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心の中に森をもつ。森の中に心をおく。

心と言葉は同じじゃない。言葉は心の全部じゃない。いま思いつける言葉じゃこの想いは表しきれないのに、僕とあなたの関わりは言葉ばかりだ。

心の全部を感じたい。この心の全部でいたい。
心は頭より身体の方に近くて、静かに森の中にいると僕は心そのものでいられる気がする。

森が好きです。山でも海でもなく、森。
苔むす岩、水音と鳥の声、しずかな明るさと涼やかさ、あたたかさ。

晴れも良いし雨も良い。静寂をくれる森。やわらかな陽射し。心を洗う雨。


静かに森にいると心そのものに近づけるから、この街で心を感じたい時、僕は森を思い浮かべる。

苔むす岩、水音と鳥の声、しずかな明るさと涼やかさ、あたたかさ。裸足で歩いたあの記憶。

心の中に森をもち、森の中に心をおくこと。たぶん瞑想みたいなものだ。

いつか僕がつくるのも、心そのものでいられる場所ということだ。


「自分」とは頭のことじゃない。どちらかと言えば身体のこと。もっと言えば心のこと。
(でも頭を優先しやすく、身体は我慢させやすく、心は無理をさせやすい)

心を豊かにするとは、心の中に樹々を育てることかもしれない。枝を花を苔をふやすこと。鳥が鳴いて川が流れて、奥には無限に深い緑。僕の内に森がある。外の世界と同じくらい、僕の中に広がっている。

車でもなく自転車でもなく、歩くのが僕は好き。きっと心に森を感じていたいからだ。早く動こうとすると、森の中に心をおけないから。

森を心に感じていたら、5分のつもりが30分たっていた。1時間ほっとしたつもりが10分だった。心の時間を社会の時間より大きくできたら、そのとき僕に流れるものはすごく豊かだ。


せっかく僕はこの心なのだから、心の全部でいたいなあ。

いま僕に見えているこの世界が美しいのは、僕が辿ってきた道、感じてきたこと、あの人との時間とか、そうした歴史があったから。

この僕が今見るからこの世界は美しい。僕だけに見える美しさ。
これからも歳を重ねればまた違う美しさが現れて、生きていることはきっとそれだけで楽しい。


誰かといたい僕にとって、孤独もまたすごく大切。
森の中、心そのものでいるって、独りでないとできない。誰かと話し始めたりスマホを触ったりした瞬間に、消えてなくなる感じがする。

だから僕は森に入ると、しばらくしゃべる気分じゃなくなる。心そのものでいられるあの状態に、もう少しとどまっていたいから。
ずっとそうしていられるのは、それだけ好きということだ。誰かとともにいるのなら、いっしょに孤独になれたら良いなあ。


今日も帰りはゆっくり歩こう。あの森に心をおいて今日をすごそう。

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