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【小説】空と幸せの間 中

叔父に託された鳥たちとの新生活が始まった恵。しかし様子の変わった恵を友人が疑い始め――。
前回の「空と幸せの間 上」

の続きです。次で終わります。

「今日恵の家いっていい?」
「なに急に。テストまだ先だよ」
「だって鈴木がメンドーな宿題だしてきたじゃん。あたし一人じゃ絶対ムリ。恵頭いいんだから手伝ってよ」

 なんで明後日までにワーク十ページもやらせるわけ? 英文作るのマジメンドーなんだけどと文句をたれる莉子に苦笑が漏れる。が、今日ばかりは首を縦に振るわけにもいかなかった。

「ご、ごめんね。今日は莉子の家でもいい?」
「なんで? 恵のほうが近いじゃん」

 じろりと明るい茶が恵を映す。その中にはありありと猜疑の色が現れていた。

「ねえやっぱり恵なんか隠し事しているでしょ。あやしいんだけど」
「なんにもないよ」
「うそ。あたしの目は騙されないんだから」

 ずいと顔を近づけられて、恵の足が一歩後ずさる。こつんと壁に背が触れた。

「とにかく今日学校終わったら恵の家行くからね! これはもう決定事項だから!」

 高らかに宣言した莉子は長い髪をひるがえし、さっさと自分の席に戻ってしまった。呼びかけても視線一つ返ってこない。
 こうなれば莉子は意地でも家にやってくるだろう。あの子たちをどうやって隠すべきか。恵は入ってきた教師の気だるい声を聞き流しながら、重い足取りで自分の席に足を向けた。


「じゃ、ちょっと部屋片づけるから待ってて」
「恵の汚いはあたしの中でのきれいだから大丈夫」
「いや最近忙しくて本当に汚いから」
「大丈夫、大丈夫。あ、おばあちゃーんお邪魔してまーす。今からあたしたち勉強会やるんでー」

 表で客の相手をしていた母が振り返る。小じわの刻まれた顔が二人を認めた瞬間、口元に親しげな色が浮かんだ。

「ああ、莉子ちゃんいらっしゃい」

 しかしそれは恵に視線を移した途端に一変し、鋭い棘が突き刺さる。

「恵、家に友達呼ぶなら事前に言いなさい。ごめんね莉子ちゃん。おばちゃん、今店番やっているから大したおもてなしできないの」
「ううん、気にしないで。あたしがいきなり押しかけただけだから」
「そう? 本当にごめんねえ。恵、この前向かいのおばあちゃんにもらったお菓子あるでしょう。あれ出してくれていいから」

 口を開ける暇も与えず、母は背をそむけてしまった。話を中断してしまったことを詫びる高い声が途切れ途切れに届く。こうなってしまえば恵に打つ手はない。勝手知ったるように裏口を開ける莉子に、今度こそ深い嘆息を落とした。


「ちょっと莉子なにやっているの」
「んー? 恵の彼氏の証拠探し」

 部屋に入るや否や、莉子は机の引き出しを開けたり、ベッドの下を覗きこんだりし始めた。

「あるわけないでしょ。そもそもいないんだから。ふざけてないで早くノート広げなよ」
「だって隠し事といえば彼氏一択でしょ」

 そう言いながらわずかに開いたクローゼットに手をかける。

「ちょ、ちょっと待って!」
「ん? やっぱり隠してたんだ。恵の彼氏の顔おがんでやろーっと」

 待ったをかけたところで相手が止まるはずがない。にやつきを隠しもせず、莉子は思い切り戸をあけ放った。

「は? え、鳥? マジで!?」

 さっと段ボールの隅に身をよせる音がしたが、もともと隠れ場所なんてない。あっさり莉子に見つかってしまったようだった。

「ちょっと莉子、あんまり大声出さないで。母さんがきちゃうでしょ」

唇に指をあてて咎める。莉子は手で口をふさいで何度も頷いた。

「ごめん。や、でもマジで鳥なの?」
「みればわかるでしょ」
「いやそうなんだけど、一瞬しか見えなくてさ。見間違いだったかなーって思って」
「そんなことないでしょ。現にそこにいるじゃない。脅かしてごめんね。みんな出てきて大丈夫よ」

 まさに恐る恐るといった様子でハレが一歩ずつ前に出てくる。

「大丈夫、今となりにいるのは莉子っていうの。私の友達」

 安心させるように笑顔を作る。瞬間、ピイとハレが鳴いた。

「わっいきなりヒナが現れた!」
「いきなりってなによ。さっきからずっとそこにいたじゃない」
「え、だって本当にいきなりぱって、目の前に現れたんだけど。魔法みたいに」

