特急快速を降りて、立ち止まった場所で風を感じてみる。

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僕の街では、しとしとと雨が降っています。
直売所に朝採れ野菜を買いに行こうと思っていましたが、「定休日:雨」なので繰り越しです。

今朝4時。無闇に早く目が覚めて、一時間ほど散歩をしてきました。
今の自分の状況、これから行く道。最近ふと考えるのは、そんなことです。

10年ほど小学校の先生をしました。
3月末に辞めてこの2か月(まさかコロナが来るなんて想像もしませんでした)、この時間は、自分にとって何なのだろうと思うことがあります。

仕事といえばカフェのスタッフ。幾ばくかの貯蓄があって、特段の気兼ねもなくカフェに行ったり自転車で近場の自然を見に行ったり、そうして日々を過ごしています。


新しく仕事をすることになりました。お声かけいただいた教育系NPOです。

実は時々お米を育ててもいます。カフェの繋がりで誘っていただきました。
親子オンライン体験フェスだって呼ばれたから運営に参加したら、いつの間にか大きくなってきました。

今は大体がそういった感じです。声をかけてもらうがまま。


その中で僕の気持ちとしては、非常勤講師として小学校現場に居たい気持ちが出てきました。

コロナ下の激動のこのタイミング。その渦中で、一体どうしようかって先生方と一緒に悩んでいたい。
そうして時間と状況を共にして、ちゃんと自分で今を感じたい。

この変化を外から見ていては、自分が話せる言葉が決定的に変わる気がしているのですね。

カフェとNPOと非常勤と、実際に三足の草鞋を履いたらまともな休日が無くなりそうなのですが。笑


ぼんやりと頭にあるのは「仕事」のことです。

僕が先生を辞めた理由。信じるものとのズレとか、教師をしている苦しさとか、退職後の自分への不安とか、「これだ」と思えるものを見付けたいとか(それが先生に戻ることかもしれません)、そのために色々とチャレンジできる状況にいたいとか、色々あります。

でも非常勤とかNPOとか、僕は今また仕事に戻ろうとしている。
やっぱり収入(貯蓄)は気になります。けれど数か月は大丈夫なのに。もっと長く立ち止まってもよいのに…。


仕事をしたい気持ち、まだいいかと思う気持ち。正直に感じれば、僕の中にいくつもの気持ちがあるみたいです。
誰かの話を聞いて、何かを思いついて、その時々で変わる気持ち。風に吹かれて花が揺れるみたいに。


特急快速を降りて、立ち止まった場所で風を感じてみる。

近ごろは、自分にとってそんなタイミングなのかもしれません。

何か一つを考えるでもなく、思いつくまま流れるまま、ぐちゃぐちゃのまま。
(そもそも人間はぐちゃぐちゃなものだと思います。それを言い訳に、こんなぐちゃぐちゃな文章を書いています)

「好き」がぼんやり生活の中にあって、時折それをやってみる。

仕事を辞めたら感覚や思考が研ぎ澄まされた!なんてこともなく、その時々で目の前に現れたものに反応しているだけ。

何を成そうとか社会に影響を、とかもない。仕事も行動も生活も、小ぢんまり(個人まり)した規模で好いと思っている。

非常勤の話も、お声かけいただいた時に動くので、やっぱりいいかなあとか。


仕事をすることで乗り込む特急快速を降りて、立ち止まったその場所に流れてくる風を感じる時間は、これからの人生でも折に触れてもちたいと思います。

まずは立ち止まることで、「これ好きだな」が少し頻繁に訪れて、きっとその後に感覚が研ぎ澄まされる段階がくるのでしょう。


いつもイヤフォンをしてオンライン会議に参加していたけれど、外すとちょっと違うな、とか
休憩で一斉にミュート、画面オフってちょっと寂しいな、とか

今僕が覚える小さな気付きは、感覚が動き始めた証かもしれません。

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誰かへの手紙のような、どことなく星野道夫の語り口のような、そんなイメージで書いてみました。
(もちろん星野さんは、ハッキリと伝えたい想いがあって書かれていたと思いますが)

いくつかの地域での、学校再開の朝に。

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