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自分を矮小化しがちな「働く」の中で、等身大の僕を守る方法が複業なのかもしれない

複業って、「等身大の僕」を守る方法なんだと思ったのです。

一つは分かりやすく、この時代にリスクを減らす観点から。

そして何よりもう一つ。僕は「複業教員」になって、以前よりも僕自身でいられている気がしているのです。


複業-「所属」っていくつも持っていい

こちらの方(RT元)の文章を読んで、個人事業主が自動的にすごいわけでも、組織に所属することが自動的にすごいわけでもないよなって。当たり前に思ったのです。

個人で動くことでやりやすいことがある。だからそれは個人でやる。

組織にいることでやりやすいことがある。だからそれは組織でやる。

組織に入るときも、プロジェクト=特定の仕事内容でだけ関わる場合と、非常勤=ある一定期間に生じる様々な内容に関わる場合とがある。もちろんフルタイムだって選択肢の一つ。

だから「僕」がやりたいことに合わせて、それが出来るように所属を使い分ける。同時にいくつかのことをやりたいのなら、同時にいくつかの所属をする。

非常勤と、プロジェクトメンバーと、個人事業と、複数の働き方を同時にすることだってある。

この「僕がやりたいことに合わせて」、というのが、矮小化しがちな「働く」の中で、等身大の僕を守る方法なのかなと思っています。


複業-「肩書」っていくつも持っていい

等身大の僕を守るとは、「組織」という言葉を使えば、「組織」と「自分」の大きさのバランスの話。こちら(RT元)の文章が、まさに。

○○会社の自分。○○部署の自分。あるいはパパ、ママとしての自分。

こう言うと、どうしても組織の方が自分よりも大きい気がしてきます。

けれどそれって自分の一側面。自分の一部分。

ビールを飲む自分、カフェに行く自分、誰かといる自分…。他たくさんの「自分」が、「働く」をしている一つの自分に潰されないように頑張っている。

僕には沢山の僕がいる。「分人」、とてもしっくりくる考え方ですよ。


複数の面が合わさって、初めて等身大の僕が見えてくる

「等身大」って、肥大しがちな自分を謙虚に適切なサイズに、小さく収めようとする言葉。

でも僕の言う等身大は、「組織」の横で小さくされ過ぎてしまう自分の、本来の大きさを取り戻す言葉。

これは先日書いた「安心」にも繋がるかもしれません。やっぱり僕は僕で、たくさんの僕を持っていて、実はどの僕も、どこか表に出たがっているのではないか。忘れ去られて消されたら、それはとても悲しいから。

僕は確かに教員だけれど。「教員」だけで僕という人間は表せない。カフェスタッフだけれど。その言葉だけで僕は表せない。

そう考えるとやっぱり、「仕事」より「僕」の方を大きくしたって好いんじゃないかという気がしてくるのです。(それはきっと、「僕」をもっと大切にするということなんじゃないかって)

「働く」の中で自分を矮小化しがちだけれど、等身大の僕はきっともっと胸を張って生きて好いんじゃないかって。


複業だから「僕」を叶えていける

もちろん今の「働く」が、大きく自分と一致している場合はよいのだと思います。

でも状況が変わり、興味が移ろい、それまでと同じではいられなくなった時。自分の中が多面化してきたなら、自分がやることも自然と多面化していく。

その時に等身大の僕を叶える方法に、複業がある。

複業教員を8か月やってみての、今の実感です。


どんな要素が僕の中にあって、僕はこんなことを考えたんだろう…

思い返すと、昔読んだこの本を思い出しました。自分と組織の大きさの話は確か、このセミナーで聞いたのだった。

「分人」の本と併せて、オススメです。


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