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トロヤマイバッテリーズフライド2023

2023年を振り返る

ゲーム開発者のトロヤマイバッテリーズフライドです。

東京ゲームダンジョン2に出展

1月に浜松町にて開催の東京ゲームダンジョン2に、2022年に開発開始した『Death the Guitar』を出展しました。人生で2回目のゲーム出展でした。自分の制作物が人に見られ、遊ばれ、その人に影響を及ぼすという、ものすごく幸福ながらものすごく恐ろしい事態を目の当たりにするのに、前回よりは慣れてきました。


BSテレ東『東京パソコンクラブ』に出演

乃木坂46がゲーム開発を学ぶ番組です。はじめは単発のゲスト参加のつもりが、いつの間にか講師補佐みたいな役割になり、2023年を通して継続的に出演させていただきました。ありがたいです。

自分もこの時点でプログラミング歴1年だったので、一緒に学びながらという感じでした。ふわふわ学生身分の僕が、テレビの撮影現場というプロフェッショナルな空間に身を置くことはとても勉強になりましたし、「自分の頭の中にあることを言語化して他人に共有する」「抽象度の高い概念をわかりやすく言い換える」「相手が聞こえる太さ・トーンで声を出す」といった僕が今までの人生でまったく考慮していなかったさまざまな必要に直面させられて、思わぬステップアップができました。収録のたびにご迷惑をおかけしている気もしますが、演者さんもスタッフさんも皆いい人なので助かっています。


アドベンチャーゲーム『デンパトウ』制作開始

「東京パソコンクラブ」の番組企画でゲームを制作することになりました。まずは企画書案を複数出すところから始め、Steamにて発売までいくというプロジェクトです。

企画案に先立ってテレビというお題が与えられていました。そこで「電波を受信し記憶を取り戻す」という漠然としたフレーバーから考えを広げてみました。紆余曲折あり、「記憶を失った少年が、アンテナ農場でしゃべるテレビと一緒にアンテナを育てる」というお話からゲームデザインやビジュアルに見通しを立てていきました。

『デンパトウ』はもともと2023年の春休みに完成させるつもりの小さなプロジェクトの予定でした。しかし色々な理由から全然完成せず、企画は後ろ倒しに後ろ倒しを重ねることになりました(ごめんなさい)。

ですが、ようやく来年2024年の1月に配信できることになりました! 開発がかれこれ1年弱くらいもつれてしまったわけですが、ついにリリース目前までこぎつけました。仕事としてものを作るのも、ゲームを売り物として世に出すのも人生で初めてなので、不安で胸がいっぱいです。

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IGC学生選手権で最優秀賞獲得

コナミ主催の学生ゲームクリエイターのコンテストにて、『Death the Guitar』が最優秀賞をいただくことができました。嬉しすぎる~!

コンテストの二次審査は対面で行われ、強そうな大人たちの前でプレゼンする必要がありました。プレゼン準備の過程では自分のゲームの強みと弱みを否応なく言語化することを余儀なくされたのでとても苦しかったです。でも同時に『Death the Guitar』がいったいどんなゲームなのかを自分なりに少しつかむことができました。

授賞式の日は同時にコナミ本社でゲームイベントも開催されていて、それに『Death the Guitar』を展示することもできました。


iGi 3期生に加入

iGiはマーベラス社主催のインディーゲーム開発者支援プログラム? みたいなものです。応募したところ審査に合格し、3期生として参加させていただきました。

半年間、ゲーム業界のすごいっぽい人たちから面談、講義、進捗管理をミッチリと受けました。ハードでしたが、これに参加したことによるメリットは計り知れませんでした。

ゲーム業界には、大手でコンシューマ開発に携わっている方もいれば、国内外のゲーム市場を舞台に活動している方、プラットフォームを運営している方、メディアとして人やゲームをつなげている方、アートワークに信念を燃やしている方、ゲームデザインやレベルデザインをとことん突き詰めている方、ナラティブについて思索を巡らせている方、ゲームを売り物として世に出すプロセスに誰よりも真剣な方、自分の好きなことを好きな風にやって生きることに全力な方もいます。ゲームにまつわる世界にはとにかく多様な側面があり、ひとりひとりが違った視座でゲームというものにまなざしているということを、iGiを通して学びました。そのくらいいろんな大人としゃべったので。


BitSummit2023に出展 大賞を獲得

7月に京都市にて開催のBitSummit2023に『Death the Guitar』を出展しました。iGiの枠でスペースが押さえられたのですが、iGi加入前に個人的にしていた応募も当選してしまったので、同時に二か所で展示しました。骨の折れるイベントでした。

大賞である朱色賞を獲得しました!

