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山陽バスむかしさんぽ

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神戸市垂水区を走る山陽バスは1936年に運行を開始し、現在まで多くの路線が生まれ、消えていきました。そんな山陽バスの廃バス跡を歩いてみたいと思います。
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【山陽バスむかしさんぽ】(18)桃山台南口

垂水区の桃山台、住宅地の中を貫く幹線道路を通勤通学客で満員のバスが行きます。 山陽バスの22系統はラッシュ時に南行のみ運行される系統で、つつじが丘を出てから23系統と同じ経路でつつじが丘と桃山台の住宅地を走り、桃山台南口から堀割へショートカットして垂水東口へ向かいます。 桃山台南口停留所の回転地で発車を待つのは桃山台南口始発の垂水東口行きです。山陽バス23系統桃山台南口始発便は平日朝のみ運行されています。 日中はひっそりとした回転地ですが、ラッシュ時には垂水東口へ向かう23

【山陽バスむかしさんぽ】(17)名谷駅

桜の花が咲く名谷駅バスターミナルで待機する山陽バス。名谷駅には山陽バスだけでなく、神戸市交通局さまや神姫バスさまの路線も乗り入れていて、タイミングによっては三社局のバスが並ぶ光景を見ることができます。 拡大を続ける西神ニュータウンの輸送を確保するために神戸市営地下鉄西神線が着工されたのは1972年11月25日のことでした。その5年後の1977年3月13日、西神線名谷~新長田駅間が開業し、緑色の電車が山間を駆け抜けるようになりました。須磨村の深い山奥だった落合池周辺は神戸の都

【山陽バスむかしさんぽ】(16)福田川と日向の車庫

福田川は名谷駅前の落合池を水源に、名谷、垂水を流れて大阪湾へ注ぎます。垂水駅近くでは河口が近いために川幅もゆったりと広がっています。橋の上を黄色い山陽バスが行きかっていました。 「(1)商大筋交差点」で訪ねた通り、1936年に垂水駅~商大前間の路線を開設した当初の山陽電鉄バスの垂水営業所は国道2号線沿いにありました。しかし、山陽タクシーと「同居」していたこの営業所は収容能力わずか9両で、戦後、急速に進んだ垂水の住宅開発による路線拡大に伴う車両増にはとても対応できるものではあ

【山陽バスむかしさんぽ】(15)垂水駅

マンションや商業施設に囲まれた駅前のターミナルを、黄色いバスが行きかいます。垂水駅西口に構える垂水駅バスターミナルは山陽バスのメインターミナルです。 1936年5月1日、山陽電気鉄道運輸部自動車課が垂水駅前~商大前間で旅客輸送を始めた時、垂水駅前のバス乗り場は今と異なって山陽・JRの線路の山側の天神川左岸にありました。現在では天神川は暗渠となり、再開発で町並みは変わってしまって面影は全くありません。 乗り場があった辺りは道路となっています。 清水が丘行きのバスがやってきまし

【山陽バスむかしさんぽ】(14)朝霧駅と明舞団地

神戸市と明石市の市境に広がる巨大団地・明舞団地の中央南北に貫くのは明舞中央通りです。 鮮やかなサツキの花が彩る幹線道路を舞子駅前行きの52系統の山陽バスが走り抜けていきました。 明舞団地へ乗り入れるバス路線が開設されたのは1965年1月のことでした。ただし、この路線は現在の南多聞台2丁目停留所に当たる「西舞子団地」まででした。 開発の進捗に伴い、西舞子団地への路線が開設された2年後の1967年には南多聞台7丁目へと延伸されます。 路線はそれまでの往復路線から舞子公園駅山側

【山陽バスむかしさんぽ】(13)西岡橋と西舞子団地

垂水の街並みと明石海峡大橋の主塔をバックに、明舞団地への坂道を駆け上がるのは朝霧駅前と学園都市駅前を結ぶ50系統の山陽バス。 大規模団地「明舞団地」は神戸市と明石市の市境の丘陵地帯に広がっています。この団地へのバス路線が開設されたのは1965年1月のことでした。当時の路線は舞子公園駅山側にあった山陽舞子駅前と「西舞子団地」という停留所を結ぶ路線で、山陽電鉄バスと神戸市バスの共同運行でした。 山陽舞子駅前から西舞子団地への路線はほぼ舞子線の路線と同じ経路でしたが、西岡橋の手

【山陽バスむかしさんぽ】(12)旧道商大筋

垂水区の中心を南北に貫く商大筋。 その東側に残る商大筋の旧道を7系統の山陽バスが行きます。かつて商大筋の本線だった頃はたくさんのバスや車が行きかっていたこの道も今は時折わずかな車が通るのみとなりました。 現在は「星陵高校前」と停留所名を変えた「商大前」へ山陽電鉄バス(当時)がバス路線を開設したのは1936年のこと。当時のバスはこの旧道の商大筋を経由していました。2006年10月に商大筋の新道が整備され、山陽バスの各系統は新道経由へ切り替えられましたが、9系統(清水が丘→垂水

