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NY駐在員報告 「インターネット米国最新事情(その1)」 1994年10月

 (財)ハイパーネットワーク社会研究所の会津泉研究企画部長によれば、インターネットをよく知らない人から受ける質問で多いのは「利用者の数は?」と「料金は?」だという。日本のマスコミでも最近取り上げられることが多くなったので、そういう質問をする人も減ったかもしれないが、今月から、インターネット発祥の地である米国でインターネットがどのように変わりつつあるかを2回に分けて報告したい。

インターネットとは何か

 最初の二つの質問に正確かつ簡潔に答えると、まず利用者の数については「誰も知らない」であり、料金については「決まっていない」になる。多少親切に答えれば「利用者の数は2000万人とも3000万人とも言われているが、誰も正確な数は知らないし、誰にも数えることはできない」、それから、「利用料金は利用目的、利用するネットワークとそのサービスによって異なっていて、ただで使っている人もいるし、月に数百ドル払っている人もいる。たとえば私の場合は月に35ドルだ」ということになるだろう。
 この二つの質問は、インターネットを知っている者にとって答えにくい困った質問であると同時に、インターネットの本質を突いた質問でもある。
 おそらく二つの質問をする質問者の頭の中にある広域コンピュータネットワークは、 CompuServeやProdigy, American Online (日本で言えばPC-VANやNiftyServe )のようないわゆるパソコンネットである。したがって、利用者の数はネットワークの管理者が把握しているはずだし、料金もネットワークの運営会社が料金表を持っているはずだ。利用者数が分かればその規模が分かるし、利用料金が安ければ、ちょっと利用してみようかと考えているのかもしれない。

 しかし、インターネットはBBS (Bulletin Board System の略でいわゆるパソコン通信のこと)とはまったく違った広域コンピュータネットワークである。BBSの場合、一般的にパソコン(通信機能付きのワープロの場合もあるだろうけれど)からモデム経由でホストコンピュータに接続して、電子メールを交換したり、電子掲示板を覗いたりする。ホストコンピュータは大型汎用機の場合もあるし、小さなBBSではパソコンが使われている。規模の差はあれ、BBSには必ずホストコンピュータがあり、ユーザはそこに接続しないとメールの読み書きも情報収集もできない。しかしインターネットにはユーザを管理し、すべての情報の流れをコントロールするホストコンピュータは存在しない。コンピュータとコンピュータが通信回線(LANも含む)と情報の流れる経路をコントロールする「ルータ」と呼ばれる装置を介して接続されている。

 分かりやすく言えば、BBSは「王様と家来」のシステムで、家来であるユーザのパソコンは王様を介さないと他の家来と話ができない。そのBBSで利用可能な機能、サービスはすべて王様に依存している。一方、インターネットは「自由と平等」のシステムで、ユーザのすべてのコミュニケーションを管理し、利用料金を徴収する「王様」は存在しない。つまり、誰も全体を管理していないのでユーザの数は誰も知らないし、すべてのユーザから利用料を集めるインターネット株式会社があるわけではなく、ネットワーク毎にお金は徴収されているか、NSFNETのように政府がお金を払っている。

 実際には、インターネットはネットワークのネットワーク(メタネットワーク)になっている。大学や企業内のネットワークが地域ネットワークや商用ネットワークに接続され、そうしたネットワークが相互に、あるいはナショナル・バックボーン・ネットワークと接続されている。さらにそうしたネットワークが太平洋や大西洋を越えて接続されている。そういう構造をしている。

 米国の場合、おおまかに三層構造でできている。一番下の層は大学や企業のネットワークである。二番目の層が地域ネットワーク(Regional Networks)あるいは中間層ネットワーク(Mid-level Networks)であり、一番上がナショナル・バックボーン・ネットワーク (National Backbone Networks) である。このナショナル・バックボーン・ネットワークもいくつかのネットワークでできている。政府の関与しているものだけでも NSFNET, Milnet (DOD), ESNET (Energy Science Network, DOE), NSI (NASA Science Internet) があり、それらは東海岸と西海岸で相互接続されている。

