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ヤマハYB-1の歴史

ヤマハYB-1。
既に世のバイクカルチャーから忘却されつつある50ccバイクの一台であり、最終的にYB-1へ至るYB50一族の長い歴史もまた、かの世界的素人事典「Wikipedia日本版」でも何かの冗談やろ?という程に情報量が少ないので、このままじゃYBかわいそうやろ!という訳で、本項にて取り上げる事になりました。

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ヤマハ F-5(1968)

後にYB-1となるヤマハ製2ストローク・ビジネスバイク「YB50」の系譜を辿ると、1960年代後半にヤマハが展開した「新世代小排気量マシン乱発」にそのルーツを見出す事ができます。
1960年代後半、ヤマハは既に成功を収めていた「ヤマハスポーツYDS-1」の系譜に連なる高性能250ccスポーツバイクや、1968年に登場するやアメリカ市場を沸かせてオフロードバイクの歴史を刷新した本格的トレール車「ヤマハトレールDT-1」を筆頭に、綺羅星の如き名車を次々と送り出していました。

一方で、バイク文化の「裾野」を担う小排気量バイクの強化とバリエーション増加も怠りなく行いたいヤマハは、それまで小排気量バイク界において一般的だったプレスタイプのモノコックフレームをスリム化・スマート化し、リアフェンダーを別体式とした新世代のフレーム形状に移行。横から見ると数字の「7」に見えるスマートなフレーム形状から「7ボーンフレーム」と呼ばれたこのフレームは最終型のYB-1までほぼそのまま継承され、よく比較されがちなホンダCD50(ベンリー)やスズキK50(コレダ)にはない、フレーム後部とリアフェンダーとが描く美しいアーチや、車体とエンジン等各パーツとの絶妙なクリアランス等、デザインにこだわるヤマハらしい機能美が自慢でした。
そして驚くべき事に、その機能美は第一号たる「F-5シリーズ」の時点で既に完成されていたのです。

しかし一方で、上記の通り当時のヤマハは小排気量マシンを乱発したのですが…そのネーミングは非常に紛らわしいものでした。
90cc H-3
80cc G-5
60cc J-5
50cc F-5
これらを同一デザインのフレームと似たような外装部品(一応タンク等で最低限の差別化は図られていましたが…)で送り出したおかげで、紛らわしい事この上ありません。

それに加え、当時元気一杯だったヤマハは更にそこからバリエーションモデルを展開しました。

ヤマハスポーツ F-5S(1968)
ヤマハトレール F-5C(1968)

「どっちがスポーツでもトレール(オフロード)でもええやんけ!」とツッコミを入れたくなりそうなバリエーション展開ではありますが、似たような仕様に見えてタンクもマフラーもフェンダーもオイルタンクも別物なのは評価すべきポイントだといえます。
あと、どちらも素直にかっこいいですね。

ここで21世紀目線からひとつ注意点を書いておきますと、このF-5シリーズは大変魅力的なのですが…エンジンは後のYB-1とは別物です。また、F-5/F-5SもF-5Cも非常に魅力的なタンク形状をしていますが、装着方法の違いゆえYB-1へのポン乗せはできません(乗るかもしれませんが非推奨)。
というか、パーツ単体での入手であればともかく、F-5シリーズを車両ごと入手できる幸運に恵まれたのであれば、バラして売ったりパーツ剥いでYB-1に付けるのではなく、可能な限りそのままレストアなさる事をおすすめします。調子さえよければ、走りはYB-1に劣りません(当然ながら最高速度は上回ります)。

ヤマハスポーツ FS-1(1969)

では、現在のYB-1に連なるエンジンはいつ登場したのか?といえば、実はF-5登場の翌年、1969年の話です。
YB-1カスタムをガチで追求するとほぼ必ずその名が出る「究極のYB50系スポーツ」こと名車・FS-1に搭載された新世代エンジンが、その後改良と熟成を重ね20世紀末の1999年まで使われる事となりました。