 一体何を言っているのか。巣の中にあるのは給水所と餌、水浴び場だけだ。だが莉子にもふざけている様子はない。必死に言い募る姿には嘘をついているとは到底思えなかった。

「とにかくこれ内緒にしておいてよ。母さんにばれたら一大事なの」
「あ、うん。おばちゃん生き物苦手だもんね。わかった。……ね、これ触ってもいい?」

 遠慮がちだが、手は明らかに触りたくて仕方がないとばかりにうずいている。恵は大きくため息をついた。

「いいよ。この子たち人懐っこいから。ほらおいでハレ」

差し出した両手にハレは迷いなく飛び込んできた。ふわふわの青い羽毛は心地よい温かさを伝えてくる。

「はいどうぞ」
「この子ハレっていうの?」
「うん。青の濃いほうがソラ、その隣でこっちをじっと見つめているのがアオイ」

 莉子はそうっと指を近づける。ハレはただその指先を目で追っているだけだ。指が柔らかな羽毛に触れ合った瞬間、歓声が上がった。

「なにこれふわっふわ! しかもチョーおとなしいし、めっちゃかわいい! ね、恵これどこで拾ってきたの? こんなきれいな鳥みたことない」
「拾ってないよ。叔父さんがくれたの。叔父さん曰く幸せの青い鳥らしいけど」
「なにそれチョーうさんくさ」

相変わらずだねーと莉子は笑った。明け透けだが嫌味のない言い方に恵も苦笑いしか返せない。叔父が嘘か真かわからない冗談を飛ばしていたのは事実であるし、正直、恵自身も彼らが幸せの青い鳥なのかは半信半疑なのだ。

「んで恵はこの子たち一人で育ててたんだ。すごいじゃん」
「まあ図書館とかネットの力は借りたけどね」
「でも単に知っているだけなのと実際にやれるのは別じゃん。え、この子たち何たべるの? なんか入れ物二つあるけど、片方は水浴び用? なんで電球がつりさがっているわけ?」

 ハレのアホ毛をつつきながら、矢継ぎ早に質問を重ねてくる。

「餌は向日葵の種。大きいほうは水浴び用であってるよ。電球は温度調節のため」
「え、ヒマワリの種だけなの? 昔近所のじいちゃんが飼っていたニワトリ、なんかもっといろいろいれていた気がするんだけど」
「うん。いろいろ調べてみたけど向日葵の種だけじゃ栄養偏るかもしれないと思っていろいろやってみたんだ。粟玉とかドックフードとか。でも全然食べなくて。でもちゃんと体は大きくなるし、もうそれでいいかなって」
「へー。あ、だからヒマワリ育ててたんだ。いきなりヒマワリやらアサガオやら育て始めたから、ガーデニングにでも目覚めたかと思ってた」
「うん。それよりも水のほうが大変」
「水? 水道水じゃだめなわけ?」

莉子は首を捻っている。その間も指は止まらない。ハレは抵抗もせず、莉子を受け入れている。というよりも恵の手の中で寝ているようだ。先ほどまであんなに怯えていたのに存外肝が太い。

「そう、水道水は嫌がって口もつけないの。雨水は飲んでくれるけど渋々って感じ。だから水浴び場の水は雨水で、飲み水には数滴朝露たらしているの」
「へえ朝露好きなんだ。あたしには違いわからないけど」
「私にもわからないよ」

 抗議するように下から鳴き声が上がる。気づけば膝に触れあうところまでアオイとソラが来ていた。膝の上に飛び乗り、何かを訴えるようにつついてくる。

「あはは、なんで味の違いわかんないのって言っているみたい」
「だって本当にわからないんだもの。じゃあ莉子は雨水と朝露の違いわかる? 朝露とアサガオの朝露の違いわかる?」
「わかるわけないじゃん。私人間だもの」
「私だって同じなんだけど」

 じとりと睨みつけても、莉子は笑い転げるだけだ。二羽は未だに訴え続けている。目覚めたハレまで加わって、余計に部屋が騒がしくなってきた。

「あーもう! ハレ、アオイ、ソラ、あなたちは家に戻りなさい。私今から莉子と勉強するの!」
「えー提出明後日なんだから今日はずっとこの子たちと遊んでもよくない?」
「よくない。今日は勉強するって言ったのは莉子でしょ」

 莉子はハレに甘嚙みされ、締まりのない顔を晒している。そんな彼女を一睨みし、ハレを降ろして三羽の背を押した。恵の恐ろしいオーラを察したのか、三羽はそそくさと段ボール箱の中に戻っていく。

「じゃあ私お菓子とってくるから、ノート広げて待っていてね」
「その間ハレちゃんたちと遊んでいていい?」
「駄目に決まっているでしょ。ハレたちも遊んでいたら、これから三日間アサガオの朝露いれてやらないからね」
「えー恵の鬼ぃ!」
「ピッ!? ピイピイ!」

 両者から悲痛な声が上がる。恵は鼻を鳴らして、階段を降りていった。


 それから莉子は三羽に会うために勉強会という名目で家に入り浸るようになった。もともと部屋をもらってから鍵をかける習慣がある上、両親ともに店の仕事があるので、こちらが何をやっているかなんて明らかになることはない。傍からみれば二人とも熱心に勉強しているだけにしかみえないだろう。
 だからこの手の話題がくることは予想しておくべきだったのだ。