その歴史

 インターネットの歴史についても簡単に触れておこう。インターネットの出発点は(よく知られているように)国防省の高等研究計画局(Advanced Research Projects Agency)が構築したARPAnetである。このネットワークは1969年に運用が始まり、1989年に消滅している。このネットワーク構築の計画は 1961年まで遡ることができ、有事の際にもネットワーク全体がダウンしないようなコンピュータネットワークを目指していた。そのために用いられた技術が「パケット交換」という通信方式である。この通信方式はデータをある大きさ以下のパケットに区切って送るため、一つの通信回線を複数のユーザで利用できる上に、(海のむこうから飛んできたミサイルが原因で)一部の回線に支障が生じた場合でも迂回できる回線があれば通信可能であるという利点を備えている。
 ちなみに、このパケット通信方式は1964年にRand CorporationのPaul Baranが考案したものであるが、彼とは独立に1965年に英国のNational Physical LaboratoryのDonald Daviesもこの通信方式を考案しており、パケットという言葉を使ったのはDaviesの方である。

 ARPAnetのもう一つの大きな技術的功績は、TCP/IPプロトコル群の開発・実用化である。現在でもインターネット上で使われている主要なプロトコルはTCP/IPであるが、この TCP/IP は、インターネット上で開発され、実験され、改良されていった(現在も改良されている)通信プロトコルである。このプロトコルは、開発の経緯から「DOD プロトコル」とも呼ばれている。厳密に言えば、TCPはTransmission Control Protocol であり、IP は Internet Protocol であるが、通常TCP/IPはこれらのプロトコルを含むプロトコル群を指す。
 後に TCP/IP と呼ばれることになる通信プロトコルに関する論文がIEEEから公表されたのは、1974年のことで、著者はVinton G. CerfとRobert Kahnである。Vinton G. Cerfは、当時Stanford Universityの教授であり、1976年にDARPAに入った。現在はMCIのSenior Vice Presidentであり、Internet SocietyのPresidentでもある。また、Robert KahnはMITの数学の教授であったが、1972年にDARPAのDirector of the Information Processing Techniques Officeになった。現在はCNRI (Corporation for National Research Initiatives)のPresidentである。

 ARPAは1980年にTCP/IPをUNIX (BSD 4.1 version) のカーネルに組み込むために資金を投入した。その結果、BSD 4.2 のバージョン以降、TCP/IPはUNIXの標準通信モジュ−ルとしてUNIXに組み込まれることになった。したがって、UNIXをOSとするコンピュータには通常TCP/IP がバンドルされている。 1983年 1月、DARPAはTCP/IPをARPAnetの標準プロトコルとして採用した。その後もTCP/IPプロトコル群は、インターネットの中で、研究、実験され、使い勝手の良い、効率の良いものに改良されていくこととなった。ネットワークがネットワーク・アーキテクチャの研究開発を促進し、さらにネットワークが普及していくというシナジー効果が顕著に現われた事例である。

 一部でインターネットの代名詞のように思われているNSFnetが構築されたのは1986年である。言うまでもなく、NSFnetは研究教育目的の地域ネットワーク、大学等の教育機関が接続している米国の重要なバックボーンネットワークの一つである。先月号までの駐在員報告でも書いたように、HPCC計画の中に「NSFNET」という名前のプログラムがあり、そのプログラムには地域ネットに対する助成も含まれているため、NSFがサポートする(あるいはサポートしていた)地域ネットを含めてNSFnetと呼ばれることもある。当初通信速度は56Kbps であったが、すぐに1.5Mbpsにグレードアップされ、現在は45Mbpsで運用されている。

 さて、当然のことながら最初からARPAnetが今のインターネットのように急速に大きくなっていた訳ではない。1969年12月の時点でARPAnetのノードは4つ、UCLA 、SRI (Stanford Research Institute )、UCSB、ユタ大学の4カ所である。その後、接続されるコンピュータの数は増えていったが、それは非常にゆっくりとした成長であった。1971年4月には23、1974年6月には62、1977年3月には111である。ノードの数も1983年にARPAnetが純粋な軍用のMilnetと ARPAnetに分割された時点で約100であった。利用者数、接続コンピュータ数が爆発的に伸びていったのは、1988年に学術研究用のネットワークとしてNSFnetが一般の研究者に解放されてからのことである。(つまり、NSFnetはこの時点まで、形式的にせよ、NSFのサポートするスーパーコンピュータセンターの利用者に限定されていたのである) 1988年10月の接続コンピュータ数は56000台であったが、これが毎年2〜3倍で増え続け、 1994年7月現在は320万台を超えている。

