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複業教員4か月目、今考えていること

「元教員」でも生きていけるって証明したい、そんな思いです。
先生を退職、転職したって大丈夫。複業、とってもとても楽しいです。

今回は、ここまでのまとめと今後の展望のお話。


この記事の要約

・この4か月のざっくり①教員退職、複業教員へ
・この4か月のざっくり②4~5月:一つ一つ変わっていく
・この4か月のざっくり③6~7月:疲れと原点と前のめりとアイディアと
・複業って本当に好い
・一時期おちいったダウン
・今考える来年のこと


この4か月のざっくり①教員退職、複業教員へ

3月末に、9年間続けた小学校教員を退職しました。(詳しくはきっとまた書くとして…)日々やっていること、将来の自分、社会の未来。どう生きていくか、どうしていたいのか。
仕事への違和感と、自分を知りたい思い。週末のプログラムに参加するだけでは物足りなくなっていた。

自分は何者なのかを知るために、色々なことができる状況に身を置こう。だから転職でなく退職、複業。
これまでの自分と地続きであるために、複業教員。

改めて、最良の選択だったと思っています。

事前の計画とは大ズレ。だってコロナですもん。

それでも僕は生きています。とても楽しく。

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この4か月のざっくり②4~5月:一つ一つ変わっていく

4月。
あてにしていた小学校非常勤の話はコロナでストップ。カフェは時短営業(それでもやってくれたの有難い)
こうなったらもう休むしかないじゃないですか。これまでの疲れをとろう。
12時間とか14時間とか寝る日々。
収支はマイナスであっても少々の貯金で生きていられる。開き直り。

誘われて親子オンライン体験フェスのスタッフに。時間があるからと運営に。
これが罠で以降ガッツリ関わることに。笑
でもコロナがなければ生まれなかったこの企画が、予想外のそして予想以上の影響を自分にくれているのも事実。


5月。
カフェスタッフに慣れ始める。学校とは違う接し方で人と関われて、初心者でいられて、小さな一つ一つがうまくいくように神経を張って、上達と未熟とを行ったり来たり。
仮にベーシックインカム制度が出来て生活費が担保されても働いていたい場所だなあと思う。

子どもの日、親子オンライン体験フェス第一回目。まさかの一万人参加。
冷たい印象だったオンラインの温かさ。ある人の言葉もきっかけで「オンラインでの関係性の築き方」に意識が向き始めた時期。

ギターとウクレレもよく弾いていた。自転車で風を浴びる。直売所で野菜を買い始め「まちの中での経済」を感じたり。

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この4か月のざっくり③6~7月:疲れと原点と前のめりとアイディアと

6月。
一緒に音楽イベントをやってきた仲間に紹介してもらって、その人が所属する教育系NPOがコロナ禍で始めたオンライン業務に加入。
おしゃれオフィス、コア運営メンバーのMTG。
任せてもらったプロジェクトでの人件費の検討などビジネス的な視座。(なるほど確かにこれは教員に欠けやすい見方)
NPOへの加入、しかもリファラル採用。一般企業に転職しにくいと言われる教員からの転職先としてかなり現実的だと実感。

親子フェス。どんどん中に入って役割が出て、割く時間も多くなる。でもボランティア。直前に仕事が降りかかるストレス。良いことばかりでもない。
でも第二回目を経て「オンライン観光」という世界が開け始める。オンラインだからむしろ繋がれる。町長とか漁師さんとか、普段の旅行じゃ仲良くならない人をすぐ近くに感じる。オンラインだからこそ。
興奮、田辺市にすぐ提案。いつかここでもやりたい。

コミュニティ支援NPOのプロジェクトPM。退職直前にやっていた校内の業務管理が生きてくる。
過去2回参加して見通しはあるし、ToDoの洗い出し、スプレッドシートにて期日までのペースメイク、個別の声かけ、議事録作成とMTG進行など全体進捗管理を進める。
こういう業務管理もできるな自分、と改めて実感。

コロナ禍で激動の学校にいたい思いが芽生える。この時期の現場を知っているか知らないかでこれからの自分の言葉が変わってしまう。現場の先生方と、自分もいっしょに悩んでいたい。
小学校非常勤に応募、7月からのスタートが決定。


