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ベリカードで綴るBCL 1980年頃の思い出(海外放送編)

以前、短波ラジオに関する拙ノートで記したように私は少年時代(1980~82年頃)にBCLブームに乗って海外短波放送や中波国内遠方局のリスニングに夢中になった事がある。そのノイズにまみれフェージング現象が掛かった怪しいサウンド、異国の音楽、放送の雰囲気に魅了された。それと同時に放送局に放送内容と受信状態を記した受信報告書を送りその返礼として貰えるベリカードの収集にも熱中した。それらのカードは長らく実家に眠っていたが、最近、音楽仲間で短波ラジオ奏者の直江実樹さんに短波に纏わるトークイベントへの出演依頼を頂き、そこで集めたベリカードをプロジェクタで投影して皆さんにお見せし楽しんで頂いたりした。そんなこともあり、本noteでもそれらを公開することにした。ぜひ個々の写真をクリックし拡大表示でご覧頂きたい。また当時の録音が残っている局は、それをmp3音声で用意したので併せてお聴き頂く事で当時の私の環境でのBCL(多くが父親が自作した周波数カウンタ付きスーパーヘテロダイン型ラジオによる)を追体験頂けたら幸いである。なおプロパガンダ色の強い放送局や、宗教布教を目的とした放送局も多かったが、当時10~12歳でほぼ無頓着にカード集め第一目的で受信報告を送っていたことを念のため前置きさせて頂く(当時の多くの愛好家もそうだったろうとは思うが)。

4/7追記 国内放送局編も作成しました。


北京放送

BCL、日本語放送受信入門と言える放送局で、中波、短波ともに良好に聴く事が出来た。中波は東京の文化放送よりちょっと低めの周波数という感じでチューニングしていた。プロパガンダ色が強い放送内容だったのだろうがアナウンサーらは大抵が物腰柔らかい調子で、また流れてくる中華音楽が好きになった。放送開始時に”東方紅”がチャイムの形でよく流れてきたりしてそれが結構しみ込んでしまってたりもする。ベリカードのみならず、切り絵、ペナント、カレンダーなど様々なグッズが送られてくるのも楽しみで一番受信報告を送った放送局だと思う。

北京放送の放送開始音声(1980年)mp3

北京放送 中華音楽とニュース(1980年)mp3

2022年現在も中国国際放送と名称を変えて放送を継続している。ただポップスと無縁だったかつての北京放送も、いまや流れてくる音楽は西洋風味のものが大分多くなった感がある。勿論、今でも中華音楽も流れるが、ある歌番組で、雲南省農村部の恋の歌と紹介されるも、エレクトリックピアノとドラム主体による80年代のアメリカン・トップ40風味な伴奏にK-Pop風味な歌唱が加わった感じの曲が流れて来た時は流石に萎えた。

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自由中国の声(台湾)

こちらは局名が示すように中華民国(台湾)からの放送である。短波で良好に受信でき、北京放送と同じく中華音楽を楽しんだり、またこちらは中華ポップスも多く流しており、ときに日本の歌謡曲の台湾カバーなんかも流れてきてまた面白かった。台湾では60年代からすでに欧米日のポップス、流行歌が普及しており自国のポップスも盛んになっていた。ポップ、ラテン、昭和歌謡などと自国の中華風味とが絶妙にブレンドされている音楽なのが興味深い。70年代からのテレサ・テン、欧阳菲菲らの日本など各国をまたにかけた活動も知れた所だろう。話が音楽に傾いたので戻すと、受信報告を送るとやや豪華な冊子が毎度送られてくるのだが、政治関連の子供的には難解な内容で魅力を感じなかった。そんなこともあってか、北京放送へのようには受信報告を送らなかった。2022年現在も良好に受信する事が出来る。

自由中国の声 音楽番組 中華音楽と中華ポップス(1980年)mp3

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KBSラジオ韓国

こちらもお隣ということもあり良好に届いた。KBS国際放送のオープニングテーマ曲(黎明)は、自然を感じさせる壮大でかつ韓国らしい3拍子の素晴らしいオーケストラ曲で大好きだった(2022年のいまもこの曲が使用されており嬉しいが、テンポがやや速まり壮大さがやや失われたのが少々残念)。当時まだ軍事政権ではあったが、当時のNHKラジオと大きくテイストは変わらない感じの放送であったように記憶している。なお"玄界灘に立つ虹"というリスナーからのお便り紹介番組がありそのタイトルが印象的だったが、なんと2022年現在も同番組は(インターネット放送含め)続いており(1965年からの長寿番組らしい)、私の音楽仲間で韓国と日本をまたにかけて活躍する佐藤行衛さんが近年この番組に出演されていたのには非常に感慨深かった。

