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麻薬みたいなアドレナリンが出るとき

こんにちは、とりコレクターです🐣
今回は何だか不穏なタイトルになってしまいましたが笑、また小悩み?の話です。なんかここ数日はそういうモードなんですよね~
お付き合い頂ければ幸いです!

皆さんは人生で、アドレナリンに満ち溢れた(ように感じる)時期ってありましたか?あるいは、今まさにそんな感じでしょうか?

わたしは、ありました。大きく分けて2回。


初めは、中学校の部活。 コーチに皆の前でかつ一人名指しで頑張りを認めてもらえた(承認欲求が満たされた)ことがきっかけで、猛烈に練習し始めた。前は行事で堂々と練習サボれると嬉しかったくらいなのに笑、いくら練習してもし足りなくて、あんなにキライだったランニングや筋トレもやって。常にエネルギーがほとばしってた。効果音だったら「ガンガン」とか「ドンドン」。

でもケガが重なったこと、それと同時にコーチのある嘘に気づいたことで、一気にやる気消滅。(「頑張っているやつをスタメンにする」と皆に言っておきながら、フタ開けてみたらスキルがある経験者や背が高いだけの後輩だけがスタメンだったのです。。だったら始めからそう言えよ、と呆れ悲し悔しくなった。多感な時期だったということで。)


そして2回目は、留学の前後。人生で一番、いっぺんに色んなことに取り組んでいた時期。目立って活躍していたし、(それなりに)人望もあったし、楽しくて毎日生き生きとしていた。できることは基本的に全部チャレンジしたし、幸い色んな結果もついてきてくれた。でも留学最後のあたりから、ちょっと背伸び疲れしてきているのに気づいていた。ガンガン生き続けることに、心身がついていけなくなりかけていた。今思えば、もともとそんなアクティブなほうじゃないのに、よく何年もそんな状態でやれたなぁと思うけど。


どちらも見方によっては、情熱やエネルギーに溢れていて、人生の醍醐味みたいな時期でした。ありがちな啓発本みたいだけど。

でもわたしの場合、そういう時期は恍惚というかハイになるけど、心身のエネルギーが摩耗はするんですよね。いい気分になるから気づきにくいけど、何かが蝕まれていく。まさに麻薬的な。

でもやっかいなことに、たまにそれをまた味わいたくなってしまう。それがない日々がちょっと味気なく感じてしまう。でもそれを味わうには、代償が大きい。色んなものを犠牲にする。

今はある意味、とり活(野鳥のパパラッチ活動)中はエネルギーに溢れていてウキウキなので近い状態なんですが笑、やっぱりちょっと違うんですよね。良くも悪くも、ゆるい。そこまで結果を求めてるわけじゃなくて、純粋にプロセスを楽しめるからでしょうか。


メンタル不調を経て、ゆるい人生に切り替えていこうとしていて、実際その心地よさも味わっている。ゆるいといっても元ガチガチ人間でまだゆる4級(英検換算)。だから、頑張っちゃって達成感を感じる瞬間はあるし、人や物や出来事にも恵まれている。もうwork is lifeじゃないけど、仕事も得意を活かしてほどよくやれている(と思っている)。
こんな感じで、ほどよくゆるく、日々の小さな幸せを噛み締めながら、心身の余裕を持ってずっと生きていけたら。


でもその一方で、ある種のドラマチックさに惹かれている自分もいる。そしてそういう生活をしている(ように見える)人を見ると、ちょっと焦る。
わたしは「ほどゆる」で行くって決めたけど、でもそれでホントに良いのかな?


答えがない問いの、2つの回答例の間で、揺れ動いている。「続けていきたい」と「変えてみたい」の間で、どっちつかずで動けずにいる。という感じの日々。

まとまらないしまとめる気もないのですが笑(そして究極まとまる必要もないのかも)、そんな心境をシェアさせていただきました。自分本位の極み…!

ここまでお付き合いいただいた方(いらっしゃれば笑)、ありがとうございました🐣!

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