 以上のように インターネットは、当初研究者のネットワークとして発展してきたが、その利用価値は一般のコンピュータ・ユーザにとっても大きいことから、非研究者のためのインターネットサービスを提供するコマーシャルネットが生まれた。
 初めてのコマーシャルネットは、UUNETであり、87年5月に電子メール、電子ニュース利用を可能とするUUCPサービスを開始した(IP接続が可能なInternetサービスの開始は90年1月からである)。この他にも、89年春にはCERFnet が事業を開始し、90年 1月にはPSI (Performance Systems International) が事業を開始した(会社の設立は89年)。

 コマーシャルネットが90年代に入って順調に成長していった背景には、NSFの一つの決定がある。 NSFは90年に"commercial use"を禁止する条項を含むAUP (Acceptable Use Policy) を制定し、NSFを商業的に利用することを禁止した。これを契機に数多くの商用インターネット業者が生まれ育っていくことになったのである。たとえば、翌 91年 5月、Merit、IBM、MCIはANSの子会社としてANS CO+RE社を設立、商用サービスを開始した(CO+REとはCommercialとResearchを意味する)。ちなみに、このANS CO+REは、ネットワークとしてANSの運営するバックボーン(つまり、NSFNETのバックボーンと同じもの)を利用しているため、他の商用ネットワーク事業者から不公正であるとの批判を浴びることとなった。92年 4月には、米国の通信事業者であるSprintがSprintLinkという商用インターネットサービスを開始、また92年8月には、プリンストン大学が mid-levelネットワークとして設立したJvNCnetの所有権が営利企業Global Enterprise Service, Inc.に譲渡され、商用ネットとなった。現在、商用インターネット事業者は米国内に、ダイヤルアップサービスのみを行っているような小さなネットも含めれば、おそらく100以上あるのではないかと思われる。
 こうした商用インターネットサービスの発達によって、研究者のためのネットワークとしてインターネットの発展を支えてきたNSFnetも95年の4月にはその姿を大きく変えようとしている。ちょうどARPAnetが静かに舞台から消えたように。(この話は後述しよう)

注目すべきこと

 この数年間、インターネットに接続しているコンピュータの数は毎年ほぼ倍増してきた。たとえば、90 年10月には約31万台であったものが、91年10月には約62万台、92年10月には113万台、93年10月には206万台という具合である。現在もそのペースは続いており、93年10月から94年7月の間に115万台も増加して約321万台になっている。ちなみにこのうち約204万台が米国であり、日本は約72000台である。94年1月時点で日本のインターネット接続台数は約43000台であったので、日本で急速にインターネットが普及していることが分かる。
 ちなみに、こうした統計はインターネットから取り出すことができる。たとえば、"nis.nsf.net"や"ds.internic.net"のようなftpサーバー、 "nic.merit.edu" や"Gopher.isoc.org"のようなGopherサーバー、 "http://info.isoc.org/home.htkl", "http://www.internic.net/infoguide/Gopher/about-internet.html"のようなWWWサーバーに様々な情報が入っている。

 なお、この321万台という数字は直接インターネットに接続しているコンピュータの台数なので、ワークステーションなどをホストにして電話回線でアクセスしているようなパソコンは数に入っていないという点に注意しなければいけない。また同様に、最近、米国ではCompuServeやProdigy, American Online(日本ではNifty-Serve, PC-VAN, ASCII-NET, People, ASAHI NET)などのBBSが様々な形でインターネットに接続しているが、こうしたBBSに接続しているパソコンもこの統計には含まれていない。
 インターネットを利用できる国の数も増えている。電子メールが届く国の数は93年8月には137カ国であったが、94年7月には152カ国になっている。IP接続されている国の数も93年8月には60カ国であったが、94年7月には86カ国に増加している。

 利用者数は、前にも述べたように正確な数字を得ることができないのだが、2000万人とも3000万人とも言われている。おそらく今年中に「3000万人とも4000万人とも」と言い出す人が出てくるに違いない。
 インターネットを流れる情報量の統計もあるが、こちらはコンピュータの台数の増加以上に伸びている。およそ月に15%と言われている。利用者や接続コンピュータの台数以上に伸びている原因は、流れている情報のタイプが変化しているせいである。特にWWW と呼ばれるWorld Wide Webの普及は、トラフィック急増の最大の要因とみられている。たとえば、NSFnetのバックボーンを流れるWWWの情報量はこの一年間で10倍以上に増えている。
 こうした驚異的な成長の中で、特に注目すべきなのは、研究目的の利用より商用利用の伸び率が圧倒的に高いということである。米国のある調査会社の予測によれば、研究目的の利用の伸び率が年30〜40%しか見込めないのに対して、商用利用の方は300%以上の伸びが見込めるという。
 このように(他に類するものがないので比べようもないのだが)世界最大のコンピュータネットワークでありながら、利用料金は(少なくとも米国においては)極めて安い。多くの商用ネットは(多少機能は限定されるが)月に10ドル程度で個人向けの電話回線による接続サービスを提供している。