6月、濃い…


7月。
親子フェスに向けて毎日毎日、作業。メンバー間で業務バランスのゆがみ。実務を負う人、そうでない人。好きな事だけをやって関われたらよいけれど、組織としてまだその段階ではない。
アレコレ追われまくってアレなんでこんな生活しているんだっけとなってまあまあキツイ時期。(ここは後述)
そんなことを言うきっかけを作ってみたり、向けあっている感情を想像してみたり。「感情調整」は自分の得意とするところで、こうした組織でも使えると知る。
四国フェスは1000人!なんだか少なく感じる気持ちもあるが、リアルでこの人数を集めようと思ったら大変なこと。さらに言えば1000人が何かしら興味をもって四国に関わろうとした結果であって、そんな広告を打つってすごいこと。
オンラインお遍路だって改めてすごいと思うんですよね。素人が集まって番組を作っちゃうんだから。
https://www.youtube.com/watch?v=bODoQoxR4Qc&t=5s


とはいえ課題だって当然ある。成立する「授業」をするって多くの人にとって難しい。
だからこんな個人事業も始めてみました。


小学校非常勤スタート。思うこと色々。
色々なクラスを周っての担任サポート的な立場を任せてもらう。この動き方、自分は合っている。
ラクじゃない。先生の気持ちも子どもの気持ちも分かるだけに。ましてやコロナの特殊性で互いにストレスがかかって気持ちが離れやすいだけに。
でもやっぱり、現場にいることを選んでよかったと思っている。


個人事業スタート。元教員仲間と話していて、自分が歩いている道にもやってきたことにも光るものがあって、それを活かしたいって思った。予定より早く、このタイミングからスタートです。


複業って本当に好い

それぞれの場所で色々な自分がいて、そのどれもが自分らしいんです。

自分を知りたい自分にとって、やっている中身も立場も違って刺激ばかり。楽しい、本当に楽しい!
色々な組織で、色々な裁量と意志決定レベルがあることも多様な自分と出逢わせてくれます。(これ、そのうち書きたいです)


一時期おちいったダウン

とはいえ。
7月にあったようにあわただしさに追われまくり(勤務自体は週6、ちょこっと仕事は毎日)、それでも収入が芳醇なわけではなく。
もっと働かないととか生活費のためにやっている感じになる。
そして走り疲れた時にふっと「あれ、なんでこんなことやっているんだろ」と思う。少し絶望的な気持ちにもなる。

でも立ち戻れたから今これを書いている。きっかけは二つ。
一つはうちのカフェの店主の言葉(思いに触れてステキな場所だって自分も頑張りたいココをよくしたいって背筋が伸びる)。
もう一つは退職当時の気持ちを読み直したこと。そうだった。自分はあのままじゃどうしても嫌で、自分を知り、可能性を広げるために今これをやっている。

このダウンは、前回の記事で書いたバイオリズムもあったのかもしれない。どうやら自分のアップダウンサイクルは2週間のよう。(そういえば所属していたサークルは2週間で1クールが廻って、それは自分に合っていた)

でも今を選んだ理由を思い返せたから、もう簡単には見失わないつもり。


今考える来年のこと

今回のダウンの原因は①やることが飽和してきて時間に追われる感覚が強くなってきたこと②その割に入ってくる収入の少なさ、と考えています。
もちろん語るものは収入だけじゃないのですが、収入面を考えてダウンな気持ちになったのは事実なので自分が「安心」を買うには今の額では足りないという。
(前回書いたように生活費ダウン=実質的に月収アップと言えると思うのですがそこはまだまだ実験中)

そこで一つの指標として「週4勤務、月収30万」というところが浮かびました。日に2万という計算。
週5週6でもっと収入があるよりは、週4が良い。でも月収もある程度。このバランスとして暫定的に悪くないと思っています。

そのための仕事の組み合わせも考え始めています。小学校は続けたい、カフェもやりたい、NPOも…その配分を少し変えよう…という風に。

そして何より大事にするべきは「自分を知り可能性を広げる」ということ。ここが無ければ「週4勤務、月収30万」も意味はない。
言葉はしっくりこないですが「自己投資」の時間も欠かせないのが自分の生き方。

だから来年度も、きっとこれからも、複業を続けていくのだと思っています。


この記事の要約

・この4か月のざっくり①教員退職、複業教員へ
・この4か月のざっくり②4~5月:一つ一つ変わっていく
・この4か月のざっくり③6~7月:疲れと原点と前のめりとアイディアと
・複業って本当に好い
・一時期おちいったダウン
・今考える来年のこと


複業についてはまた思いを言葉にしていきたい。お読みいただきありがとうございました。

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