『Death the Guitar』は昨年、出展イベントの間に合わせのために1か月で作った小さいプロジェクトでした。しかし、自分のゲームに対する熱や理解度の深まりに並行する形で、このゲームのありようも成長して規模を増し、いつの間にか大きな賞を頂くまでになっていました。

ここまで来たら、なんとしても『Death the Guitar』を僕が昔からあこがれていた数多のインディーゲームたちと同じ壇上に上がれるくらいしっかりとした作品にまとめあげ、世に出したい! と、このあたりで決心しました。


東京ゲームショウ2023に出展

9月に幕張でおこなわれた東京ゲームショウ2023にも『Death the Guitar』を出展しました。iGiの枠での参加です。

昨年単なる客として出向いて、すし詰めのインディーゲームエリアに身を投じて幾多のインディーゲームを触り感激していた僕が、まさか今年は出展側になるとは……という感動がありました。

人生5度目の展示にして、ようやくゲームの試遊会はお客さんの試遊する様子を見てフィードバックを得るための場であることが理解できました。今まで僕は展示イベントのことを「作品を介したやり取りによって自らの人間性をお客に明け渡し、傷ついたりほくそ笑んだりするイベント」だと思っていて、つねにびくびくしていました。ですが回を重ねるごとに、僕の中で意識のフォーカスが僕自身ではなく作品に合うようになって来ているのを実感しています。

いまだにびくびくしながら創作を続けていることにはいるのですが、少しずつ、ものづくりの大らかな部分に触れられているようになっている気がします。


ゲームクリエイター甲子園2023に応募

応募した記憶がなく何かのきっかけで自動的にエントリーさせられていたゲームクリエイター甲子園2023ですが、おかげさまでゲームクリエイターズギルドの方々から記事取材や、Youtubeの動画への出演など、いくつか機会を頂きました。

一年を通して言語化に言語化を繰り返してきたはずの『Death the Guitar』のコンセプトですが、こうした講評系の場が訪れるたびに、いまだにこのゲームは弱点だらけで盤石でもなんでもなく、それゆえいくらでも発展のしろがあることに気づかされます。その発展の方向性は自分が決めて舵を切らなければならないという生々しい事実……。


iGiのピッチ発表会

たくさんのパブリッシャーさんたちの前で『Death the Guitar』のピッチを行いました。海外向けに英語でのプレゼンも行いました。

注目の視線が集まる壇上で、マイクを手に持って声を発するという行為は、今までの自分ならややパニック気味に自分が言っていることの意味が自分で理解できないまま口がまわり続ける暴走状態になるのが常でした。でも、さすがに今年はあまりにも対外交渉の機会が多かったため、心の防壁を築けたと言うか、自分の心身をサードパーソン視点で俯瞰しながら操縦するという芸当ができるようになりました。おかげで何とか暴走せずに、スムーズにプレゼンすることができました。でも質疑応答はボロボロでした。今後の人生で何とかしたいです。


無料ゲーム『MY FRIEND あじしお』配信

『Death the Guitar』にも『デンパトウ』にも全く関係ない、骨になったり増殖したりする変な犬のゲーム『MY FRIEND あじしお』を、1週間ほどでつくりました。3分でクリアできます。

これは僕のゲームに対するある種の興味の方向性を突き詰めた習作です。その興味とは、「ゲームらしさとは何か」です。

ゲームをゲームたらしめる要素はいろいろあるかなと思います。インタラクティブであることインターフェースがあること、ディスプレイ上の存在や遊びのルールに対しプレイヤーと開発者のあいだに無数の暗黙の合意があること、とか。

僕はゲームをやるとき、ゲームをやっているということを痛感しています。ゲームをやる行為はゲームらしさと対面する行為だと強く感じます。だからこそ、そのゲームらしさに対してメタを食らわせられたりすると心底感動しますし、ゲームらしさを乗りこなしてこそ到達できるドライブ感開発者と心を通わせるかのような一体感などもとても気になっています。

