見出し画像

“ひとり遊びの少女” 紀行譚 ホイアン

ベトナムのホイアン旧市街の南を流れるトゥボン川の夜は、灯籠流しをする手漕ぎ舟のクルーズで賑わい、両岸には飲食店と、屋台が立ち並ぶ。水面には赤や緑や黄色の灯籠の光が浮かんでおり、歩行者天国となる道の頭上には、ひげのように垂れた街路樹の枝に絡ませ吊られたランタンが輝いている。

観光客は欧州系が多く、彼らは屋台に並ぶ食材を物珍しそうに眺め、歩いては立ち止まる。19世紀にフランス領の時代があったからだろうか、ベトナムでは路上カフェの文化が強く根付いており、道路に向けオープンに開かれた店が多い。いくつかのパブではバンド演奏をしており、2月の25℃を超える熱帯夜の中、夜を楽しむ人々はジョッキに入ったビールを飲み、盛大に笑い合っていた。

人の波と客引きの熱にあてられ、私は早々に疲れを感じていた。夕食の時間はとっくに過ぎており、落ち着いて腰を下ろせる店を探すも、繁華街の店はいずれも目と耳に入る情報量が多い。それらから逃れるように、少し逸れた薄暗い路地へ入り込み、安価なベトナム海鮮料理を提供してくれる店の路上の席に腰を落ち着かせる。

車道を挟んだ向かいは託児所だったのか、施設の前で4人の少年と1人の少女が同じ場所をぐるぐると駆け回り遊んでいた。鬼ごっこでいうと、少女が鬼役で、履いていたサンダルを右手に持ち、少年たちに向かって投げつけている。細かな遊びのルールは観察していてもわからなかったが、本人たちはとにかくそれを楽しんでおり、口を大きく開けて笑い、走り続けている。

注文をしたタイガービールと海鮮炒飯が机に運ばれ、体に染み渡らせるようにそれをゆっくりと楽しんでいると、託児所の子どもたちの元には、繁華街での店の営業が終わったであろう親が迎えに来始める。毎日のことだからか、子供たちの間に名残惜しさなどはなく、次々とバイクの後部座席に乗り、そして別れの言葉を軽く言い放っては去っていく。一人、また一人と来る迎えを見送っていると、最後は少女となっていた。

子どもたちの笑い声で満たされていた空間は、一転して静まり返る。白い街灯の下で、少女はひとりで淡々と遊んでいた。自転車のスタンドを立ち上げ、サドルに座り、ペダルを思いっきり漕ぎ後輪を回す。体重を前方にのせスタンドを外すことで、回転しているタイヤが地面を押し、車体は少しだけ前に進む。そして車体が止まると少女は地面に降り立ち、スタンドを立ち上げ、サドルに座り、またペダルを思い切り漕ぐのだ。

ひとり遊びが上手な少女の迎えはいつも遅い時間なのだろうか。黙々と遊びを楽しんでいるようにも見えるが、一方で時間を消費すべく作業をこなしているようにも見える。めいいっぱい遊びに集中をしているようでもあり、頭の中を空っぽにし、何も考えないようにしているのかもしれない。

炭酸が抜けたタイガービールを飲み干し、私が店を出るまで、少女の迎えは来なかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?