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【山陽バスむかしさんぽ】(18)桃山台南口

垂水区の桃山台、住宅地の中を貫く幹線道路を通勤通学客で満員のバスが行きます。
山陽バスの22系統はラッシュ時に南行のみ運行される系統で、つつじが丘を出てから23系統と同じ経路でつつじが丘と桃山台の住宅地を走り、桃山台南口から堀割へショートカットして垂水東口へ向かいます。

桃山台南口を行く山陽バス

桃山台南口停留所の回転地で発車を待つのは桃山台南口始発の垂水東口行きです。山陽バス23系統桃山台南口始発便は平日朝のみ運行されています。
日中はひっそりとした回転地ですが、ラッシュ時には垂水東口へ向かう23系統と名谷駅へ向かう15系統のバスがひっきりなしにやってきます。

桃山台南口回転地

山陽電鉄バス(当時)が桃山台へ路線を伸ばしたのは1980年10月5日のことでした。当時の路線は名谷駅を発着し、現在の15系統に近い経路で名谷駅から滑まで名谷本線を経由し、滑から桃山台の団地内へと入っていました。

桃山台南口停留所の標柱

しかし、南側の垂水駅方面へは駅前の回転地の確保ができないことや、バスの運行に適した道路が未整備であったことからこの時点では路線が開設されませんでした。垂水駅方面へ向かうつつじが丘や桃山台の住民は名谷本線の西名谷へと歩いていたそうです。

名谷駅で発車を待つ山陽バス15系統

桃山台から西名谷へは歩いて20分程度。途中で福田川を渡る起伏ある道は毎日歩くには決して楽な道ではありません。このため住民からは長らく桃山台地区から直接垂水駅へ向かうバス路線開設の要望の声が上げられることとなりました。

廃線跡調査が一つのジャンルとして成立している鉄道趣味に対して、バス路線は休廃止されればそこはただの道路になってしまいます。そのせいか、「廃バス跡」の調査はバス趣味の世界でもかなりマイナーな分野なのが現状です。しかし、「廃バス跡」の調査からは忘れられ、失われてしまったちょっと昔の町の姿が見えてきます。この「山陽バスむかしさんぽ」シリーズでは、今の神戸や明石を歩きながら、かつて走っていた山陽バスと昔の町の面影を辿っていきたいと思います。

参考文献
山陽電気鉄道株式会社『山陽電気鉄道百年史』(2007年)
山陽電気鉄道株式会社『山陽電気鉄道六十五年史』(1972年)
関西図書出版社『観光と産業の神戸市住宅地図 垂水区東部 昭和40年』(1965年)

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