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こんなに自分の写真を活かす日が到来するなんて、思ってもいなかった。基本シャッター切るのも苦手意識が強かったので、初めから記憶力の低い、信用してない人間の記憶装置をある程度補完してくれるモノ、としてデジカメ撮影していることに変わりはない。

まあ日曜夜はメンタルと感情を持っていかれるドラマが表裏
(まあ裏は再放送なんだけど)にあったんで、まあ少し整理を付けるのに
時間が要る。

 そんなとこなので少しパーソナルな話へシフトするのが
今宵の話題ではありますがまあその前に。

一応夕刊の仕分けまでが終了。あらたにすのあ、
はスポーツ欄が完全にレイシスト乱舞でとても読め
たもんじゃないけど、それに比べるのも勿体ない
くらい夕刊のコラムとかはそこそこ充実しとるのよな。

 多分「ぶちくらせを嘲った呪い」は予想以上に部数を
減らすブーストになってて手がつけられない感じだよね。


すっかりヤキが廻ってますが、スクランブル体制に
は突入。当面の間固定記事を置くことにします、
2023年6月の現況。まあ第一段階までは済んで、
なんでこんな「週6回刊のヘッポコ同人誌」が
ちゃんとリストラ対象に入るのか、そのいくつかの
理由を検証してみる。|torov|note

その一方で堂珍夕刊に足りないリリックと姿勢はこの曲だな、
と思いついたので、この曲を手向けておく。
Creepy Nutsで「かいこ」。

いつまで味のついたガムにへばりついているのだろう、
って感じで「苔のむすまで」してるんか、というセンスの
なさをほとほと感じはするので。

 ま、回顧に解雇に蚕までリリックがかかってるあたりは
ある意味スゴい才能の片鱗だなあ、と思うけどさ。


深井のHBC特番には愛情が多分に注がれていたし、二点目の
PKにはちゃんと「努力と練習の成果」が出てたから、
そこまではドラマの一部だったのだろうけど。

 つっ立ち電柱に一つの放り込みもせず、ウダウダやらかして
ボケ続けた結果若い者沢山使ってきたジュビロの勢いある
ツッコミにやられ続けて逆転負けかい。

 このどんよりどよどよな空模様なのに札ド使った時点で惚気が
過ぎるとこれもまたバチが当たる、を体現化してたような。
まあこれでジンクスとしてた髭を剃る機会は得られましたが。

記事上げてしんみり呑んで起き抜けたら髭剃るくらいのことは
しようか。長くなった爪は大方先に切ったけど。

 ではテレテレまくらを書いてたけれど、そろそろ本題へ。


こんなに自分の写真を活かす日が到来するなんて、思っても
いなかった。

まあ錬達の「みんなのフォトギャラリー」使うよりはどう
してもビュー数が劣りがちなので、なるたけ控えてはいる方
なんだけど。この記事が一番ビュー数的には多い記事か。

ネタがないならばないなりに、こちらはリライトすれば、
と周辺視野でなんとかなる、といふおまじないはある。
|torov|note

あと逆に「みんなのフォトギャラリー」で誰かの人の正面
写真を選ぶことはまずない。ある程度自分のイメージにあった
テーマに沿ったものをチョイスしてはいる。
 人の写った写真でもほぼ正面はない。あっても後ろ姿が
多いかと。これとか。

尺合わせではないのだけれど、時間はある。ならあと今日
明日で三本くらい更新するネタを放出してみますか。まず
本日の更新二本目はこの休閑期においてもなお健在な梅原
翔太プロデュースの力量の強さを『着せ恋』『ビスク・ドール』
こと『その着せ替え人形は恋をする』九話から語ってみる。|torov|note

 noteで自分の撮った過去の写真から使い出すように
なったのは昨年の七月から。
 基本的には「みんなのフォトギャラリー」でも
しっくり来なくて、かつギャラリー探すよりも記事
に合った写真を自前で用意した方がいい場面に幾度
となく遭遇したからだ。
(まあその前に新しく現状を撮らないと、と思って
作成した記事はナンボかあるけどね。これとか↓)

ようやく緊縮時のマイルールが定まってまいり
ました。〜これもまた一つの醍醐味。|torov

この今は亡き末期のディノス(スガイディノスの
成れの果てでRIZAPグループに好き放題された
残り滓。この年のうちにかな。高橋名人最期は
呼んで華々しく散ると)を公開したあたりで覚悟
を決めたのかなと。

ユカたんshopに行ってみた
~街中に疎開して来た。その1~|torov

街中疎開してレポートを文章と写真でやり始めたのは
このあたりからかな。


カメラは基本シャッター切るのも苦手意識が強かったので、
初めから記憶力の低い、信用してない人間の記憶装置をある
程度補完してくれるモノ、として撮影していることに変化は
ない。

 だからデジカメで、多くは日付入りのままでたまに加工を
するくらい。そこでズームもズームアウトも出来るので、
ある程度目の弱い人間よりもより見えているものを信用
するかのように扱う。それはナンシー関のテレビ活用法と
著しく似ている(ナンシー関もまた弱視ではあったので、
ロケ取材がほぼ出来なかったのは周知の通り)。

「弱視の千里眼」なめんな。ナンシー関のフレーズ
が今もなお響く理由。|torov

こんなに自分の写真を活かす日が到来するなんて、思ってもいなかった、って話題で今宵は語ってみました。

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