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詩吟と呪いと呪術廻戦

呪いが生まれたのはいつか
ここのところの呪術廻戦を見て改めて気付いたのは、

・とにかく無敵
・呪霊を取り込み放題
・影に潜む多種多様な式神
・あらゆる術式をコピー
・全てを削ぎ落としたフィジカル特化
・術式もないしょぼいおっさんに見えて経験値と練度で強い

等々おおよそ、なろう作品などで見られる思いつく限りの主人公らしい能力をすべて主人公以外のキャラに割り振っているということだ。
多分これ絶対意識的にやってるんだろうな…強いて言うなら虎杖悠仁は聖闘士星矢で言うところの星矢タイプで、これと言った特徴を持たないけど挫けない主人公をやろうとしているのかも知れない。
知らんけど( ͡° ͜ʖ ͡°)

それはさておき、
詩吟的にも、というかその起源の漢文カルチャー的に「呪い」というのはわりと切っても切れない深い関わりがある。とりあえず「呪い」についてだけ絞って言うと、いわゆる呪術廻戦で言うところの「呪い」がハッキリと公式に生まれたのは平安初期、桓武天皇の時だ。平安京遷都とか空海とかあの辺の時代である。

政治的な血生臭いアレコレがあり、その後、桓武天皇の親族が立て続けに不幸にみまわれたので占わせたところ、結果は「祟り」と出た。桓武天皇は極度に怨霊と祟りに敏感になり恐れるようになり、そこから「祟り=呪い」の概念は一気に社会一般にも広まっていったらしい。

この後、平安の人々は不可思議な、あるいは不吉な現象や政治・社会の非常事態の背後になんらかの霊や政治的敗者の怨霊など「呪い」の存在を想定するようになる。
そしてこういった怨霊対策として求められたのが「呪術」で、中国の陰陽五行説のほか民間信仰である道教や、密教なども取り入れられた。それが呪術の基礎理論となり、呪術技法にもなっていった。そうした流れで形作られていったのが平安の呪術宗教としての陰陽道である。
ちなみに陰陽道は鎌倉時代あたりになると武士階級にも流布し、さらに広がっていくが、室町時代になると神道、密教、仏教を抱えこみ、ちゃんぽんのごった煮感が増してゆく。日本のギョーザ・ラーメン・カレーライス・ナポリタンなMIX文化はこの頃からの筋金入りと言ってもいい。脱線ついでだが、平安時代の「国風文化」とは、唐の文化の日本化のこと。要するに↑ラーメン・ギョーザだ。

呪術廻戦本編で桓武天皇が出てくることはまずないだろうが、「呪い」の概念はこの人から始まったという事で心に留めておくと、何かの折にニヤリとできるシーンがあるかも知れない。


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