見出し画像

守屋佑一のこと7 Heaven such as the hell

守屋佑一のこと7  Heaven such as the hell

文:守屋佑一

中学3年生になり、いつの間にか部活を引退して、高校進学。2003年のこの年もとてもとても濃かったが、前年に比べると駆け足で過ぎ去ったように思う。

中学で出会ったたくさんの仲間と別れ、紆余曲折あり、僕は隣町にある吉田島農林高校の普通科に進学した。

その名前のインパクトの通りすこし不思議な特殊な高校。

現時点で創立108年の伝統校。実はうちは、祖父も、父もこの高校出身で祖父はとくに母校愛に溢れ昔から吉田島は最高だと酔っ払うたんびにいっていた。酒匂川の向こうの吉田島へ通っていたといっていた。だから僕は、中学2年の終わり頃まで吉田島はどこかの島にある高校なのだと思っていた。

そして船で通学するものなんだと。けれどもそれは全然違くて、実際は吉田島とはただの地名で、開成駅からすこし歩いたところにある普通の高校だった。

いや、決して普通ではないのだが。

この吉田島農林は名前の通り、農業や土木の勉強をする高校である。僕は現在、農業にはわりと深く関わっている。出身校を聞いてみんな勘違いする。高校でがっつり農業を勉強したのだろうと。

でも僕は普通科出身だ。農業高校の普通科は本当に普通の高校と同じカリキュラムしかやらない。普通の高校よりやらなかったかもしれない。

一つ違いがあるとすれば、年に一度黒が畑寮にいくことくらいか。読んでいる人はなんのこっちゃわからないだろう。それでいい。これは僕が勝手に思い出し勝手に綴っているだけのものだ。

最近よく昔のことを思い出すし夢に見る。それは高校のころのことが圧倒的に多い。戦いに明け暮れた3年間。

高校のことは書くことがありすぎて、せっかく書くのならできるだけ省かず詳しく書きたい。僕の基礎はほとんど中学で出来たが、僕が僕として生成されたのは高校時代なのだから。ここで僕の運命は大きく変わった。

吉田島農林に進学した僕は、迷わず野球部に入部した。桜舞う入学式が終わり、仮入部やらいろんなことをすっ飛ばして迷わず入学2日目から野球部に入部した。野球部に入部したのには不純な動機があった。

それは、万年1回戦負けで人数も少ない吉田島の野球部ならば、レギュラーに必ずなれると思ったからだ。

以前もすこし書いたが、ぼくの中学の野球部は同級生だけで約30人いて、中学から野球を始めた僕はなんとかギリギリベンチ入りすることができてなかなか試合に出れなかった。

やっぱり野球をやるからにはレギュラーとして試合に出たい。この高校なら、ゆるく部活をやってレギュラーも簡単にとれると思っていた。

中学の時と違い、3年生がいるころも球拾いではなくバッティングやノックなどしっかり練習に参加し野球に打ち込んだ。さいしょの夏の大会は1回戦で敗れありがちな挨拶などが終わり新チームとなった。

ここで一つのターニングポイントがあった。なんとその時の指導者が僕たちに何も言わずに監督を辞めて違う高校の監督になったのだ。夏休みに入ったばかりでいきなりの波乱だ。最初の数日間はOBやキャプテンがノックを打ったりして練習を行った。僕はいきなりノックで右手の指のへんなところに硬球がぶちあたり、いきなり骨折した。

毎日練習は午前中で終わり、僕はいきつけのスポーツショップに足を運んでそこの店長に指導者がいないことを相談していた。

余談だが、この店長に僕はこの後数年にわたりとてもよくしてもらったが、恩をなんにも返せなかった。それはとても後悔している。人生は後悔の連続だ。

店長は野球の優れた指導者で今は暇を持て余し指導する先を探している人の宛があり吉田島を紹介すると言ってきた。僕は何も考えずにお願いしますといった。よくよく考えればすごい話だ。一生徒の僕が勝手に誰にも相談せず指導者を探してしまう。野球漫画もビックリの展開。

この数日後、僕ともう一人の野球部が所属するクラスは年に一度の泊まりの遊びのような実習にいっていた。そこは吉田島がもつ大昔に使用していた寮で土木科とか園芸科は実習をがっつり行うみたいだが、普通科はレクリエーション的なことしかしない。この山は携帯の電波が圏外で、一泊して山から降りて野球部の同級生からメールが来ていたことを覚えている。

「新しい監督が来た。地獄だ。」

こんな感じのことが記してあった。

そう、約束どおりスポーツショップの店長が指導者を連れてきてすんなり新監督に決まったのだ。この時はこのスポーツショップは吉田島と付き合いもなかったはずだし、一体どうしてこのあとすんなり監督がスポーツショップが連れてきた人に決まったのか、いろんなことを知った今も謎のままだ。

こうして新しい監督が来て高校に野球をしにいく日々が始まった。

ゆるい公立の野球部だったはずが、地獄の100本ダッシュとか、遠く離れた試合会場から走って帰らされるとか地獄の罰とか、走って帰ったと思ったら始まる地獄の100本ダッシュとか、倒れるまで続くノック地獄とか、地獄みたいな練習ばかりの日々。

けれども、天国のように自由で楽しい日々。

ここから地獄のような天国が始まった。

※この記事は全文無料の投げ銭コンテンツです。投げ銭はまだまだ完成しない牛乳ビルのリノベーション資金となります。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?