KBSラジオ韓国 中国語放送の開始音声(1980年)mp3→まずハングル語で始まる

KBSラジオ韓国 日本語放送の音楽番組(1980年)mp3

KBS国内向けハングル語放送の音声(1980年)mp3

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朝鮮中央放送(北朝鮮)

やはり良好に入感し、その極めて独特な放送内容から適当にダイヤルを回せば直ぐそれとわかる放送で、ご存じの通り最もプロパガンダ色、個人崇拝色が濃く、それは10歳過ぎの子供でも感じる事が出来た。当時、BCL専門家でその普及に大きく貢献していた山田耕嗣氏とかも専門誌等でこの日本語放送を紹介するとき、国家のありかたなどに批判的だった事が印象に残っている。また北朝鮮国内向けの朝鮮語放送のアナウンスは、男女ともに凄まじく鬼気迫るハイテンションさがあったのも強烈な記憶として残っている。当時のその感じの放送の録音が中々見当たらないのだが、ブレイク前のBCL体験でハナモゲラ語を編み出したタモリ氏がそのイメージをうまく表現した音声がこちらにある。冷静に考えるとこれは恐らく軍国主義時代の日本のニュース放送などからの影響だったろうと思われる。(ご存じの通り現在も自国向けの放送は中々のテンションだが70~80年代よりはマイルドになっていると感じる) 
当時、10歳過ぎの子供にはベリカードの欲しさのほうが勝ってしまい受信報告を1度送ってカードとペナントをゲットした。因みに当時の同世代のラジオ無線仲間は受信報告に「金主席の資料をお送り下さい」と付記した所、小包でブツが届いたとの事である。GKBR。2022年現在も続いており、放送開始のチャイムが全く同じなど放送フォーマットが40年間殆ど変わってない感じなのには驚かされた。

朝鮮中央放送の放送開始音声(1980年)mp3

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ラジオ・オーストラリア

やや遠目の地域だが良好に聴くことができ、オープニングのワライ・カワセミの鳴き声と、エレクトリックピアノ演奏によるウォルシング・マチルダ(同国の有名曲)がとても印象的な局だった。ただ受信報告を送ったのは一度だけで、放送内容も上述のこと以外は正直あまり印象にない。多くの番組内容は異国情緒が少なく普通に聴こえたのかもしれない。短波放送は2017年に廃止されたとの事である。

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ベトナムの声

音質があまりよくないのと、ハムノイズも多く混じっていて(父親が作った自作ラジオに問題があったのかもだが)聴きにくかった印象が強い。ただ、ベトナムの音楽を紹介する番組の女性DJの日本語がとてもお茶目で大好きだった。その音楽番組の録音テープがあったので先日聴き返した所、沖縄民謡にも通じる曲が流れていたのを覚えていたのと(沖縄音楽と東南アジア圏の音楽に共通点を感じるときが時折ある)、もう一曲、一弦琴のダンバウによる曲をそのお茶目な女性DJが紹介していた。随分のちにダンバウの演奏を観て衝撃を受けたのだが、実はすでにこの時点でダンバウ音楽を聴いていたことになり感慨深かった。受信報告に対し、ベリカードというよりベリレターという感じの物が送られてきたのと番組表はワラ半紙っぽい質の紙だったが、時は1980年、まだベトナム戦争終結からそう時間が経ってないことを反映していたのかもしれない(尤も当時自分も小学校で先生からもらう学級通信誌とかはワラ半紙にガリ版印刷だったが)。2022年現在も短波放送は健在である(最新鋭のBCLラジオで聴いたが、なんかくぐもった音質で相変わらず良好とは言い難かった・・)。

