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This is Not Fine:異なる文化圏を俯瞰したときに感じる「もどかしさ」<これ何と言えばよいのでしょうかね

しばらく前になりますが、英語圏を中心に「this is fine」というインターネット・ミームが流行しました。ご覧になったことがある方もいらっしゃるかも知れませんが、炎上している部屋の中で「問題無し」と平然とコーヒーをすする図であります。

これは、周囲の状況がヤバイのだけれども、あまりにも異常すぎて、それを認識することすら拒否している、または平気なフリをしている、という状況を表しています。外部から見たら、「おいおい、部屋が燃えているぞ、何やってんだ」という話しなのですが、当人はまるで他人ごとのようです。

自分はこれ、結構好きなんですが、これは自分自身がヤバイ状況におかれる時のスリルが好き、というだけではなくw、自分が見る光景に「おいおい、ぜんぜん "fine" じゃないぞ、何やってんだ」という「もどかしさ」を感じることが多いからなのです。

以前チラっと書いたこれなんですが・・・

私のように、「英語圏と日本語圏」、「IT業界と不動産業界」など、まったく異なるコミュニティを俯瞰しながら見ている立場にいると、色々ともどかしくて、「まるで自分ひとりが正気で他のみんなが狂っているのか、実はその逆だったりするのか、という悪夢の中にいるような・・・」というような状況が頻繁に起きます。

精神の安定を図るのが大変であります(笑)

人々の固定観念を覆すことの難しさ

一例として日米の「マスク」に対する固定観念を取り上げていますが、個人的にもう頻繁に、日常的にこの「もどかしさ」を感じてしょうがないんですよね。

まるで社会不適合者であります。

自分は、普通にこのnoteを使っているだけで「もどかしさ」を感じます。

例えば、noteに似ている英語圏でメジャーなMediumでは当然のことのように書いた記事を「エクスポート」出来ますし「API仕様」も公開していて開発者がツールをいろいろ開発できるようにしてコミュニティを形成しています。

これは、英語圏ではもうブログ全盛期やSNS初期から、「データ可搬性(データポータビリティ)」は「データ所有者の権利」として「法的な権利」であるという意識が広まったからです。

一方、noteでは、そんな意識も念頭にないのか、いっこうにエクスポートにすら対応する様子もありません。おまけにほとんどの人達が声をあげるでもなく普通に使っています。自分は「なんでやねん!」と「もどかしさ」を感じるわけです。まぁしょうがないから、自分で裏技を使ってエクスポートするアプリを作らざるを得なかったわけですが。

他にも、noteは最近、PayPayで支払いできるようになった云々というアナウンスを出してくるのですが、自分は、ここでも酷い「もどかしさ」を感じるわけです。

なぜかというと、以前も詳しく書きましたが、日本では「電子マネー」と「デジタル通貨」の区別が出来ていないのです。

英語圏では、「電子マネー」なんかでなく、「デジタル通貨」の暗号通貨やCBDCをどうするか、なんです。Facebookもディエムというデジタル通貨を引っ提げてFacebookペイを準備していますし、Twitterもビットコインでの投げ銭機能も(アメリカ国内等で)対応済みです。Braveってブラウザを使うとBATトークンでクリエーターにチップとして払うことが出来ます。

そんな中、note.comではここにきて、よりによって、いまさら、PayPayかよ・・・Orz・・・「なんでやねん」と「もどかしく」感じざるを得ないのです。

また、さきほども、「不動産の標準化組織 RESO(Real Estate Standards Organization)とは」などを翻訳して書いていても、「なんで日本では・・・一体なんでやねん!」と、これまた強烈な「もどかしさ」を感じるわけです。アメリカの業界団体は職業倫理を柱に、倫理綱領を旗印にやっているのに比べて日本は・・・、なんてのもそうです。

英語圏ではあのように価値観を言語化して表明して皆んなでグイグイ動いて行くのに、日本では「建前」と実際がことなり、誰にも見えないところで誰か(どこか)が影響力を行使していたりします。

日本のIT業界といえば、バズワードを散りばめた「チャラテックの世界」だし、不動産業界といえば「魔界」だし、ずっと「なんでやねん!ってことばかり」しています。国の官僚はと言えば、いまだ「霞が関パワポ」・・・。

もともと言葉にしなくても「なんとなく」でなんとか回っていくハイコンテクスト文化である日本だからこそ通じる話しなのかも知れません。なんとなくやってなんとなくまわりに合わせている・・・。

アメリカはなんでも契約と訴訟の国だ、なんて言いますが、明示的に禁止されてなければ何でもオッケイの国なんで、メチャクチャな所もありますが、やたら新しいことが出てきたりしますし、仕組みづくりが上手くてメソッド化して攻めてきます。

あたまでは分かってはいても、この「もどかしさ」はどうにもならんのです。大嫌いな「出羽守」のようにはならんぞ、と心には決めているのですが・・・。

さらに言えば、新聞を含むメディアの報道を見ていても、英語圏での日本に関する報道はそれこそ酷いなんてレベルではなく、いちいち反論していたらキリがないほどです(自分は相当な時間を無駄にした気がする)。もう「もどかしい」なんてレベルではありません。逆に日本の欧米に関する報道も一面的な所があり、相当アレです。さらにさらに、日本語のメディアが日本の不動産業xITが絡む話しを報道すると大抵メチャクチャ()なので、これも「もどかしい」。当然ながら日本のテレビも「もどかしくて」観ていられません。

こういった「もどかしさ」は一体なんと言ったらよいのでしょうかねぇ。

自分としては、この「もどかしさ」の発散と解消のために、「何故なんだ」といろいろ突き詰めて考えて、こういった所で文章にして両者の橋渡し的に「解説」と称して色々と書き散らしているのかも知れません。つまり変な原動力に突き動かされているけれども自分には何の得にもならないことをしている、という・・・。

ハーフというか移民二世のような人も似たような「もどかしさ」みたいのを感じているのだろうか。きっと器用な人はこんなことで悩まずにもっと上手く立ち回ってるんだろうな、と思います。

そんな訳で、自分のアイコンを「this is fine」ミームに変更してみました。

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