ばら色のあなた

 弓削の服を初めて脱がせたときはびっくりした。ミスフィッツのスカルTシャツとカーキのカーゴパンツを剥がしていくと、その下にはきらきらと輝くスリップを着ていたのだ。

 胸元と裾に雪の結晶のようなレースが付いていて、手触りはつるつる。ピンクとベージュの中間のような色で、腰骨の位置までふんわりと広がっている。
 思わず手を止めてベリーショートの金髪で唇の端にピアスが光る弓削の顔を見上げると、なんだか出来の悪いアイコラのような姿がそこにあった。ぽかんとしていると、弓削は怒ったような恥ずかしがっているような顔をして、私を布団の上につき転がした。
 そんであっという間に下着までひっぺがされてあとはもう細部は覚えていないが、とにかくその日、弓削は最後までスリップは脱がなかった。その後も、決して全裸にはならなかった。

 七ヶ月後、弓削は私のアパートに転がり込んできた。情熱の高まりからというより、お互いの住環境と経済状況のすり合わせで始まった同居だ。すでに恋愛のピークは過ぎていると感じていた。一ヶ月以上、私と弓削は顔を合わせても性交はしていなかった。

 弓削の引越し荷物は多くはなかった。キャリーカート一台、後から宅急便で送られてきたダンボール箱三つ。
 段ボール箱のうち二つはぶなしめじときゅうりの箱だったが、もう一つは無地の、新品のような白い箱だった。封も他の二つはただの布ガムテープだが、その箱だけモノクロのアンティーク調イラストが描かれたこじゃれたビニールテープで閉じられていた。

 ぶなしめじときゅうりの箱はすぐ開封されたが、こじゃれ箱は封をされたままだった。私が「これ、開けんでいいの」と聞いても、弓削は「いい」と言うだけだった。きゅうり箱には教科書や本が入っていて、ぶなしめじにはダムドのTシャツやぼろいジーパン、スウェットパンツや綿の無地ブラとかボクサーショーツが入っていた。私と性交するときにいつも着ていたピンクのスリップは見当たらなかった。

 同居生活はすぐに私と弓削の関係を悪化させた。一週間にいっぺんの喧嘩が三日にいっぺんになり、ついには一言も口をきかなくなった。
 ある夜、弓削が私が買って半分残しておいた惣菜のポテトサラダを勝手に食べたことに端を発した口喧嘩が次第にお互いの精神的・身体的欠陥の指摘しあう攻撃的なものに発展し、ついに弓削はポーターの財布を引っ掴んで部屋を出て行った。深夜一時を回っていたが、私は追いかけなかった。

 弓削のいない部屋の隅に、こじゃれ箱がぽつんと置かれている。引っ越して三ヶ月。それはまだ開封されていなかった。私は台所に行きコップに焼酎(甲類)を半分注いでから一気に飲み干し、果物ナイフを片手に部屋に戻った。

 こじゃれテープに切り目を入れて、私は封をされたダンボールのあわいに手を差し込み、こじあけた。その瞬間、部屋の中にふんわりと甘い香りが広がった。
 箱の中は、ピンク色のもんじゃ焼きのように見えた。
 濃さや色味の違うピンクのつやつやきらきらした布が、ぎっしりと収められている。一番上の一枚をつまんで持ち上げると、それは頼りないくらいの軽さでするすると私の手指に絡みついてきた。
 それは胸元とウエストのあたりと裾に大仰な花の模様のレースが付いた、膝丈くらいのピンクのスリップだった。こういう色はなんと言えばいいのだろう。ばら色。たぶん、ばら色。
 私はばら色のスリップを持ったまま立ち上がり、なんとなく鏡の前で自分の身体に当ててみた。ちょっと考えて、髪をほどいてもう一度当ててみた。私はスリップを一枚も持っていないが、そのばら色のワンピースのようなスリップはわりと似合っているように見えた。焼酎甲類が胃の中で「着てみちゃえば」と言った。

 私は服を脱ぎ、弓削のばら色のスリップを着た。しゃらしゃらと滑らかな生地が気持ちいい。先日足の毛を剃ったばかりだったことも幸いして、想像以上にそれは私に似合っていた。弓削が着るよりずっとしっくりくると思った。私はいくつか鏡の前でポーズをとってみた。繊細なレースが胸の上で揺れる。太ももを流れる。

 そのとき、玄関ドアが開く音がして、すぐに弓削が部屋に入ってきた。

「なにそれ」

 弓削は小さな声でそう言った。私は何も言わなかった。何も言わず、ばら色のスリップを着た胸を反らせ、弓削を真っ直ぐに見た。弓削の視線は私の頭から足までを何度か往復したあと、べろりと皮を剥がれたように開かれたこじゃれ箱に向けられた。その横には果物ナイフが置いてある。弓削が動いた。私はそこに立っていた。

(終)


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