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英語を話す私の性格は、日本語を話す私と違う。

言葉は’箱’であると仮定する。自分の考え、感覚、感情など形のないものに形を与える箱、容器である。その容器を交換することで、自分とは違う考え、感覚、人生経験を持つ他者と、その形のないものを共有することができる。だから、なんとなく言葉は、思想や感覚が先にあった上で、それを表現するための単なるツール、従属物であるかのように思われる。言葉、という容器の影響力を私たちは普段あまり意識しない。

英語ベースで生活をして15年が経つ。普段の生活で日本語を話すことはほとんどない。時々日本人の人に自分の仕事のことを説明しようとして、ものすごい下手な日本語になっている自分がいる。教師の仕事も、何もかも、過去15年の間に学んだことは、ほとんど英語で学んだので、それを日本語に訳すのはかなり面倒臭い。そして、よく思う。

私は日本語を話す自分が苦手だ。

日本語は、本当にものすごく簡単にニュアンスが変わってしまう言語だ。日本語で話すと、何となく、つっけんどんな感じになってしまう自分がいる。もしくは下手に謙ったり、そんなつもりはないのに偉そうに聞こえてしまったり。単に日本語が下手になった、ということだけではなく、日本語をうまく使いこなせないため、他者との距離がうまくとれない自分にイラッとする。

日本語に比べると英語は本当にシンプルな言語だと思う。好きなものを好きと言うのが簡単だ。何が自分の中で何が正しいのか、とかそういうものを表現するのがシンプルにできる。だからコミュニケーションが楽だ。

例えば恋人に好きだと伝えるとしよう。「好きよ」というか「好きだよ」というか、単に「好き」というか。それだけでちょっと何かが変わってくる。それに加えて声のトーンなど、バリエーションは豊富だ。「好きだよ。」「大好きだよ。」「好き。」「大好き。」「愛してる。」「愛しています。」
あんまり変わらないように思うかもしれないが、英語ではたった一言 I love you. 敬語にする、しない。みたいな、明らかに関係の距離を図るシステムがないし、トーンのバリエーションを含めても、日本語に比べればずっとずっと少ない。シンプル。だから、距離感や微妙な表現の違いなどを気にせず、ただ淡々と思ったことのコアを伝えることに集中できる。

だから英語で話すは私は、日本語の私よりずっとオープンで直接的だ。そしてそんな私でいるのが気楽だ。

日本語がうまく使えない。単に頭が悪いだけなのかもしれない。

が、とりあえず、使う言葉は、私たちの表現に影響を与える、という事実は確かだ。で、言葉が表現に影響を与えるということは、同時に私たちの思考に影響を与える、と言うことで、まあ、簡単にいえば、やっぱり世界の見方や性格が変わるよ。

下記リンクは、言葉がどのように私たちの考え方を作るか、という興味深いTED トーク。言語学者の視点から世界中のいろいろな言語の特性を話している。右左のコンセプトがなく東西南北ですべてのロケーションを表現する言語や、数のコンセプトがない言語など。

日本語の字幕がつけられるので、興味があればお勧めします。



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