松井冬子と美貌に対する偏見とか

もう、十年近く前になるのか。
松井冬子の『浄相の持続』を雑誌で見ました。
ハラワタを露出し頬笑み横たわる全裸の女性の涅槃図、に私には見えました。(おそらく涅槃図とはそうではない、でしょうけれど。)
そして、瀬戸内寂聴の『花芯』を読んで気付かされた自分の醜さといやらしさを、再び突き付けられたように感じ、ぐったりしました。

松井冬子のポートレイトも同時に拝見しました。
超絶美人でした。
まるでリアルお蝶婦人です。
こんな美女がこの世に生きているなら「生で見たい」と興奮しましたが、そういう、美貌と才能に憧れる女性に一瞬でもお近づきになりたい自分の欲求ってどうなのよ、とも思うお年頃(中年ともいえないが、若者では決してない)でありました。
そんなんで浮かれていたら、見苦しくて世間に迷惑じゃないかしらと。
またそれ以上に、無いものねだりをして執着するような、餓鬼のような、あさましいものを自分に感じて嫌になりました。
ちなみに松井冬子と私は同い年です。

20代前半の頃、山田詠美と山咲千里の書籍出版記念サイン会に参加したことはありましたが。
お二人は、私にはお姉様でした。

成山画廊で松井冬子のサイン会付きの画集購入の機会がありましたが、行こうとは思いませんでした。
個展へ行くのもやめておきました。

後日、youtubeで松井冬子の動画を見ました。
あちゃ~松井冬子の美貌にとち狂った人が変なイメージ映像作っちゃったんかな~と、それは置いておいて。
松井冬子のしゃべり方に違和感がありました。
もしかして、松井氏、女を演じていないとか??
「だわ」とか「よ」とかを使わなくても、女もしくは男を演じながらしゃべっているのが一般的といえますが、松井冬子からはそういったステレオタイプの演技が抜け落ちているように感じました。

さらに数年後。
切り立つ崖から海を臨むある喫茶店で、松井冬子の作品に出会いました。
タイトルは思い出せません。
店主ご夫婦はコレクターで、店内にはジャコメッティ等そうそうたるコレクションが置かれ、立て掛けられていましたが、戸窓を開け放し、潮風が通り抜けるままそれらが晒されているという贅沢な空間でした。
そこに、松井冬子の白い洋犬の幽霊がいました。
おまえ、日本っぽく幽な霊になりやがって。
潮風に朽ちていくのはさぞや気持ちがいいだろうな。
良かったな。
私も気分が良くなりました。

私にある圧倒的な美貌に対する偏見に気付かせてくれた松井冬子でした。

次に展覧会があれば、素直に行きたいと思っています。
今度『浄相の持続』を見た時は、また違うことを感じるかもしれないのも楽しみです。