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ユーラシア大陸横断日記20 バクー(アゼルバイジャン)

ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。

カザフスタンのアクタウで、カスピ海横断フェリーを待って過ごす日々。
1度乗船に失敗したものの、何とか無事にフェリーに乗船しました。
船はカザフスタンのアクタウからカスピ海を横断してアゼルバイジャンのバクーへと進みます。

前回はこちらです ↓

カスピ海を渡る

アクタウの街も完全に見えなくなり、360度見渡す限りのカスピ海上を進んでいく。

そのまま夕日を迎え、夜になり、朝になった。

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やがて、海上油田の姿がちらほらと目につくようになった。

アゼルバイジャンは石油資源でとても潤っている国。

少しずつ、アゼルバイジャンに近づいていることがわかった。

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そして、ふたたび夕日を迎えるころ、フェリーはバクーの港に到着。

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船を降りて入国の手続きとなるが、ここから入国までさらに2時間ほどかかってあたりはすっかり夜に。
この2時間でかなり疲労したけれど、なんだかんだで無事アゼルバイジャン入国!

港のすぐ外で待っていたタクシーに乗って、見当をつけていた宿に送ってもらった。
カザフスタンから一緒にカスピ海を横断した大学生2人、そこにこの大学生の知り合いの女性が1人合流して4人になった。

バクーの日々

バクーでももちろん特に何かやるべきことがあるわけではなくて、ぶらりと出かけてはあちこち散歩して過ごしていた。

かつて城塞都市だったバクー。城塞と、その中に旧市街が残されている。
歩いているとタイムスリップしたみたいで楽しい。

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ゾロアスター教の寺院アテシュギャーフ

ある日、せっかくだからとバクー郊外にあるゾロアスター教寺院、アテシュギャーフにみんなで出かけてみた。
バクーからおよそ20kmほどの位置になる。

アテシュギャーフや後述のヤナルダグはバクー市街からの距離が20km~25kmほどで、アクセスがそれなりに不便なのでタクシーの利用が便利です。バクー市街からはおそらく30分ほどかかると思います。

ゾロアスター教は拝火教ともいわれ、善の象徴として火を崇拝する。
古来中東では中心的な宗教だったけれど、イスラム教の台頭とともに衰退。
世界史で勉強したから言葉としては知っていたけれど、実際に残っているものを見るのは初めてだった。

当日はあいにくのお天気だったけれど、人数もたくさんいることだしタクシーをチャーターして出発。
しばらく走ると草も木もない荒原のようなところに出て、そこにポツンとあったのがアテシュギャーフだった。

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地下資源の豊富なアゼルバイジャン。ところどころ天然ガスが地面からあふれ出る場所があり、そこに火がついて延々と燃えている。
寺院でも、日干しレンガの積まれた中にゆらめく炎があった。

タクシーを使ってアテシュギャーフ近くのヤナルダグとよばれる場所にも行ってみた。
ここでは地面から火が噴き出しているようすを間近で見ることができる。

草や木が燃えているわけでもなく、なにもない地面から火が噴き出す、確かに、この光景を目にしていれば火を崇拝することも自然な気がする。
拝火教の起こりはこういったところからだったのかなと思った。

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ゾロアスター教の寺院に行った以外は、特に遠くに出かけて観光というようなこともなく、カスピ海沿いから城壁に囲まれた旧市街を散歩し、ホテルの前にあるケバブ屋さんでケバブサンドを買って食べるような毎日。
ゆるゆる過ごしつつこのあと進んでいく方向を思案する。

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イランへ

アゼルバイジャンからグルジア(ジョージア)へ行くことも考えていたのだけれど、2008年8月にグルジアとロシアの間で戦争が起こり(後に南オセチア紛争とよばれる)、これを避けて南に進路を取りイランへと進むことに決定。

アゼルバイジャンはカスピ海の西に位置しており、その南側でイランと国境を接する。
バクーから南、イランとの国境も近い場所に「イスティスゥ(Istisu)」という温泉地があるらしいので、そこに寄ってからイランに行くことになった。

チャリダーの大学生は西に進んでいくため、ここでお別れとなった。
アクタウで一緒になり一緒にカスピ海を渡って、なんというかこの旅の中でも特別な時間を共有したのでなんだかすごく寂しかったけれど、ほんといつも一期一会。

もう1人の大学生とバクーで合流した女性とともに、バクーから夜行列車を使って移動して、イスティスゥへ進む。

こちらに続きます↓


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