『MY FRIEND あじしお』はその辺にアプローチすることを目指したゲームです。こういう小さい作品の制作は、高密度に学びが得られるなと思うので、積極的にやっていきたいです。


ゲームクリエイター甲子園2023で総合大賞を獲得

12月に中華街でおこなわれたゲームクリエイターズギルドEXPOという学生向けゲーム展示イベントに参加しました。

総合大賞をいただきました! 2023年は僕にとって激動の年としか言いようがありません。学生の大会に参加できて、そこで賞を貰えるのはめちゃくちゃ嬉しいことなのですが、同時に自分はいつか学生じゃなくなるという事実が重い……。(トロフィーも重い。これ材質何?)


今年摂取して印象に残った作品

思い出した順です。

「フィクション」と「ルール」のふたつの側面から「ゲームとは何か」「ゲームの美的価値は何か」を考えていくかなり体系的な入門書だと思います。『MY FRIEND あじしお』で試したような興味を今後も考えていきたいのですが、どうしてもその辺に勉強不足の僕は、この本から大切な語彙をたくさん貰うことができました。今は松永伸司の『ビデオゲームの美学』を読んでみてます。

今年はリアル脱出ゲームをいくつかやってみたりしてナゾトキやクイズにめちゃくちゃ興味が湧いているのですが、この本は単純にナゾを解くだけでなく、そのナゾが作問される過程に潜んだ「美学」をリバースエンジニアリングして探り当てるような読み方を促してくれました。それがとても面白かった。

触発されて自分もナゾを一問作ってみました。わかりますか?

バンドデシネ(フランス語圏の漫画)の名作です。僕は自分の美的センスに自信がないためいつも参考作品を探しているのですが、この本がドンピシャでした。身体の造形や服や煙や町並みが独特の筆致による線とテクスチャで構成されているのですが、そんなビジュアルの全部がおよそ僕には思いつかない狂気的な手さばきによるもので、見漁ってしまいました。

冒頭の演出が良すぎて震えあがりました。「殺す対象リスト」を持ち歩いて、一人殺してはソイツの名前を線で消していくのって、視聴者と主人公で完全に足並みが合う感じでいいな。ゲームデザイン的思考ですらあるかも。

隣で悲嘆に暮れるトランスジェンダー仲間の頭に、自分のつけていたカツラをかぶせてあげるという行為は、この世界で唯一無二の優しさで、他の誰も経験しないことだけど、無限のリアリティが内包されていると思う。

時間の伸び縮みが表現されているように思いました。僕も永遠に叫び続けたい1秒間や、くしゃみを一回しただけなのに消し飛んだ一か月みたいな相対性理論(?)の中に生きているのですが、そんな僕の人生は他のティーンエイジャーたちにとっては木っ端ほどの重要性もないんだなっていうリアリティのしらじらしさと儚さを感じます。

こんなゲームに肩を並べられるわけないと絶望にうちひしがれちゃう……。壊せそうなものが壊せる、殺せそうな距離感に飛び込んだら殺せる、みたいな体験の連続で、世界に飲み込まれる。調整しつくされたこのゲームのルール(物理法則、挙動)に対して一度も裏切られることなく築かれた僕の中の信頼みたいなものが、主人公(ゴリラ)のことを好きになれる理由だと思います。

聴きすぎて嫌いになりたくないので最近聴かないようにしています。こんな贅沢三昧にポケモンフレーズを(大量に、世代横断的に)コラージュしまくってるのに、「一曲」としての息遣いがあるの、信じられない。僕もポケモンが大好きな口なので、細部に注力して聴いてもいくらでも面白味を見つけちゃう、一向に変わらない情報の密度にぐちゃぐちゃにもまれる感覚を楽しめる、フラクタル構造の音楽。

昔やったことあったけどもう一度やりました。「あなたから私の姿は見えないけど、あなたもわたしも同じ山火事を見ている」というとてつもない遠近感。自然公園の起伏や凹凸に次第に身体と知性が馴染んでいく感じ、一度燃えたら手が付けられないワイルドな舞台で、かすかに残る人の痕跡や名残を読み取って自分の失った過去や未来を手繰り寄せていく過程がたまらないです。