ベトナムの声 音楽番組より(1980年)mp3

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インドネシアの声

ベトナムの声同様、当時の当方のラジオにはどうもイマイチな入感度で偶に聴いていた程度だった。BCL情報誌に「送信機の安定度が悪く放送中に停波することがある」との記述があったが実際そんな感じの不安定な放送だったと記憶している。また受信報告を送っても忘れたころにベリカードが届くという評判で、実際やはり1年ほど経ってやっとカードが届いた。子供には途轍もなく長い時間だった。2022年現在も短波で放送中とのことである。

インドネシアの声の音声(1980年)mp3

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ロンドンBBC放送

英国の放送だが送信はシンガポールからの中継で良好に受信する事が出来た。思えば当時バチカン放送やドイッチェ・ヴェレのようなヨーロッパから送信の日本語放送は聴けずじまいだったように感じる。このBBCは、ロンドンのウェストミンスター宮殿にある有名なビッグベンの鐘の音で放送が開始する。良好に受信できることもありちょくちょく聴いていた。ラジオ・オーストラリアと同様に放送開始の仕方がとても特徴あり強く印象に残っている反面、多くの番組に関しては異国情緒が少なかったのかあまり印象に残っていない。またベリカードをゲットするには国際返信切手券IRCを何枚か同封する必要があったなどコストがかかることがあり、受信報告はあまり送らなかった。BCL愛好家にはお馴染みな放送局だったが、短波日本語放送は早々と 1991年に廃止したとの事である。

ロンドンBBC放送の放送開始音声(1980年)mp3

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↑ 産業革命を起こした国の気概を感じさせる蒸気機関車の解説だが、一番下で紹介されているマラードという高速蒸気機関車は、蒸気機関車なのに時速200kmも出たとの事に驚かされる。そしてこのマラードとは、キャプテン・ビーフハート&マジックバンドが、親分のビーフハートから独立した時につけたバンド名だったりすることにも気づいた。

モスクワ放送

ソ連~ロシアの国営放送。モスクワ放送と言ってもウラジオストックの送信所からの電波なので、中波、短波ともに非常に良好に受信でき、その日本語放送は、北京放送と並んでBCL入門局的な感じだった。特に中波1250kHzの放送は強力で、東京では1240kHzのニッポン放送と夜に競り合ってる感じだった。また私的に初めて海外に受信報告を送りベリカードをゲットした放送局でもあった。プロパガンダ色が強かった筈だが細かいことは分からない子供には北京放送と同様に異国の独特な放送に聴こえ、放送開始前に入るチャイム(これは祖国の歌の引用)、アナウンサーの音声、小学校で聴いていたロシア合唱音楽の荘厳な本国版などが印象的だった。加えて国営の国内向けロシア語放送(ラジオマヤーク)も強力に受信でき、そこではモスクワの夜は更けて(Moscow Nights)」がチャイムで使われていたのも印象深い。この曲は欧米や日本でも様々な歌手、演奏家に取り上げられていたという事を後年知った(Wiki)。またこの曲はバラライカ演奏によるロシア風味を残しつつヘンリーマンシーニ・オーケストラ風にアレンジされたバージョンもナイスで、モスクワ放送でインターバル音楽的に流されていた。当時すでに欧米のポップスや在日米軍放送のFENに親しんでいた一方で、BCLで聴く東側諸国からの独特な質感の放送、そこから流れるフェージングの掛った音楽などに欧米文化とは違ったロマンを感じていたというのはある(社会主義、共産主義に傾倒するような事は一切無かったが)。 また1980年はモスクワ・オリンピックの年で、同時期のソ連のアフガン侵攻への抗議で参加を日本をふくむ西側諸国がボイコットしたこともあり険しい内容の放送があったのもまたよく覚えている。

その後、時は流れ1991年のソ連崩壊後、ロシアが混迷の国だった時期、モスクワ放送の送信機はオウム真理教に貸し出され、その布教放送が彼の地より日本へ向け強力に発信されていたこともあった。一方、モスクワ放送はロシアの声と名称を変えて2014年まで続いたとのことだ。あれだけ容易に聴くことができたモスクワ放送だが、今では日本語を含むすべての言語の放送が全く聴くことが出来なくなった。

モスクワ放送の放送開始音声(1980年)mp3

モスクワ放送(中国語放送)の放送開始音声(2000年頃)mp3("モスクワの夜は更けて"の中国語アカペラバージョンが聴ける)

