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【小説】空と幸せの間 下

突然いなくなってしまった三羽。恵は彼らを探して町へ出るが――
前回の「空と幸せの間 中」

の続きです。これで終わります。

「……ハレ? アオイ? ソラ?」

 閉めたはずの窓がわずかに開き、カーテンだけが寂しく揺れていた。
 嫌な予感が背筋を駆け抜けた。震える手でクローゼットの戸を開ける。隅に固まって寝ているだけだと信じて。
 しかし予想に反して段ボールの中は空であった。その外にも姿は見えない。ベッドの下にも勉強机の下にも、本棚の隙間にもいなかった。全身から力がぬけていく。
 どうしよう。たしかに窓に鍵をかけた記憶はあるのに、なんで窓が開いているの。

「ハレ、アオイ、ソラ返事してよ」

 脳裏ではいつもの明るい声が返事を返してくるのに、部屋は不気味なほど静まり返っている。左手で己が身を抱きしめながら、ポケットのスマホを取り出す。タップするのは一番信頼できる人物のもの。

『もしもし恵? どうしたの?』

 唇がわななき、上手く声が出せない。何とか喉に息を通そうとするも細い笛のような音が漏れただけであった。

『恵?』
「……莉子どうしよう。ハレもアオイもソラもいなくなっちゃった」

 電話越しからでも息をのむ音が鮮明に聞こえた。

『恵、今どこ』
「どこって部屋だけど」
『わかった。今すぐそっち向かうから恵は裏口あたりで待っていてよ』
「でも今から探しても……」
『じゃあこのまま見つからなくてもいいわけ!? 絶対に後悔するよ。あたしもつきあうから一緒に探そ!』
「……うん。ありがとう」
『じゃ、今から全速力で向かうからちょっと待ってて』

 言い終わるや否や通話が切られる。へたりこみそうな足を叱咤し、恵は頬を叩いて立ち上がった。


「恵!」

 凄まじい勢いで真っ直ぐこちらに向かってくる人影が一つ。手を上げれば、影も手を上げて応えた。鼓膜をひっかくけたたましいブレーキ音が響き渡り、数歩先で自転車が止まる。

「部屋にはいなかったんだよね?」
「うん。あの後探してみたけどどこにもいない」

 つり目がちな目がさらに吊り上がり、眉間に深い皺がよった。が、前を向いて莉子は元気な声を張り上げた。

「じゃあ一回ぐるっと回ってみよっか。多分すぐ見つかるって」

 恵はこくりと頷いた。スカートの裾を握りしめる指先は白い。


「ハレー、アオイー、ソラー出ておいでー」
「ハレー、アオイー、ソラー大好きなヒマワリの種あるよ。出ておいでー。でないとあたしが食べちゃうよー」

 ぐるりと取り囲む山々が、切り絵のように黒々とした壮大な姿を見せつけている。夕焼けが田んぼの水面に反射してキラキラ光る中、自転車と二人の少女の影だけがゆっくり動いていた。町内を散々回った足は筋肉痛を訴え続けている。正直、もう一歩も動きたくない。だが恵は足を止めなかった。

「ねえ恵、もう帰ろ。ほらなんだっけ、鳥ってさ、キソーなんちゃらがあるって言うじゃん? もしかしたら家にいるかもよ」
「やだ。まだ全部回りきれてない。もうちょっと回ってみる」

 陽が沈みかけのため、照りつくような暑さはもうないが、じっとりとまとわりつくような湿気が気持ち悪い。流れ落ちる汗を拭って再び足を動かす。

「恵、もう陽が落ちかけているよ。そろそろ帰らないと帰り真っ暗になっちゃうって」
「じゃあ莉子は先帰っていていいよ。私一人でも探す」
「恵!」

 肩を掴んだ手を振り払って恵は叫んだ。

「だって私が見つけなきゃ! こうしている間にもカラスにいじめられているかもしれないんだよ。見知らぬ場所で震えているかも。あの子たちは私の大事な家族なの! 私が、私が見つけてやらなくてどうするの!」「恵……」

