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天神橋筋と環状線(記憶の中の大阪)

記憶の中の、過去の大阪について書きます。

故郷の大阪を離れて、50年近い。
母が歳を取り弱ってきて、
時々この街へ帰ってくるようになった。

大都会の風景がどんどん変わっていく中で
変わらない部分もあると感じる。

どんどん変わっていく梅田周辺。
まるでシンガポールか香港か?と思う。
アジアの都市はどこも似ている気がする。
現代的なデザインの高層ビル街。
商店街やモールと違うおしゃれで新しい
ショッピング街が次々と。
デパートもホテルも眼をみはる美しさ。

しかし下町の空気感は変わらないように思う。
私の場合はミナミではなく
それは天神橋筋商店街である。
外国人ツーリストも多く見かける。

昭和30年代、環状線天満駅周辺で
子どものころ見た原風景。
雑踏にはサンドイッチマン。
駅前にアコーディオンやバイオリンを弾く
傷痍軍人が立つ。悲しげな曲を奏でる。
ハーモニカの人もいた。
元兵士たち。手や足がなかったり、黒い眼鏡の。
中にはニセモノもいると言った周りの大人たち。
生々しい記憶は忘れない。
あちこちの駅で見た。

環状線(JR)、昔は省線と言った。
森ノ宮駅周辺を列車が通過するとき、焼け残った三角屋根の工場群が黒々と不気味に見えた。
長い間そこに戦後があった。
戦後生まれの私は母に「あれ、何?」と聞く。
母は「空襲で焼けたんやで」と答える。

この風景があったことを知る人も少なくなった。

郷土史に興味を持ち、
ようやく大阪の歴史を調べはじめた。

次回に続きます。

関テレのある扇町公園。戦後、競技用の大阪プールがあった。


今日もすてきな一日をお過ごしください。
地球と宇宙にありがとうございます。

震災で被災された皆さまが、安らぐ生活に戻れますように。

Have a nice time.
Take it easy❤️

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