人の子どもを操作していたけど、操作していたものが突如変容します。それなのに、僕が握っているコントローラーは変わらず同じまま……っていうところにとんでもないゲームの暴力性がある気がする。このゲームの一番衝撃的なラストのために丹念にゲームらしさを折り重ねていく序中盤の旅路もすごく儚く作られていて、僕と主人公の存在を暗い野に放り出すようなステージづくりが胸に刺さりました。


2024年の抱負

・1月に『デンパトウ』が発売出来てこちらはひと段落するはず
・基本的には2024年は『Death the Guitar』の開発に専念するのみ
・イベントには積極的に出展したい
・就活もやりつつ
・あとは自分の興味の方向を明らかにしたい。言語化したい
・僕はゲームデザイン一辺倒で好きなわけでも、ゲームアート一辺倒で好きなわけでもない。自分の興味はどの分野でもグラデーションの狭間にある
・このゲームに対する微妙な温度感の違いのせいで、いまいち誰とも仲良くなれていない
・というか、友達がいない
・↑寂しい
・↑僕がコミュ障なだけか
・↑みんなそれぞれ興味が交わらないながらも、交わらないなりにベン図の共通部分をうまく見つけあって仲良くやってるんだ、きっと
・↑人と話すのが怖いのを何とかしたい
・2023年は人としゃべりすぎた
・2024年は籠りたい
・今年は様々な人から多様な意見を受けるということをしすぎたから、ここらで一年めちゃくちゃ自分の殻にとじこもって誰とも会話しなかったらウケるかも
・でもたぶん『Death the Guitar』をちゃんとした作品として世に出すなら、文句言わずに対外的にアプローチをしていくべきだ。家の外に出よう
・優先順位は「僕<Death the Guitar」
・このへんの膿んだ(くだらない、いらない、しょうもない)自意識をほったらかしにしたままでも作品にコミットさせてくれるのがパブリッシャーという存在なのかも
・違います
・でも、自分の作品のために自分を明け渡し切れないという悩みを抱える人は少なくないのでは? 物理的なレベルでも、精神的なレベルでも
・作品が自走したらいいのに

・あと就活もあるし、人と関わるのはやめないほうが良い
・2023年はピクセルアート界隈の人とわずかながら接点が出来たり、スピードラン界隈の人とわずかながら接点が出来たりしたの、じわじわ嬉しい。本当にどちらも素晴らしい世界だと思っているから
・ピクセルアートはグリッドや直角や解像度の操作によって視界が攪乱されてあたりまえの認識の裏に潜んだ美しさを教えてくれるからいい
・かなうことなら僕もピクセルアーティストになりたい。僕しか知らない知識を使って僕しか繰り出せない出力で人々をアッと言わせたい
・だが、僕は
・絵が
・下手~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・スピードランもやりたい。走者間の合意形成のもとルールが決められるのってゲーム空間という与えられた世界に集まって好き勝手遊び場を作っているみたいで本物の自由を感じさせる
・グリッチやチャート研究によって自分たちがかつて敷設したルートを容赦なく上塗りしていくところのプロ意識? 真摯さ? もかっこいいし、なんだろう、「遊びに真剣になる」の極北だと思うんだよな
・グリッチというものはそもそもゲームのよさそのものだ 世界に居ながらにして世界の創造主、造物主と渡り合う手段ってグリッチしかないんだよ
・グリッチもピクセルも
・自覚的だよな 己のいる世界について
・再帰的・自己言及なギミックについてとても興味ある BABA IS YOUとかThe Stanley ParableとかCOCOONとか なんかもっと掘れる気がする ザクザク
・スピードランやりたい RTA in Japanのゲームに対するリスペクトの"有りさ"好き 想定の遊びをハックして裏切るってのは、それだけ想定の遊びを知り尽くしているってことだから、どれだけふざけたショートカットを発見してそれを使い倒してもその行為は原作に対するリスペクトを損なわないように思える ここにも再帰性が現れている
・ゲーデル、エッシャー、バッハ
・作業するか
・2024年の抱負は、『Death the Guitar』をほぼ完成させる
・指を切断しないように気をつける(てこの原理に注意!)


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