 みたこともない剣幕でまくしたてる恵に絶句していたが、やがて覚悟を決めたようにその双眸に確固たる光を宿した。

「わかった。恵がやるならあたしも最後までつきあう」

 陽が山の向こうに消えていく。街灯もろくにないあぜ道は、完全に陽が暮れてまえば、一寸先も見えない闇に覆われてしまう。その前に駅前に着かなければならない。二人は痛みを訴える喉を無視し、さらに声を張り上げつつ歩くペースを速めた。
 結局、三羽は見つからなかった。虫の声が響く夜の町を二人でとぼとぼと歩く。

「大丈夫だって! きっとみんなもどっているよ」

 殊更明るい励ましが、胸をじくじく刺す。淡い希望にすがりたいが、心のどこかではわかっていた。きっと彼らは戻っていない。仮にも彼らの親なのだ。この直感は間違っていないだろう。

「……うん、莉子もありがとう。ごめんね? つき合わせちゃって」
「いいって! あたしたち友達でしょ」

 にっと笑う彼女へ恵は力ない笑顔を返した。


 思っていた通り、部屋に帰っても段ボール箱はもぬけの殻であった。生ぬるい空気が肌にまとわりついているはずなのに、やけに寒々しく感じられる。我が身を抱きしめ、窓をわずかに開けたまま恵は瞼を閉じた。
 それから一週間。毎日毎日、朝早く起きて、三羽がいそうなところを探した。放課後も町中を歩き回った。だが彼らの姿はおろか羽一枚すら見当たらない。

「ほんとどこ行っちゃったんだろうね」

 気丈に振る舞っていた莉子の顔にも落胆がにじみ出ている。恵はコンクリートに転がる小石を半ば八つ当たりのように蹴りつけた。

「早く見つかるといいね」
「……うん」

 鞄を握りしめる。じりじりと肌を焼く太陽が憎らしくてならなかった。


 その日の晩。物音で恵は目を覚ました。枕元の目覚まし時計は真夜中であることを伝えている。

「なに? こんな時間に」

 起き上がって恵は固まった。そこには三羽が顔を寄せ合って何やら話し込んでいる。――恵の背丈を超えるほどの大きさで。
 三羽のせいで部屋が狭苦しい。が、そんなことはどうでもよかった。なんで突然いなくなったの。いつの間にそんなに大きくなったの。帰ってきてくれてよかった。歓喜と困惑が入り混じる。しかし今すぐ抱きしめたい衝動に駆られた体は、なぜか指先一本すら動かすことができなくなっていた。

“どうする? もう時間がないんだよ?”
“じゃあ恵を起こして用件を済ませればいいじゃん。ほらいつもみたいに飛びつけばいい”
“今の姿じゃ恵がつぶれちゃうよ! それに恵、この時間はぐっすり……”
“起きてるじゃん”
“え?”
“え?”

 アオイと目があったと思ったとき、残りの二羽がぐるりとこちらを見る。ばちりと視線が絡んだ瞬間、お互いにぽかんと口を開けた。

“ええー!? 起きていたならいってよぉ。僕どうやって恵の機嫌を損ねないで起こすか頑張って考えていたのにぃ”

 情けなくべそをかくソラのおかげで、ふっと金縛りのような緊張がほどけた。

「まず一週間も無断でどこかに行っていたんだから今の時点で私の機嫌は最悪なんだけど」

 気まずげに三羽とも視線を逸らす。そこはヒナのときから変わっていない。新聞紙をちぎって部屋中にまいたり、段ボール箱以外で糞をしたりしたとき、決まって彼らは顔を明後日の方向に向けるのだ。

「でもいいよ。無事な姿をみせてくれただけでも十分」

 ベッドからおりて三羽を抱きしめる。柔らかな羽毛は相変わらずお日様の香りをまとっていた。三羽も甘えた声を上げ、恵にすり寄る。体全部羽毛に覆われ、暑苦しいし、息をするのも難しい。それでも恵は離す気はなかった。やがて三羽のほうから身を引いた。

“恵”

 くちばしを動かしてもいないのに、不思議と頭に声が響く。その真剣な声音に、これから何を言われるのかわかってしまった。
恵は唇をかんで、だが三羽分の眼差しを真っ向から受け止めた。

“あのね、もう僕たち帰らなきゃいけないんだ”
“本当はね、僕たち幸せの青い鳥じゃないの。だから人間が思っているような素敵な力なんてもってないの。でもね、恵はたくさん僕たちのこと愛してくれたでしょ?”
“だから、僕たちみんなの力を合わせれば恵の願い事一つなら叶えられるんだ。なんでもいいよ。僕たち、最後に恵にお礼したい”