「恵、そろそろ進路調査なんでしょ? どこにするか決めた? 莉子ちゃんは○○大の看護学科に進むそうよ」

 口に放り込んだ茄子のひき肉炒めが急に味気なくなってしまった。詮索する視線から逃れるように白飯をかきこむ。

「おいまさかまだあの大学に行きたいとか言うんじゃないだろうな」

 父の眼光が鋭くなるが、恵は無言を貫く。

「聞いているのか恵。お前は地元の○○大に行くんだろう。あそこの何が不満なんだ。落ち着いた校風に、卒業生だってそれなりなところについているんだぞ。第一お前が憧れている大学なんてどうせろくに勉学に打ち込みもせず遊んでいる奴らばかりだろう。都会だからってきれいなところだけが取り柄の――」
「いい加減にしてよ!」

 机を叩きつける音が響き渡り、皿が飛び跳ねた。父の浅黒い顔が一瞬呆気にとられた。が、すぐにこめかみに青筋が浮かんだ。普段であればこの時点で頭を下げていただろう。だが我慢の限界だった。視界の端におろおろする母の姿が映ったが、口は止まらない。

「恵! 親に向かってなんて言い方をするんだ」
「じゃあ何? 親ってだけで娘の志望大学をいくらでも貶していいんだ? もういいよ。父さんが求めているのは私じゃなくて思い通りに動く跡継ぎだもんね。○○大? ふざけないで。あそこに私の行きたい学部はないし、目指しているところは偏差値だってはるかに高いところなんだけど」

 娘の初めての抵抗に父が鼻白む。それでも動揺を悟られまいと声を荒げる姿をどこか冷めた目で眺める自分がいた。

「そ、そんなこと言わなければわからないだろう!」
「言ってきたよ、ずっとね。父さんには届かなかったみたいだけど。あと私この店継ぐ気ないから」
「恵!」
「ごちそうさま」

 食べかけの夕飯もそのままに恵は階段を駆け上がった。怒鳴り声が追いかけてきたが、振り返りもせずドアを乱暴に開ける。壊れそうな勢いで閉めるや否や鍵をかけた。そのままずりずりと腰を下ろす。

「なんであんな反抗的になったんだ。やっぱり兄貴の影響か?」
「ま、まあまああなたも落ち着きましょう。恵のほうには私から言っておくから。きっと落ち着いたら、恵も言い過ぎたって謝りにくるわ」

 叔父の悪態をつく父ととりなそうとする母の会話がドア越しにも漏れ聞こえる。恵は乱暴に髪の毛をかきあげた。
 父をなだめているようだが、結局のところ母だってこちらの味方ではない。いつだって母は父の味方であり、家長である彼の意見が尊重されてきた。自分の声は、都合のいいことしか拾ってくれない。

「どうせ私のことなんてみちゃいないわよ」

 膝に頭をうずめる恵の足先へふいに温かいものが触れる。艶やかな黒が三組、こちらを見上げていた。

「……ハレ、アオイ、ソラ」

 ぎゅっと三羽を抱きしめる。青の塊はそっと頬にすり寄ってきた。干した布団のような香りが鼻腔をくすぐっていった。


 翌朝。猫なで声で説得にかかる母を無視して学校にいく。父とは口をきくどころか一瞥すら投げなかった。

「恵おはよー。……どうしたの? 何かあった?」
「父さんと進路のことで喧嘩した」
「あー……恵の行きたいところ東京だもんね」

 莉子が遠い目をする。彼女は慰めるようにポケットからイチゴ味の飴を一つくれた。

「代々続いているからって何よ。田舎だから昔の付き合いで細々とやってこれただけでしょ。ただ無駄に長いってだけで偉そうに」

 飴を嚙み砕く。甘ったるい人工的な果実の味が舌の上に広がった。

「まあ、恵のやりたいこととあってない感じはするよね。ここに残ってほしいおじちゃんたちの気持ちもわからなくはないけどさ、恵の頭だったら○○大よりもっと上の大学のほうがいいし」
「そもそも私の行きたい学部はないって何度も言っているのに」

 はあと重苦しいため息が漏れる。

「まあまあそろそろ夏休みなんだし、元気だしてこ! あっ、そうだ。今度カラオケで思いきり二人で歌いにいこうよ。約束したしさ」

 肩を落とす恵の頬を引っ張り、莉子は快活な笑顔を浮かべた。そこに自分を気遣う優しさを見つけて、潤んだ涙腺を閉めるように唇を引き結ぶ。

「うん、ありがとう莉子」
「いいって! ね、いつ行く? あたしの推しアイドルの歌一緒に歌おうよ。最高にいい曲だからさ」
「それいいね」

 肩を組んで莉子が笑う。胸中の苦いものを振り払って恵も無理やり口角を上げた。


「ただいまー。ハレ、アオイ、ソラ元気にしてた?」

 だがいつも出迎えてくれる騒がしい声はない。

「……ハレ? アオイ? ソラ?」

 閉めたはずの窓がわずかに開き、カーテンだけが寂しく揺れていた。


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