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美しい嘘 第一章

私が初めてアルバイトをしたのは、19歳の時、錦糸町のビデオ屋だった。ヨーロッパの名画が好きだったので、アルバイト情報誌の「ビデオ無料貸し出し制度有り」の言葉に惹かれて応募をした。

店長は27歳で、少し変わった人だった。爽やかさとはほど遠い風貌で、どこか人を小馬鹿にしたような薄笑いがいつも顔に貼付いていた。
ただ人望と妙なカリスマ性があり、常に子分のような店員を2人ほど側に引き連れていた。
噂によると、彼の実家はとても裕福で都内に3棟の大きなビルを持っているらしい。

私の少し風変わりなところに興味を持ったのか、ある日の勤務中に映画の話で盛り上がり、話の流れで「送って行こうか?」ということになった。

「家はどこ?」
「船橋です」
「船橋?なんでこんなところでバイトしているの?」 
「大学は東京なので」

千葉か、遠いな...とぶつぶつ言いながらも、内装に200万かけたという乗り心地の悪いシルビアで家まで送ってもらうことになった。彼の運転だと高速を下りるまで30分もかからなかった。

「疲れたから、ファミレスに寄っていこう」

私たちは花輪インターを下りたすぐのデニーズに寄った。そこで聞いた彼の話は、圧倒される程に非現実的でスリルと冒険に満ち溢れていた。

ゴッホが好きで、画家を目指し無一文でフランスに旅立ったこと。
モンマルトルで絵ばかり描いて暮らしたこと。
フランス女達に食べさせてもらったヒモのような暮らしや、嫉妬深い彼女たちとの激しい恋の修羅場。
いかがわしい場所で働いて、拘置所にいれられたこと。カジノにはまって莫大な借金を作ったこと。お金も女も尽きて物を拾って食べたこと...。

「ちょうどその頃、君と同じくらいの歳だったよ」

私は、唖然としたり、感心したりしながら飽きもせず何時間も彼の話を聞いていた。それから遅番のシフトが一緒の時は家まで送ってもらい、デニーズに寄って長時間話をするのが私たちのお約束になった。

彼は、スナフキンのような生き方を目指していると語った。
風の吹くまま、気の向くまま。
来るものは拒まず、去る者は追わず。
旅と自由を愛し、出逢った相手に情は挟まず、その日の感覚だけで生きていると。

中・高校生と退屈な生活を送り、特に仲の良い友達もいなかった私にとって、彼の存在は刺激的と同時にオアシスのような癒しになっていった。

彼には同棲している私より年下の彼女がいた。同じバイト先の、男の子と見間違うようなボーイッシュな女の子だった。

私にも当時付き合っている人がいた。
ただそのバイト先の彼とのプラトニックな関係について、罪悪感を持ったことは一度もなかった。
もしかしたら私も感覚だけで生きていたから、どこかで彼に共鳴したのかもしれない。

ただ、彼に対して好きな気持ちがなかったというと嘘になる。
会話がふと途切れたとき、彼が車のキーを弄ぶと「帰ろう」と言われないか不安になり、煙草に火を点けると、あと5分は一緒にいられると胸を撫で下ろしていた。

私は、彼の煙草を持つ指先をただ祈るように見つめていた。

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