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人との間に上下は無くても左右はある

37seconds観に行ってきた

こないだチラっと話題にした記事

そう、普段ならあまり手を触れないジャンルと言っていい映画
観ようと思った経緯は上記の通りで
気になったので行ってきた

これは差別なのか、どうか

正直に言うと、障がいのある人と接するのは
怖いと思ってしまう
恥ずかしながら
差別したくないと思うあまり腫れものに触るというか
必要以上の気遣いをしてしまいそうで
この特別視こそ、差別というのではないのか
本当にみんなが平等なら、その気持ちこそが偏見なのではないか

でもさ、目に見えて車イスやったりとか
私が普通にしてることが困難やったりとか
するわけやん?
そうしたらどうしても「全く同じ」とは言い切れない
当たり前やわなそれは
ただ、おおよそレギュラーの機能が備わっている人間でも
至らんところ、得手不得手、コンプレックス…
当然ながら抱えてるわけやん

その区切りをどこまでなめらかにできるかって事やと思うねんな

映画見てマジ知らんことばっかりやったし
アンタッチャブルな部分だと思ってしまってる
障がい者の性について掘り下げているのも
「いいんかな…」て心のどっかで思ってしまってた
見ていいの?知っていいの?考えていいの?

不思議なことに見終わる頃
ストーリーの核が「障がい者の性」から
「色んな人が経験する母子の物語」に
私の中で移り変わってた

そらぁな、お母さんの気持ちめっちゃわかる思った
うちの息子は障がいのない子供やけど
それでも、この子は私の分身じゃない、この子は私の一部じゃない、
一人の意思ある人間や
って
意外なほど頻繁に思いなおさないとアカン場面ある
それが自分(母)から出てきて自分の手が必要で
自分の存在が不可欠である
障がいを持った我が子ならどうか?
過保護になってしまう母を真正面から責める気にはならんかった

主人公ユマちゃん役の子すごいな

実際に脳性麻痺、車椅子の女の子で
彼女に出会って監督は脚本を書き換えたそうです
なんと言い表せばいいのか…すごいねん(語彙力
とても小さな声でゆっくりお話するんやけど
その間も焦れずに待って言葉を聞きたくなる
映画序盤~中盤~終盤で表情がどんどん変わってゆく
これはメイクや演出・映像の力の凄さもあるんやろうな
1番目を奪われたのは後半、自分の半身と再会を果たし
外国の宿で目覚める朝のシーン
台詞も無い、朝の1シーンなんやけど
ひとりの女の子が成長した様子を数秒で示したような
色と表情、姿の捉え方が素晴らしいなと思った
パッと目の前が鮮やかに色付いた気がした

母にぶつかるシーンのリアルさは
ほとんどの人が身に覚えのある苦い感覚呼び起こすと思う
あと笑顔がめちゃくちゃ良い

大東駿介さんの役どころがまた素敵
多分そんなに台詞も多くないねん
ユマちゃんを過剰に優待するでもなく
ただ寄り添っている感じ
こういう人の在り方が理想なんやろうなって思う
彼がなぜああいう人格であれるのか
欲を言えばもっと掘り下げて観たかった

他にも魅力的な人が沢山出てくるし
もっと書きたいけど文字数がすでに過多なのでこのへんで

差別は無いけど区別はある。と思ってた

自分と他人の境界線
許容と拒絶
その「区別」というのは正直必要やと思う
けどそれって障がいあるなし、そこまで関係無いんやろうな
名の付いた障がいや病気が無くても
私はあなたにはなれないから
人と人の間には何かしらの「区別」があって然るべきで
ただその「区別」をもっとなめらかにしてゆくこと
自分の中の段差を均してゆくこと
それが必要なんちゃうかなって思ったわ

上手いことまとまらんかったけども笑
ぜひ観に行ってください

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