、本当にあんなの、やる人いるのか……というくらい“要素”は多い。こう書くところからわかるように、私は「トロフィーコンプリート」をやったことがない。

 どんなゲームでも「最初のほう」というのは、たいてい主人公の体力も少なく、持てるアイテムも少なく、移動手段と範囲が限られている。この最初の頃は、ちょっと進んでは戻って体力を回復させ、また少し進んでは体力を回復させ……とやりながら、少しずつ行ける範囲を増やしていく。
 この過程のなかに、たいていのゲームには「物語」がある。世界を探索して、色んなものを発見して色んなものに関心を持ちながら、色んなキャラクター達と交わる物語が展開する。これが非常に楽しい。こういったプロセスを通過しながら、プレイヤーはそのゲームで何ができるのか、どんな世界観であるのかを知る。最近のゲームは、この導入部分が非常に上手になっている。
 でもそうやって進行させている間というのは、ずっと「もどかしさ」を感じている。体力も少ないし、移動できる範囲も少なければ、移動手段も限られているので、街から街まで徒歩で一歩一歩あるいていかなければならない。
 頭の中では「あのアイテムを手に入れるためにあの街へ行って……」「あのモンスターを倒せば、アイテムをドロップするはずだから、それを届けて……」と様々なタスクを処理しようと忙しく動き回っている。
 次第に「次にすること」で頭が一杯一杯になってくる。面倒くせーなと思いながら、タスクを一つ一つ処理していく。移動方法と移動範囲が限られているから、単純なタスクでもなかなかうまくいかない。「ああ、もう!」と思いながらも、ちまちまとクエスト処理をし続ける。
 でも、これが実は快感だったりするんだ。次から次へとやってくるタスクで脳内がわーっとなっている瞬間が、鬱陶しさと快感を同時に感じていられる瞬間なんだ。

 こんなときの一番の快感は、「面倒だな」と思っていたことが一つ解消されたときだ。例えばより便利な移動手段を獲得したとき、あるいは移動範囲が拡大されたとき。「新しいところへ行ける!」「楽に行ける!」「できることが増える!」そう感じられた瞬間が一番の快感になる。

 でもゲーム中のすべてのアンロックを解放して、あらゆる動作が可能になった上に、煩雑な作業がショートカットで済ませられるようになった時……この時、「やめ時かな」という気分になる。
 すべての作業が楽になったのに? これまで「面倒くさい、面倒くさい」と思っていたことが、お手軽に済ませられるようになったのに? これでやっと、そのゲームのなかでやりたいと思っていたことができるようになったのに? ……でもその時こそ、思うのは「やめ時かな」なんだ。

 どうしてそう思うのか……というと、それは「ゲーム」ではなく、「仕事」になってしまうから。ゲーム中で起きているタスクを、秩序立てて運営し続けているだけ。ひたすら同じ事の繰り返し。この状況は「遊んでいる」ではなく、仕事と一緒。私の大嫌いなベルトコンベア仕事と一緒になってしまう。
 ゲームを進行中の、「ああもどかしい、もどかしい」「面倒くさい、面倒くさい」と言いながら、思いながら進捗させている時が一番楽しいんだ。「もどかしい」で脳内がタスクでわーっとなっている瞬間が、一番快感だったんだ。あらゆることができるようになってしまった最後の方は、「もうすることがない」と思う瞬間なんだ。
 そんなふうに「こりゃ仕事と一緒だな」と感じたとき、「このゲームもやめ時かな」となる。

 昔はもっとゲームやっていたんだよ。RPGはとりあえずレベル99最大まで上げていたし、アイテムは全部収集していたし。これをやっていたときは、「RPGはレベル99までやってこそ」とか思ってた。
 でも、いつ頃そう思うようになったのかな……。「面倒くせぇ」が勝っちゃった。そんなにやっている暇があるんなら、次のゲームで新しい体験を得た方が、自分のためになる、と思うようになった。
 工場勤務があまりにも長くなりすぎて、ゲームのなかでも工場勤務やっているような気分がして、それで嫌になっちゃったのかな……。

