見出し画像

【小説】空と幸せの間 上

「どうか願わくば、あの子たちを愛してやってくれ」
亡き叔父がよこした幸せの青い鳥と少女の話。上中下三本の話です。

『かわいい姪っ子の恵へ 
お前がこれを読んでいるとき、恐らく俺はもうこの世にはいないだろう』

 手紙の書き出しはそう始まっていた。初夏の青々しい香りが微かに薫る日、少女宛てに届いた一通の手紙と小包。差出人は叔父。先月、どことも知らぬ外国で命を落とした叔父だ。

『きっとお前の父さんを始めとした親族たちは鼻つまみ者の俺の葬式なんて簡単に済ませちまって、むしろ恥さらしがいなくなって清々したとまで思っている頃だろうな』

 悲しいことに事実だった。叔父は高校を卒業するや否や、家業の酒屋を父に押しつけてそのまま海外に飛び出し、バックパック片手に世界を回って、ときどき父に金を無心しにくるような男だった。だから父のみならず親戚中に疎まれていた。
 それでも恵は叔父のことが憎めなかった。膝の上で聞かせてもらった冒険譚は片田舎の狭い世界で生きてきた少女にとって、箱庭に開けられた窓のように新鮮な風を送ってくれたのだから。

『まあそんなことはどうでもいいんだ。俺も好き勝手やらせてもらった。今更死んだ後の始末に文句を言う筋合いなんてないさ』

 実に彼らしい言葉だ。顔を出しただけで、父に塩をぶつけられたときも腕を上げたなお前、甲子園出られるんじゃないのかと大口を開けて笑っていたような人だったから後悔なんて本当に微塵もないのだろう。

『でもこんなどうしようもない俺を慕ってくれた恵には何かしてやらなきゃなあと前々から考えていたんだ。誕生日プレゼントもお年玉もやったことがなかったしな』
「そんなことしなくても別にいいのに」

 恵は彼の話が聞ければ十分だった。アマゾン川を渡る船でジャングルに暮らす原住民と成り行きで飲み比べすることになったこと。香港で危うく薬の密売人にされそうになったこと。パリでスリから逆に財布をすったこと。アフリカで身ぐるみはがされて腹踊りしたらなぜか親友ができたこと。嘘か真かわからない話ばかりだったが、どれも心躍らされるものだった。

『だから今までの分も合わせてとびっきりのものを送ることにしたんだ。聞いて驚け。親友が用意してくれた最高のプレゼントだ。恵もきっと気に入る。そう、それは』

 そのとき甲高い鳴き声が聞こえて恵は顔を上げた。それは動物の鳴き声のようだった。また雨戸の隙間に鳥が巣を作ったのだろうか。それにしては声が近い。耳をすましていると小包がガサリと動いた。

「まさか……」

再び小包が揺れる。恵は恐る恐る包みを開封した。

「ピイピイピイピイ!」

 瞬間、現れたのは黒い肌に青い産毛がうっすらと生える程度のヒナ三羽。けたたましい鳴き声が鼓膜をつんざく。

「え、と、鳥!?」

 慌てて続きに目を通す。

『幸せの青い鳥だ。小さい頃、お前小鳥が欲しいって言っていただろう。世話はちと面倒だが、なに器用な恵ならできるさ』
「なによ。私一人で育てられると思ってんの。お母さん毛が生えた生き物苦手なのよ。だからペット諦めていたのに。そんなことも忘れていたの、叔父さんのばか」

 叔父のことだからきっと頭からすっかり抜け落ちていたに違いない。ただ幼い自分の言葉だけを覚えていて、あの頃みたいに手を叩いて喜んでくれるのだと疑いもしなかったのだ。

『だからどうか願わくは、その子たちを愛してやってくれ』
「……叔父さん」

 くしゃりと紙に皺がよる。ちらと視線をヒナたちに目を向ければ、彼らは突然黙り込み、じっとつぶらな瞳を恵へ向けてきた。混じりけのない黒曜石が恵の心をじわじわ責め立てる。

「あーもうわかったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」

歓声を上げるようにヒナたちが一斉に鳴いた。


「でも鳥なんて飼ったことがないのに、どうやって育てろっていうのよ」

 しかもただの鳥ではない。叔父曰く幸せの青い鳥だ。取扱説明書のようなものはないだろうか。手紙が入っていた封筒をひっくり返すと、パサリと四つ折りに折り畳まれた紙が滑り落ちる。

「なんだ叔父さん、ちゃんと飼い方まで入れておいてくれたのね」

 叔父のことだから、もしかしたら入れていないかもと一抹の不安がよぎったのだが、杞憂で終わりそうだ。黄ばんだ紙には見慣れぬ異国の文字。その下にミミズののたくったような叔父の訳が添えられていた。

『一、朝顔の朝露を飲み水として与えること。他の朝露でもよし。どうしても朝露が集められなかった場合は、最悪雨水でも可
二、向日葵の種を与えること
三、この鳥は愛で成長する。惜しみなく愛を与えること』

「え、何このふわっとした説明……。もっとこうあるでしょ!? ケージとか掃除の仕方とか、遊び道具とか。水と餌しか書いてないし! しかも地味に面倒くさい。最後のなんて何よ! 愛って! 今どきドラマでも見ないわよ!」