最高にかっこいい細身のロングタンクは伊達ではなく、YB50シリーズ歴代最強の最高出力6psを誇るピーキーな特性のエンジンに5速ミッションを搭載、頑張れば最高速95km/h出せる(かも)という非常にロマン溢れる仕様はまさにスポーツそのものでした。
なお、エンジン特性も5速ミッションも前後スプロケットのギア比もロマン全振り仕様なので、基本的にブンブン回してナンボのマシンです。当然、後のYB50やYB-1の美点となった豊かな中回転域トルクはありません。
但し、FS-1が出た頃にはCDIなんて代物はまだ一般的ではありませんでしたので(同時期カワサキがマッハにCDIを導入し、盛大にやらかしている)、当然の事ながらポイント点火です。

やってみると意外に楽しい(やめましょう)

とはいえ、カミナリ族のような面白スタイルが社会現象になった時代と現代とでは交通事情がまるで異なっており、FS-1の貧弱な前後ドラムブレーキで21世紀の公道を全開爆走するのは危険極まりない行為…というかそれ以前に速度違反なので、ロマンはロマンに留めておくのがいいでしょう。

ヤマハ FB50(1970)

その後、FS-1のエンジンはピーキーな特性と最高出力を抑えたかわりに信頼性を増し(ミッションも4速化)、F-5系の車体に小改良を加えたボディに搭載され「FB50」としてレギュラーメンバー(?)入りを果たします。
この辺りから7ボーンフレーム50ccマシンは実用車メインの展開となり、スポーツ路線はFS-1が「FS50」と改名して引き続き担っていくのですが…海外輸出仕様では珍妙なアメリカン(FS80SE、1981)にされたりペダル付きモペッド(FS-1 50DX等の一部海外仕様、1980)にされたり、なかなか数奇な運命を辿っています。

ヤマハ YB50(1972)

一方、実用車としての王道を往くFB50は早くも1972年に「YB50」と改名し、名実共にビジネスバイクへと姿を変えつつも容量7.5ℓの可愛い卵型タンクを搭載。このタンクをYB-1に装着できたらさぞ素敵でしょうけど、残念ながらこの年式でもまだタンク装着方法が異なります。また、ビジネスバイクらしく視認性を重視した大型メーター(最高速100km/h表示)を含め、電装系はまだポイント点火+6Vです。
なお、一部ヤンチャな界隈で改造ハンドルのベースとして人気の「YBハンドル」とは、時期的にこの辺りのYB50のハンドルであるようです。

ヤマハ YB50(1980)

急激な進化は後進のマシンに任せた…と言わんばかりにゆったりと改良熟成されていったYB50が次に大きく姿を変えたのは1980年の事です。
容量8ℓの大型タンクに加えCDI点火を採用、電圧こそまだ6Vのままでしたが、後のYB-1直系となるモデルがここにきて誕生しました。恐らく、YB50と聞いて多くの方がイメージする姿でしょうね。

ヤマハスポーツ YB-1(1996)

そして1996年。
高度経済成長もバブル経済も終わり、時代は「最先端」「最強」「最速」よりも「自分らしさ」「癒し」をバイクにも求め始めていました。
そんな中、YB50は電装系を12V化すると同時に、FS-1系列以降ずっと途絶えていた「7ボーンフレーム50ccスポーツ」を最後の最後に復活させてくれたのです。

それが他ならぬYB-1なのですが、YB-1はFS-1のようなスポーツ走行向けの設定を与えられておらず、非常におしゃれなロングシートと低いバーハンドルで若干スポーティーなポジションを取れるのみで…取り立てて速いバイクではありませんでした。
むしろ、当時既に進化の極限にあった2ストローク50ccスクーターに比べると、加速はもちろん最高速でも負ける存在ですらありました。かくいう筆者も学生だった90年代後半、必死にブンブンノロノロ走る同級生のYB-1をJOGでおいてけぼりにしたものでした(今思えば酷い話である)。