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↑ BCLをはじめて最初にもらったベリカード 1980/1/8受信とある。小学4年のときだ。

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KTWR 太平洋の声

グアムから送信されていたキリスト教放送局。世界的にも有名なTrans World Radioの一連の局だが、このKTWRは日本人スタッフによる非常にポップでフレンドリーな感じの放送で中波の国内民放局のようだったとも感じている。局名アナウンスもDJがギターを弾きながら  ♪ サンゴ礁の彼方から潮風に乗せて送るよ~K T W R~♪  みたいな感じで宗教放送がもつ堅さ荘厳さは殆どなかったと記憶している。受信報告に対しグアムからベリカードが送られてきたが、後日、当時の自分の住まいのかなり近所の杉並の支部みたいな所から近所の教会の日曜学校への誘いが届いた。海外放送なのにめちゃくちゃローカルな感じがした局でもあった。2007年まで短波放送は続いたそうである。

KTWRのジングルと番組の音声(1980年)mp3

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HCJB エクアドルの声

BCL熱が強かった2年ほどの期間、受信した局は、これまでに紹介したように東アジアの隣国、東南アジア、オセアニアからの電波という感じだが、唯一南米からのを受信できたのがこの日本語放送局。ただその遥々来る電波は弱かったのと、オープニングが日本の"さくらさくら"ではじまっていたのと、この局もキリスト教系の放送であり政治的な内容はあまりなかったように記憶しているが細かい放送内容は覚えていない・・。1回受信報告を送り、しばらくして送られて来たのが下のカード。届いた時にとてもうれしかった事はよく覚えている。2000年までエクアドルからの放送を続け、その後はオーストラリアからの送信で放送が続いているそうである。

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湖南人民広播電台

中国の湖南省のローカル放送局。言語はもちろん中国語の放送だが、日本語講座番組があり(こちらも"さくらさくら"で番組がはじまる)、それを聴いて日本語で受信報告を書いて送ってみた所、ベリリーフをゲットする事が出来た。まぁ当時、BCLer界隈では上述のこともあり日本語放送以外に挑戦するスキルアップのための定番局であり、日本から多くの受信報告が届いていただろうと思われる。実際ネット上でやはり受信報告を送られた方のこういう記事もあったりし、ほぼ同時期なこともあり自分と全く同じ返信な感じである。いずれにせよ、私的に海外放送で日本語のもの以外でベリカードをゲットできた唯一のものであり、届いた時はとても嬉しかった。2番目は同封されていた絵葉書である。

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Radio Japan(NHKの国際放送)

これはベリカードではなく、お礼カードのようなものなのだが、NHKの国際放送Radio Japanのカードである。というのもRadio Japanは、国内からの受信報告にはベリカードは発行していないからである。ダメもとで受信報告書を送ったら、この見た目はベリカードでアナウンサー全員集合な感じのカードが送られてきたので十分嬉しかった。日本人でも海外でRadio Japanを受信した場合の報告に対してはベリカードが発行されており、BCL誌で紹介されているのを目にしたが、日本の美を紹介している素敵なカードが多かった。またRadio Japanの放送開始前のチャイムは、和を感じさせる音階によるとても印象に残るものだった。

RadioJapanの放送開始音声(1980年)mp3

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ラジオ・ベリタス・アジア(フィリピン)

フィリピンからのキリスト教放送。近くの国からだが少々不安定な入感だったように記憶している(記憶違いかもだが)。偶に聴いて受信報告を送った所、レターが届いた。カードは無しで残念。1992年まで短波放送を続けていたそうである。

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FEBCインターナショナル(韓国済州島)

これも番外編な感じになるが、韓国の済州島から送信されているFEBCインターナショナルというキリスト教放送があり、中波の高い方の周波数(1500kHz台)で良好に届いていた。その受信報告に対する返事がこれ。布教活動が目的ゆえか、単なる受信報告でなく番組に対する詳細な感想、意見がないとカードは発行しないとの旨が書かれている。2022年現在も健在とのことだ。

FEBCの放送開始音声(1980年)mp3

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以上、ベリカードで綴るBCL 1980年頃の思い出(海外放送編)でした。
国内放送局編もあります。ぜひご覧ください。


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