 思わず紙を握りつぶす。こんなもの説明書とは呼ばない。

「他に何か書いていないのかしら……」

 もう一度紙を広げ、改めて眺めると隅に小さく走り書きが残されていた。

『この鳥が成鳥になった暁には飼い主の望みを叶える』
「へえそこは青い鳥らしいのね。叔父さんのことだから本当かどうかわからないけど。ま、とりあえず名無しじゃ可哀想だから名前つけなきゃね」

 改めて目の前のヒナたちを眺めるが、どれもこれも産毛に包まれた黒い塊にしか見えない。位置が変わったら区別できるのだろうか。

「ま、そのときはそのときか。じゃ……とりあえず右からソラ、ハレ、アオイ! 今日からあなたたちはソラ、ハレ、アオイよ! よろしくね」

 一羽、一羽指を指してその瞳を見つめれば、ヒナたちも返事をするかのように鳴き声を上げる。小包を菓子の箱にいれ、恵はクローゼットの戸を開けた。

 翌朝から恵は起きる時間を一時間ずらすことにした。寒暖差の激しい地域のため朝露ができやすいのは幸いだが、飲み水用となるとどれほど準備しなければならないのだろうか。雨水も溜めておくべきだろう。それにヒナを育てるための機材も買わなければ。お小遣いで足りるだろうか。向日葵の種は向かいのおばあちゃんがくれるからいいとして……

「ああもう! 考えること多すぎ」

頭をかきむしる恵の口元は、しかし言葉とは裏腹に大きな弧を描いていた。


「恵ぃ―今度カラオケいかない? あたしがリクエストしていた曲、やっと入ったんだよね」

 巻いた毛先をもてあそびながら莉子が問う。駅前に一軒しかないカラオケ屋は親世代、もしかしたらそれより上の世代の曲は豊富なくせに、流行りの曲でさえも一年は待たなければ入ってこないような店だったが、この町の数少ない娯楽である。そのため年頃の少年少女たちは大体そこに入り浸っていた。それ以外に集まるところなんて町唯一の大型ショッピングモールくらいしかない。だから必然的に遊ぶ場所も二択に絞られる。恵も常であれば一二もなく頷いていただろう。

「う、うーんごめんね。私今日は用事あるから」
「えーまたぁ? この前もそう言っていたよね。なんだか最近恵ノリ悪―い。なに、彼氏でもできた?」
「ち、ちがうちがう! 本当にごめんね? 次は必ず行くから」
「本当に? 約束だからね」

 手を合わせて謝れば、不満げな色をありありと浮かべながらも莉子は渋々引き下がった。

「じゃ、また明日」
「恵、次約束破ったら朝までコースだから」
「それは魅力的だけど、お父さんが許してくれないから勘弁して!」
「恵が約束破らなきゃいいだけの話でしょー」

 友の声を背に恵は茜色の廊下を駆けた。


「ソラ、ハレ、アオイ元気にしてた?」

 そっとクローゼットの戸を開ける。出会った当初はまだ微かに夏の気配が感じられる程度だったというのに今や日陰にいても汗ばむ。光が差し込んできた瞬間、ぱっと青い毛玉が飛び出した。

「こらハレ、いきなり飛び出るのはやめなさいっていっているでしょ。私以外あけたらどうするの」

 どうかした? とでも言いたげに首をかしげたのはハレ。三羽の中で一番活発的で、扉を開ければいの一番に出てくる子だ。ハレの後に続いてぴょんぴょん飛び跳ねながら膝の上に乗っかってきたのはアオイ。最後に巣の中から顔だけのぞかせているのがソラ。
 産毛しか生えていなかった彼らも、羽らしき毛がそろい始め、見分けもつくようになってきた。一番青が濃いのがソラ、頭に一本アホ毛が飛び跳ねているのがハレ、羽の先端がほんのわずかに白いのがアオイ。ソラとアオイの名前を逆にしてやればよかったなと思ってしまったのは秘密だ。
 身体もずいぶん成長した。片手に余裕で収まっていたヒナたちも今ではソフトボール大になり、両手で包みこまなければならない。そのため現在の彼らの家は段ボール箱に新聞紙を敷き詰めたものだ。

「それにしてもいつ大人になるんだろう、この子たち」

 三羽を育てると決めてから、恵は学校の図書館から市の図書館、パソコンで鳥の育て方を調べつくした。ペットショップの店員にも尋ねてみた。だが幸せの青い鳥の育て方なんて当然本やインターネットにあるはずがない。見よう見まねでやるしかなかった。何とかなっているのは奇跡だろう。
 鶏は約半年で卵を産むようになる。しかし叔父の言葉が真実ならば、この子たちは愛で成長するのだ。いつ大人になるのか。そして願いを叶えたらどうなってしまうのか。

「あんまり大きくなりすぎないといいけどなあ……」

 できれば今の大きさから一回り大きくなる程度でおさめてほしい。でなければ母に隠し通せなくなってしまう。大きなため息が部屋に響き渡る。
 ふいにふわりと暖かな何かが手に触れた。いつの間にか奥にいたはずのソラまでもが恵の手に擦り寄りながらこちらを見上げていた。まるで案ずるような目だ。思わず笑みがこぼれ落ちた。

「大丈夫だよ。ありがとうねみんな」

 頬ずりすれば、ヒナたちも甘えた声を上げた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?