 もしも自分でゲームを作ろうと思った場合、やはり避けたいのは「これは作業だな」とプレイヤーに感じさせてしまうこと。「作業だな」と感じさせてしまった瞬間、それは「ゲーム」としての楽しみがなくなり、「仕事」になってしまう。「仕事」を感じさせた瞬間、楽しくなくなるというか、「目が醒めて」しまう。
 実はゲームのなかには、面倒くさい作業部分というのが一杯あるんだ。例えば、オートマッピングを完成させるために、用事もないのにマップ中の隅から隅まで歩き続けるとか。その先に宝箱とかあれば、埋めていく楽しみもあるのだけど、何もないとわかっていても、「マップが欠けている状態」が気になって仕方ないので、隅から隅まで歩き回ってしまう。
 面倒くさいけど、こういった何もかもをお手軽にすると、実はプレイヤーのモチベーションが上がりきらないという現象が起きる。でも面倒くさくしすぎると、やはりプレイヤーのモチベーションは下がる。この按配が難しい。
 レベル上げやアイテム収集にしても、あまりにも長大になりすぎると、これも「作業」になってしまう。ただゲームのシステムのなかでブラブラしているだけ。これもよくあることなんだ。こういった場合で何がまずいかというと、そこに「物語」が感じられなくなる。
 ゲームというのは、基本的には物語と物語の間に「作業」が挟まるという構造になっている。楽しいのはもちろん物語だ。この作業も、うまく一口サイズに切り分けられていたら、作業自体が楽しいと感じられる。物語と物語の間に入る作業があまりにも複雑で大変なものになると、「つまらない」と感じてしまう。
 私の考えでは、ゲーム中のあらゆるものは「物語」にくるまれていなければならない。物語が感じられないと、「ゲームシステム」という無機質なものと向き合わなくてはならないし、そこにカタルシスは感じづらい。ゲームシステム自体がそこまで魅力的なゲーム……なんてものは実はさほどないんだ(今ある大抵のゲームは、過去のゲームで作られた文法の使い回しに過ぎないし)。ゲームになぜ「かっこいいキャラクター」や「かっこいい世界観」があったほうがいいのか……というと、「物語」を感じさせるためだ。プレイヤーはやっぱりその物語に酔っていたいんだ。「グラフィックはより豪華であった方が良い」理由があるとしたら、「物語」を常に感じていたいからだ。

 でもあらゆるクエストにキャラクターを立てて、物語を作り込むとなると、そのぶん制作コストがかかる。キャラクター1体作るのに、予算がかかる。「どこまでも物語を感じさせる」といっても、限界がある。
 たまに、ゲーム中の基本的な要素すらアンロックしきらないで「終わりかな」と感じてしまう作品もある。どうしてそう思うのか、というと、その先にもう物語がないと感じたか、あるいは「それ以上先へ行っても魅力的な物語」がないと感じられた時だ。魅力的な「物語」というガイドラインがないと、それ以上頑張っても「作業」になるから、進めようという気分にもなれない。やはり「物語」が大事なのだ。
 しかし一つの世界観、一つのキャラクターで深掘りできるものにも限界がある。その限界に達したら、「物語」は終わってしまう。作り手は新しい世界観に新しいキャラクターを提供しなくてはならなくなる。
(40年続いた『こち亀』だって、別に両津勘吉という人間を掘り下げ続けたわけではなく、新しいキャラクターと新しい流行・文化を取り入れながら、同じフォーマットを繰り返していただけに過ぎない)

 それに、クエストを達成したならば、「物語」以外のご褒美が欲しい(たいていの「物語」は達成したら「ありがとう」と言われるだけだから)。ご褒美はアイテムや経験値(あるいはエッチなイラスト)などが考えられるが、プレイヤーにとって一番のご褒美はタスクが一つ軽減される要素だ。持てるアイテム数が増えるとか、移動範囲が増えるとか、移動速度が上がるとか……。体力が増えるという要素も、「移動範囲が増える」とある意味での同義と見なそう。要するに、「アンロック」要素だ。

 そうしたご褒美にも限界があり、すべてのアンロックが解放されたら、そのゲームのなかで「もうすることがない」となってしまう。スキップトラベルであらゆるところへ行き放題になると、そこへ行くまでに見てきた風景をもう二度と見なくなってしまう。その場所へ行く……このプロセスこそが「物語」であったはずなのに。
 でも同じ場所を何度も往復するなんて、面倒くさいの極みなんで、何度も何度も徒歩での移動なんてやりたくもない。かといって、スキップトラベルで各所を瞬間移動しまくるようになったら、それ自体が「作業」になってしまう。もう「移動」すること自体に「物語」は感じられなくなる。すると、その世界観における「冒険」はもうお終いだな……という意識になってしまう。
 『バイオハザード』でロケットランチャーを手に入れちゃったら、もうお終いなんです。『バイオハザード』の場合、ロケットランチャーを手に入れるまでのプロセスがあまりにも大変なので、そのロケットランチャーを使ってもう1周とすら思わない。だって、その直前に「もうこのゲームも終わりだな」……という気分になるから。
(『バイオハザード』の場合、それを狙ってロケットランチャーというアイテムが設計されている。ロケットランチャーを手に入れちゃったら、どっちにしろ「このゲーム終わりだな」という気分になるから。だからやたらと高いハードルを立てている。ものすごく強力なアイテムを手に入れることができるけど、手に入れてももうすることがないように作られている)

 一つのゲームの世界にずっと居続けることはできない。このゲームも終わりかな……と思う瞬間は、だいたいのアンロックが解放されて「できないこと」がもうなくなり、世界の隅々まで歩き終えて、だいたいの要素を了解し、神秘性を感じられなくなった瞬間――要するに、その作品世界に「飽きちゃった」と感じちゃった瞬間。どんなゲームもいつかはそういった局面に達してしまうんだ。一度そんなふうに「終わったな」という気分になったら、どんな名作でも「もういいや」って思う。何度も繰り返して遊びたいとは思わない。
 どんなゲームにも「遊び込める限界」というものがある。その限界が見えて、あとは作業だな……と感じたときが、そのゲームのやめ時。


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