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第38講Plastic Tree「サナトリウム」考察~引用とメタファーから、「死」の匂いを辿る~

僕の一番好きなアーティストPlastic Tree。
以前から歌詞考察をしたかったのですが、複雑すぎてずっとためらっていました。
ただ、かれこれ20本以上書いているのに、一番好きなアーティストの曲が無いのもなあと思ったので、今回思い切って扱ってみることにしました。
「どうやったらそんな歌詞が書けるのだろう?」と思う曲が数多くあるPlastic Treeの曲の中でも、群を抜いていると思うのがこの曲。
引用されている映画や小説、情景の意図など、できるだけ取りこぼしのないように拾っていきたいと思います。

映画『禁じられた遊びに出てくる』思い出と別れの象徴としての「十字架」


〈目を閉じて、いろんな君、瞳の奥におさめました。 微熱みたく気づかないままで、恋は虫の息です。〉
この曲は主人公が恋人である「君」との思い出をふり返るところから始まります。
サナトリウムとは長期的な療養が必要な人が入る療養所のことで、元々はかかったら治らないとされていた結核患者が入院することが多かった施設で、今回のそのモチーフで用いられています。
主人公が「目を閉じて」恋人を思い出すのは、恐らく既に恋人がサナトリウムに入院しているからであると考えられます。
もちろん「主人公がサナトリウムに入院している」という可能性も考えられるのですが、僕はこの歌に引用されている『禁じられた遊び』『風立ちぬ』の主題と重ねたときに、入院しているのは恋人の方が妥当であると判断しました(根拠は後述します)。
Aメロの歌いだしで恋人のことを思い出す主人公は「恋は虫の息」だといいます。
これは、恋人の命が長くないことを暗示していると解釈してよいでしょう。
〈こゝろ閉じて、いろんな僕、胸の中に溶かしました。 禁じられた遊びで燃やせば 孤独ってきれいな色。〉
Aメロの後半は自分の気持ちが歌われます。
「心を閉じて色んな自分を溶かす」というのは、自分の気持ちを隠そうとすることの婉曲表現ではないかというのが僕の解釈。
その自分の気持ちというのは、後ろに書かれている「孤独」でしょう。
主人公は、恋人がいないことで感じる孤独を、「こゝろ閉じ」ることで紛らわそうとしています。
ここで細かな解釈が必要なのが、「禁じられた遊びで燃やせば」の部分です。
ここに出てくる「禁じられた遊び」とは、60年代のフランス映画のタイトル。
この作品は戦争で両親と愛犬を失った少女と、その子が世話になる家庭にいた少年のやり取りが中心で話が展開するのですが、最後は二人が働いた「十字架を盗む」という悪事がばれてしまい、少女は孤児院に入れられてしまいます。
そして、少年と少女は離れ離れになって、再会できないまま映画は終わります。
ここでの「禁じられた遊び」はこの映画のことを指すと考えるのが妥当でしょう。
映画『禁じられた遊び』では、父親に約束を破られて少女と引き裂かれる場面で、少年はそれまでに少女と一緒に盗んできた「十字架」を川に捨てるという描写が登場します。
少女との思い出であると同時に離れる原因になった十字架を川に捨てるという行為で、少女ともう会うことはないというのが象徴的に描かれています。
そんな「印象的な場面」に重ねて、「孤独もきれい」ということで、一層悲しさが引き立っているわけです。
Bメロのこの歌詞は、「レコード」になぞらえて、恋人との想い出をふり返る場面が描かれます。
ここは(この歌の中ではまだ)分かりやすい省略。
後半の〈うれしいくるしい、似ている呪文だ。辿れない時間へ、あと何センチ?〉を見ていきます。
〈うれしいくるしい、似ている呪文だ。〉
ここは、恋人との日々を思い出すたびに「うれしい」一方で、思い出すほどに新しい思い出はもう作れないんだという「くるしい」が同時に沸き起こる主人公の複雑な気持ちと解釈できます。
また、先述した「禁じられた遊び」に出てくる少年が十字架を流す場面の「思い出とつらさ」というモチーフもここで思い出されます。
そしてつづく〈辿れない時間へ、あと何センチ?〉というフレーズ。
「辿れる時間」がレコードに例えられた君との思い出だとしたら、「辿れない時間」というのは、君がいなくなってしまった時間のことでしょう。
Bメロに出てくる〈止まらないレコード〉というフレーズ、〈あと何センチ?〉というセリフから、死期が目前に迫っていることが分かります。
1番のそしてサビへ。
〈絡めた指をほどいていく、ちいさくサヨナラ唱えるように。〉
倒置法になっているので、ここは「別れを告げるように指をほどく」という、文字通りの解釈でいいでしょう。
ただし、「ほどけていく」ではなく「ほどいていく」という他動詞である所に、(ちょうど伊藤整の『典子の生きかた』に出てくる速雄と典子の別れのような)お互いにこれで終わることを承知した上の「意志」を感じます。
そして後半の〈はぐれた君の名を告げても、戻らない世界の決まり。〉
〈戻らない世界の決まり。〉というフレーズは、Aメロで出てきた映画 『禁じられた遊び』の最後の場面を彷彿とさせます。
『禁じられた遊び』では、最後の場面で主人公の少女ポーレットが、一緒に遊んでいた少年ミシェルの名前を叫びながら走りながら、結局会えないシーンで終わります。
そもそもこの映画は戦争の中で少女の運命が振り回される作品です。
ここでいう〈戻らない世界の決まり。〉は、『禁じられた遊び』のラストシーンに重ねて、手をほどいたらもう二度と会えないということを歌っているのだと読むことができます。