【山陽バスむかしさんぽ】(11)舞子ゴルフ場

舞多聞地区を行く山陽バス。真新しい家並みの向こうに明石海峡大橋が聳え、淡路島の山並みが続いています。161系統は学園都市駅前を発着し、この舞多聞地区をラケット状に循環しています。 1963年に開設された山陽電鉄バスの舞子線は多聞地区の山手にある舞子ゴルフ場を目指していました。しかし、路線は現存していません。また、バスが目指した舞子ゴルフ場も姿を消しました。ゴルフ場の跡に整備されたのがこの舞多聞地区の住宅地です。 舞子駅前から伸びるバス路線は多聞から舞子ゴルフ場への道は中多

【山陽バスむかしさんぽ】(10)多聞

多聞寺前停留所に停車する舞子駅前行きの山陽バス。青々とした木々の向こうに佇む屋根は古刹・多聞寺です。 1963年に開設された山陽電鉄バスの舞子線は多聞地区の山手にある舞子ゴルフ場を目指していました。大門橋を過ぎた路線は多聞南交差点で新道の舞子多聞線から分かれて54系統のバス道を進みますが、多聞寺前停留所の手前でバス道からも分かれて山田川に沿っていました。 多聞寺交差点で新道に一瞬接してからも水道局垂水センターの裏手の山田川沿いに進んでいきます。バスが通っていたとは思えない

【山陽バスむかしさんぽ】(9)舞子小学校前

舞子台の坂道を上る山陽バス。 街並みの向こうに広がるのは播磨灘です。 大坪(現・舞子台8丁目)までの路線を開設した山陽電鉄バス(当時)ですが、1963年には多聞の奥の舞子ゴルフ場と舞子墓園へと路線を伸ばします。新設されたバス路線が目指した舞子ゴルフ場は1960年にオープンしたばかりのゴルフ場で、兵庫県下初のパブリックなゴルフ場でした。 舞子ゴルフ場への路線開設当時は現在の舞子線のバスが経由する「舞子多聞線」が整備される前で、バスは舞子台の曲がりくねった道を経由していました

【山陽バスむかしさんぽ】(8)大坪

神戸淡路鳴門自動車道の高架橋がそびえる舞子公園駅の山側。坂道の向こうには青々とした明石海峡の水面が覗いています。 山陽電鉄バスの舞子線は1961年に運行を開始しました。当時のバスは舞子公園駅山側にあった山陽舞子駅前または舞子駅前停留所からこの坂道を上がり、現在の舞子台4丁目停留所となる「送信所前」停留所に停車していました。坂の途中には「峠」という名前の集落があって停留所が置かれていたそうですが、神戸淡路鳴門自動車道の舞子トンネルが建設された際に集落は姿を消し、跡地は苔谷公園

【山陽バスむかしさんぽ】(7)山陽舞子駅前

風光明媚な舞子地区の山側に佇む舞子公園駅。山陽電車の普通車が発車していきました。今は現代的な橋上駅舎になっている同駅ですが、かつては地平に小さな駅舎があり、今も建物が残されています。 舞子公園駅の山側にあるのは小さなロータリーで、今では想像できませんが、「山陽舞子駅前」というバスターミナルがあり、ここから山陽電鉄バスの舞子線のバスが発着していました。このターミナルが開設されたのは山陽舞子駅前~送信所前(今の舞子台4丁目)~大坪(今の舞子台6丁目)で舞子線のバスが運行を開始し

【山陽バスむかしさんぽ】(6)霞ヶ丘線と二つの神田町

山陽垂水駅山側にある垂水駅バスターミナルで発車を待つ1系統霞ヶ丘線のバス。山陽バスの系統番号で「1」の番号を振られているこの路線は垂水駅から古くは垂水新田と呼ばれた霞ヶ丘・歌敷山地区を経由して垂水駅へ戻るラケット状の循環路線です。全長3.8kmで一周わずか15分ほどのこの路線が開設されたのは1956年2月20日のことでした。 1系統霞ヶ丘線の当初の路線は垂水駅ではなく、垂水東口バスターミナル付近の「神田町」を発着していました。この神田町停留所があったのは現在の垂水小学校の交

【山陽バスむかしさんぽ】(5)滑

垂水東口行きのバスが坂道を下りおりていきます。ここは垂水区名谷町、かつては滑(なめら)村と呼ばれた地区です。難読地名はそのまま山陽バスの停名となって残されています。 この滑地区を経由するバス路線が開設されたのは1948年のこと。前回ご紹介した高丸〜奥畑間に新設された路線はここ滑を通りました。ただし、現在、11系統や12系統のバスが経由している新道ではなく、福田川の方へ膨らんだ旧道経由でした。 現在の滑停留所の北側に旧道の入り口があります。今は一帯が住宅地になっていますが、