そんな「スクーターにも負ける」遅いバイクだったYB-1ですが、初代のF-5より受け継いだ7ボーンフレームの造形美に加え、ヤマハならではの優れた塗装・メッキ技術により「綺麗なおしゃれバイク」として大ヒットしたのです。
とはいえ、YB50として熟成に熟成を重ねた車体・エンジン・ミッション・足回りは「バイクを操る楽しさを知る登竜門」としてうってつけであり、幾多のライダーを育てていく役割をも存分に果たしました。

ヤマハスポーツ YB-1(1998)

YB-1としての大きな改良は1997年に実施されました。
燃料計を搭載してメーター回りがちょっぴり豪華になったのと、サイドスタンドを上げ忘れた状態での発進ができないイグニッションカットオフシステムが採用され、よりビギナーに優しいバイクになったのです。

更に細かい改良点を幾つか挙げると
・ミラーが黒いプラ製からメッキ製にグレードアップ
・メーター文字盤が黒+日本語表記から白+英語表記に変更
・センタースタンドが標準装備ではなくなった

と、1996年モデルよりも更に「おしゃれ志向」になりました。

ワイズクラフト限定アップマフラーモデル(1998)

また、おしゃれバイク故にカラーバリエーション展開もいくつか行われ、往年のF-5Cを思わせるカラーリングが出たと思ったら、ワイズクラフトからはF-5SとF-5Cを足して2で割ったようなアップマフラー(オリジナルと異なり左出し)を専用サイドカバーと組み合わせた限定車両(1998年、全国1250台)が販売され、F-5シリーズから連なる血統を強く感じさせてくれました。

ヤマハスポーツ YB-1(1999)

2ストローク・YB-1としては最終モデルとなる1999年モデルでは、ヤマハ製バイクの始祖にして伝説的な2ストロークバイクでもある「YA-1」を思わせる非常に優美なカラーリング「ミヤビマルーン」も標準でラインナップされました。

ヤマハ YA-1(1955)

ヤマハ製2ストロークバイクの歴史を長らく共に歩み、日本国内における2ストローク50ccバイクの歴史の終焉を見届ける事になったYB-1が、最終モデルにてヤマハ2ストロークの始祖たるYA-1のカラーリングを纏うとは…悲しくもドラマティック、そして粋な計らいでした。

かくして、高度経済成長期から世紀末までを、時にはハイペースに、時にはまったりと、時にはおしゃれに駆け抜けてきた2ストローク・YB50一族の長い歴史はおしまいです。

ヤマハ YB-1Four(2000)

その後、YB-1の7ボーンフレームに4ストロークエンジンを搭載して当時の排ガス規制をクリアする…という手法で新たに「YB-1 Four」が生まれ、2000年〜2006年の間販売されました。
YB-1よりもドラムブレーキが少し大型化され、4ストロークエンジン採用で地球に(若干)やさしくなりましたが…国内の壊滅的な50ccバイク市場縮小や厳しさを増す排ガス規制といった逆風には逆らえず、静かに消えてゆきました。
YB50も同じく4ストローク化されましたが、やはり長い歴史を紡ぐ事はできませんでした。

これからヤマハがYB-1のような「プレス製モノコックフレームの小排気量スポーツバイク」を生み出してくれる可能性は、残念ながら極めて低いと書かざるを得ません。ホンダはダックス125でプレス製モノコックフレームを現代に復活させましたが、ホンダとヤマハでは企業体力が違い過ぎます。
奇跡を期待するのならば、モノコックフレーム内部にバッテリーを収容する形式での「電動YB」登場なのでしょうが(過去にヤマハは電動でのパッソル復活を試みたり、ポッケを思わせる小型電動バイクを生み出したりもしています)、それはもう別の乗り物です。

バイクの歴史はこれからも電動なり水素なりで続いていくのでしょうが、過去の歴史や文化の遺産たる「古くて愛すべきバイク達」の足跡が風化して失われる事のなきよう、今ある車両を大切にしていきたいものです。

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