映画『ドヴラートフ』をめぐって #1

▶アレクセイ・ゲルマン・Jr の作品!

ロシア映画『ドヴラートフ』のことを教えてくれたのは本郷ミッテの店⻑Wさんだったが、この映画を見たい!と強く思ったのは、チラシを見て、監督がアレクセイ・ゲルマン・ジュニアだと知ったことが大きかった。あの、アレクセイ・ゲルマンの息子。父の遺作『神々のたそがれ』を仕上げた息子。
ーー『神々のたそがれ』(2013年)を見たときの衝撃は忘れられない。どんよりと淀んだ重苦しい空気、荒涼とした風景の中で繰り広げられる阿鼻叫喚の3 時間に耐えかね、次々と席を立つ人。上映後、館内に照明が点くと、そこに残っている観客はまばらであった。私はといえば、映画に打ちのめされてしばらく席から立ち上がれなかった。決して見て楽しい映画ではない。しかし、見る人の存在の根幹を揺さぶる強度のある作品。そういう作品に出会い、自分の中に「事件」が、「変化」が起きるのは幸福な経験だ。だから鑑賞後の気分は決して暗いものではなかった。

ラストシーン、殺伐とした風景の中に響く笛の音に微かな希望さえ感じていた。やってられねえ、ひどい世界だ。それでもここで生きていく、存在し続けるーー主人公のそんな声が聴こえるかのようだった。 「俺たちはこれからもずっと存在し続ける」ーーそれはまさに、ドヴラートフの台詞でもある。テイスト は全然違うけれど、強度のある映画を作る点ではよく似た親子だと思った。

▶ドヴラートフって誰?

ドヴラートフ、と聞いてすぐわかる日本人はそう多くないだろう。ロシア在住経験がある私も「誰だっけ?」という感じだった(恥ずかしい)。 しかしWさんに「『亡命ロシア料理』の著者たちの関係者ですよ」と教えて頂き、改めて読み直してみたら、確かに訳者あとがきの中に「ドヴラートフ」の名が登場していた。不覚! アメリカの亡命ロシア人の文学界では中心的な人物だった模様。『亡命ロシア料理』(ピョートル・ワイリ/アレク サンドル・ゲニス 著  沼野充義/北川和美/守屋愛 訳 未知谷 1996年)は本当に素敵な本で大好きだが、 訳者の沼野先生が映画『ドヴラートフ』の監修、守屋愛さんが字幕を担当されているということで、さらに納得した。
ドヴラートフの書いた作品についても、残念ながら、というか不勉強で読んだ記憶が無かった。しかし先日、モスクワの恩師(御年 73歳)と Skypeで話した折に「ドヴラートフって人気あるんですか?」と訊いてみたところ「ありますとも!」と即座に書棚から彼の著作『Наши』を取り出して見せた。曰く「彼は『現代のチェーホフ』とも言われる作家です。軽妙なユーモアと優しさ、ときに皮肉をもって人々に愛される作品を書きました。私の息子が大学生の頃(90年代)には文学部の学生の卒論のテーマにもなっていました」 。さらに「あなたがモスクワにいた頃、一緒に『Чемодан』からの抜粋を読んだのを忘れましたか?」 と指摘され深く反省。「コピーを送りますから読み直しなさい!」ーーはい。不肖の弟子で誠に申し訳ありません。
その恩師も、映画『ドヴラートフ』は昨年ロシアでの公開時に見ており、とても良かったと言っていた。 70 年代の日常の再現度も細かいアイテムまで抜かりなく、特に恩師のように旧ソ連の生活を知っているインテリにとっては堪らない「ノスタルジア」のようだ。 特に恩師が懐かしがっていたのはコムナルカ(ソ連時代の共同住宅)の生活。インテリも労働者も芸術家も一緒くたに暮らして、それはもう、日々すごいカオスだったようだ(ちなみに恩師は10歳くらいまで大人6人子ども 5人のコムナルカで暮らし。朝のトイレ争奪戦以外はそこそこ楽しかったそう) 。
それにしても「現代のチェーホフ」と言われる作家の作品が日本ではあまり話題になった記憶が無い……。もちろん、私が不勉強なだけで、調べたら訳本はちゃんと出ていた。これから勉強し直そうと思った。映画のおかげで、作家ドヴラートフとも改めて出会えそうだ。 


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・『わが家の人びと』(Наши)沼野充義 訳
・ 『かばん』(Чемодан))守屋愛 訳
その他、柴田元幸先生が英語から訳したものもあるそうだ。
(#2 へつづく)

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