「あなたたちがここにずっといるのは駄目なの?」

 ダメもとで嘆願してみたが、三羽が一斉に俯いたことで、察してしまった。
 とは言っても急に言われたところで、三羽にすがってまでしても叶えたい望みなんてない。悩む恵の脳裏にふと憧れのキャンパスの風景がよぎった。洗練された構内。活気あふれる生徒たち。魅力的な授業。同時にしかめ面をする父の顔も。
未だに和解できているとは言い難い、親子の溝を彼らだったら直してくれるかもしれない。

“恵、それにする? 僕たちだったら恵の思い描いているの、形にできるよ”

 とても甘美な誘いだった。こんな場面でもなければ頷いていたかもしれない。しかし恵は首を振った。

「いいの。これは自分で解決すべきことだから。親の問題は子に任せるものじゃないわ」

 三羽はじっと恵の言葉を待っている。

「だからね、私のお願いは――」

 それに三羽は泣き出しそうなほど顔をゆがめたが、こくりと頷いた。

“わかった。恵がそういうのなら”
“恵が膝にのせてくれるの好きだったよ”
“別れたくないよぉ。ね、ハレ、アオイ、恵も一緒につれてっちゃダメ?”
“ダメ”

アオイにはすげなく断られ、ハレにはどつかれている。本当に大きくなってもソラの気弱なところは変わらなかったようだ。

「もう行っちゃうの?」
“うん。けっこうギリギリなんだ”

 ハレが首を縦に振る。アオイが頭を押しつけてきた。

“最初は毛むくじゃらの男にさらわれたと思ったら、今度は平べったい顔の男にわたるし、狭い箱に押しこめられるし、散々だったけど、恵に会えたからよかったよ”

 その頭を抱いて恵も頬をすり寄せた。

「私も。大好きだよみんな」

“こちらこそ”
“僕も僕も!”

 言葉の割に強めのタックルをしてきたハレと甲高い声を上げたソラ。

“さてアオイ、ソラ”

 肩を軽く揺らしてハレが二羽を見る。三羽とも体ごと窓へ向けた。次の瞬間、壁もベッドも何もかもがかき消える。そして恵は見た。巨大な翼を広げ、真っ白な空間の果てに向かって飛び立つ雄大な三羽の鳥を。最後に一瞬青い青い空から自分の町を見下ろすような光景が瞼に浮かんだ。


「ねえ結局いいの?」
「うん、いいの」

 桜舞う校舎。揃いの卒業の花を胸につけた莉子が心配そうに問う。それに恵は笑った。
 あの後目覚めたとき視界に入ってきたのは見慣れた天井で、開けたはずの窓は鍵がかかった状態だった。しかし夢ではない。なぜなら枕元に恵の腕半分ほどはある青い羽が三枚置いてあったからだ。夏空色の羽と先が白い羽に海色の羽。それは大事にタンスの中にしまってある。上京の際には一緒にもっていくつもりだ。
 進路のことに関しては父と何度も話し合い、ついに父が折れた。ただし滑り止めは受けないという条件で。だから恵は塾にも行かず自力で憧れの大学のチケットを勝ち取った。ここまでくれば父ももう何も言わなかった。ただ未だに卒業後は地元に戻ってほしいと思っているようだが。

「いないけどね、ちゃんといてくれるから」
「え? どういうこと?」

 困惑する友に恵は朗らかに笑った。

「ふふ秘密。それより莉子もおめでとう。無事受かってよかったよ」
「うう、恵のおかげだよ。あたしだけじゃ絶対に受からなかったもん」

 ぎゅっと恵の背に腕を回し、莉子は涙ぐんだ。

「あっちにいってもたまには連絡してね。あと帰ってきたらカラオケオールしよ」
「うん約束」

『姿は見せなくてもいいから元気にやっていることを知らせて。たとえ見えなくても三羽ともちゃんとやっているんだってこと感じたい』

 あのときの願い事は叶えられた。寂しいとき、落ち込んでいるとき、悔しくて涙を流したとき。その時々で羽で撫でられたような感触や甲高い鳴き声が耳の奥で響く。そして今も。

ピイピイピイ!

 祝うように三羽分の声が遥か彼方で聞こえた気がした。

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