「とら屋食堂」の最初の最初

今日のランチに、とーっても懐かしい友人達がやってきてくれました。

そう、彼らがのちに「とら屋食堂」と呼ばれるようになる、とらさんの出張料理を楽しんでくれた、最初のお客様なのです。

それは2011年4月9日の夜でした。
まだ自宅でしか作ったことがなかった南インド料理を、とらさんが初めて外で作ることになったのです。

趣味で作っているという話を聞いて「じゃあ、うちでも作ってよ。一緒にとらさんのお料理を食べようよ」という気軽な一言で始まったのでしたが、慣れないコンロと調理場に悪戦苦闘するとらさんを横目に、家主2人と私は、事前に用意してくれていたつまみをいただきながら、野球を観戦していました。
実は、家主さんはとてもお料理上手です。しかも、キッチンスタジオペイズリーを始め、いろいろな料理教室にも通っているだけでなく、出版する書籍の撮影時にアシスタントとして料理研究家に呼ばれるほどの腕前なのです。
「お手伝いしようか?」と声をかけてもらっても、初めてのとらさんはテンパってしまって、それどころではない様子です。
当時の私は、自宅でも調理には全くノータッチだったので、お手伝いしようにもかえって足手纏いになりそうです。
というわけで、とらさんの奮闘を見て見ぬふりをしつつ、茶の間でくつろぐ私たち。
お酒もまわり、プロ野球ニュースが始まった頃、ころりと横になって寝落ちしている私たちに「できました!」の声が。

おーっ、やっぱりとらさんは、その頃から「とらさん」でした。
ちゃぶ台に並びきれないほどの料理をお二人は「美味しい!美味しい!!」とパクパク食べて下さいます。
車で来ていたので、ビールを飲むことも叶わず、すっかりお疲れモードのとらさんは、それでもとても嬉しそうでした。

のちに、振り返ってみると、あの夜があったから、今がある、そう思えてなりません。
南インド料理との出会いは、もちろん沼尻さんがきっかけでした。なので、その沼尻さんに引き合わせて下さった方も恩人といえますが、とらさんが南インド料理を食べていただく喜びを覚えたのは、あのお二人がきっかけだったと思います。

その後、お二人のお家で何度も南インド料理を作る機会をもらいました。
シンプルでありつつも機能的な生活を愛する彼らの家は、その広さに対して、びっくりするほどたくさんのゲストをおもてなしできるのです。
時間内で料理をお出しすること、献立について(作りすぎない!こと)などを学ばせていただきました。お二人の素晴らしいアシストも印象に残っています。

ちなみに、2016年の1月にマサラワーラーのお二人をゲストに迎えて「もうすぐ100回」イベントをやっているので、5年足らずで100回の食事会を開催したことになりますね。サラリーマンやりながら…とらさん、すごいなぁ。

久しぶりに会って、「何度もさぁ、チャレンジしたんだけどね、今日はやんない(営業しない)とかでタイミング合わなかったんだよね」なんて言われ、「名乗ってくれればよかったのに」と返すと「いやさ、名乗って『じゃあ、開けましょう』っていうのは、おかしいじゃない」 
確かに… 相変わらず正論だ… 返す言葉がない…

かつてのように、気持ちよく食べ、おかわりして、いろんな話をして、さわやかな笑顔で帰っていったおふたり。
本当にありがとう、そして、来てくれて嬉しかった。ありがとうございました。

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