『風立ちぬ』のモチーフに現れる生きる意志と死の不安


つづいて2番のAメロは堀辰雄さんの『風立ちぬ』の引用から始まります。
〈風立ちぬ、甘い屑が数えきれず散らかりそう。〉
小説『風立ちぬ』はサナトリウムに入院し、やがて死んでいく恋人と「私」とのやり取りが描かれた作品です。
この引用からも、恋人の「死」がより鮮明になります。
1番のところで、僕は入院しているのは恋人の方だと思うという話を書きましたが、それは『禁じられた遊び』で離れていくのも『風立ちぬ』で死んでいくのもともに女性の方だからです。
この2作品を意図的に引用している以上、やはりサナトリウムに入院しているのは女性であるだろうというのが僕の考えです。
「風立ちぬ、いざ生きめやも。」
これは『風立ちぬ』の冒頭に引用されている、ポールヴァレリーの詩です。
現代語にしたら「風が立った。生きよう、でも生きられるだろうか」といったところでしょうか。
ここには、ひとりで生きる意志と、死への不安の両面が描かれています。
(ちょうど一番に出てきた〈うれしいくるしい、似ている呪文だ。〉という部分に似たモチーフです)
ここで「風立ちぬ」という言葉を用いている以上、小説『風立ちぬ』をモチーフにしているのは明らかですが、歌詞の上では「風が吹いた」という意味で用いられています。
〈風立ちぬ、甘い屑が数えきれず散らかりそう。〉
風に吹かれて散らかる「甘い屑」といえば、書き溜めた手紙(=ラブレター)と考えるのが妥当でしょう。
ここでは、小説『風立ちぬ』をイメージさせると共に、風に吹かれて吹き上がるラブレターの描写がされています。
Aメロの後半かサビの前半にかけては、(まだ「サナトリウム」の中では直接的な表現が多いので)著作権等を考えてカット。
〈ざわめき。胸を囲まれたら、何処にも行けないままで。〉
2番のサビの後半なのですが、僕はやっぱりここに、小説『風立ちぬ』のモチーフを感じ取ります。
『風立ちぬ』の中で、風に吹かれて倒れたカンバスを直そうとするヒロインをぎゅっと抱きしめて離そうとしない主人公が描かれます。
そして、ヒロインもほどこうとするでもなくそれを受け入れる。
〈胸を囲まれたら、何処にも行けないままで。〉は、その時のヒロインが「拒むでもなくすっと受け入れた」という表現に重なる部分を感じるのです。
繰り返しのサビへと続きます。
〈花束の花がひとつずつ、枯れてくのを眺めているような。触れないことにただ気づいて、待ちこがれた涙が出た。〉
前半は恋人が徐々に死へと近づいていることの象徴と考えていいでしょう。
「枯れていく花を眺める」というのは、自分では枯れていく花に何もしてやれないことと捉えれば、「触れないことに気付く」とは、恋人の症状が悪化していき、自分ではもうどうしようもない(何ならもう会えない)ことを表していると考えられます。
これまでに出てきた「禁じられた遊び」(好きな人と離れ離れになる)→「風立ちぬ」(死へと向かうきっかけ)→「枯れて行く花びら」(強い死の匂い)というモチーフを見ると、少しずつ「死」の印象が強くなってきます。
この辺も『サナトリウム』という曲のすごいところなのかなあという印象です。
そして大サビに入る前のAメロを挟んでクライマックスへ。
〈絡めた指をほどいていく、ちいさくサヨナラ唱えた、声。はぐれた君の名を呼んでも、帰れない世界のきまり。〉
一番のサビと言葉は近しいですが、その内容はまるで違います。
一番では〈絡めた指をほどいていく、ちいさくサヨナラ唱えるように。〉だったのがここでは〈絡めた指をほどいていく、ちいさくサヨナラ唱えた、声。〉となっています。
ここではしっかりと「サヨナラ」を伝えています。
つまり、はっきりとした「別れ」が描かれているわけです。
そして繰り返しの最後のサビ。
〈目醒めて、夢の花散らばれ。愁しみも静かに、サナトリウム----------〉
現実の花が前に出てきた「枯れていく花束」で「死」を象徴したものだとしたら、「夢の花」は「枯れていない花」つまり「生」を願うものと考えられます。
そして、それを「目醒め」た世界で「散らばって欲しい」と望むということは、この瞬間に恋人がなくなってしまったのでは?というのが僕の考えです。
その喪失感が後半の〈愁しみも静かに〉という下りと、その後の〈ざわめき。胸を埋めつくして、此処から動けないままで。〉という部分。
そう考えれば、〈何処にもいけないのは「こゝろ」 其処にいた君が笑うの。〉の意味が通ります。
最後の場面でちょうど恋人は息をひきとっているからこそ、「其処にいた君」(の思い出)が笑うし、それだけ思い入れが強いからこそ、「こゝろ」が「何処にもいけない」のではないかと思うのです。
といった感じで見てきたPlastic Treeの『サナトリウム』。
とにかく言葉で伝えるのが難しい世界観の曲だと思うので、気になった方がおられたら、まず聞いてみていただくのがいいかと思います。

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