 さらに重要な点は、インターネットは絶えず進歩しているという事実である。前にも述べたようにインターネットにはそれを管理・コントロールするインターネット株式会社があるわけではない。インターネットは、そこで用いられるプロトコルとアドレスの管理を除けば、基本的にアナーキーだといってよいだろう。すべてはユーザに任されている。インターネットの世界で提供されるサービス、機能もまたそのほとんどがユーザによって開発され提供されてきたものである。このため、インターネットはインターネットを利用する多くの研究者によって改良されてきたと言える。
 たとえば、情報を共有する手段として最初に普及したのが"anonymous FTP"である。これは、公開されたファイルを誰でも自由にアクセスし入手することを可能にした。ファイルはテキストファイルでもよいし、プログラムでも、グラフィックのファイルでも転送することが可能である。問題はどこにどんなファイルがあるのかを知っていなければ始まらないことにある。

 80年代の後半、インターネットのユーザが増え、提供される情報も増加すると、古くからのユーザであっても、欲しい情報がどこにあるのかを見つけることが、不可能ではないにしろ極めて困難になってしまった。そこで開発されたツールが"Archie"である。このツールはMcGill Universityで開発され、瞬く間にユーザに広まった。"Archie"は"anonymous FTP"によって得られるファイルのカタログを作成するツールで、ファイル名あるいはファイル名の一部が分かっていれば、それでファイルのある場所が検索できるというものだった。「だった」というのは、当初はそれだけの機能だったという意味である。というのは、次第にファイル名が必ずしも内容を適切に表現していない場合が増え、それを解決するために"whatis"というサービスが追加された。これはファイル名とは別にインデックス・キーワードを検索できるようにしたもので、これによって、ファイル名が中身を表していなくても欲しいファイルをかなりの確率で捜せるようになった。

 "Archie"が第一世代のツールだとすると、第二世代のツールは"Gopher"である。"Gopher"は1991年にミネソタ大学で開発された。"Gopher"を使えば、ユーザはテキスト形式のメニューから欲しい情報(あるいは情報のありそうな場所)を選ぶだけで情報を捜すことができる。ユーザが使うのはカーソルを動かすキーとリターンキーのみ(Macintoshの場合はマウスのみ)で済むので、ユーザはUNIXのコマンドを覚える必要はなくなった。この"Gopher"には"veronica"というサービスが追加された。"veronica"のデータベースには"Gopher"サーバーのほとんどの項目が記録されており、キーワード検索が可能になっているので、"Gopher"はさらに使いやすいものになった。

 次に登場したのが"WWW (World-Wide Web)" と"Mosaic"である。"WWW"はジュネーブにある欧州の高エネルギー物理研究所 CERN で開発され1991年に公開されたハイパーテキスト記述用の規格である。"WWW"はテキスト、書式付きのテキスト、画像、音声などを扱うことができ、別の文書とのリンクを記述できる。たとえばある文書の中のある項目についてさらに詳しく書いた文書があるとすれば、最初の文書中の項目をクリックするだけでその文書にアクセスが可能になる仕組みができるのである。この"WWW"のユーザインターフェースとして最も一般的なものが"Mosaic"である。"Mosaic"はNSFがサポートするスーパーコンピュータセンターの一つであるNCSA (National Center for Supercomputing Application) で開発されたもので、1993年に無償で公開されている。この"Mosaic"は"WWW"用のツールとして紹介されることが多いが、実際はインターネット上のほとんどの公開情報にアクセスすることができる万能ツールである(Archie, FTP, Gopher, telnet用のインターフェースも備えている)。"Mosaic"はグラフィカルなユーザインターフェースとその使いやすさで、急速に普及していった。現在、この"Mosaic"はいくつかの会社が商品として開発している。この"Mosaic"の商品化で最も注目されているのは、カリフォルニア州のマウンテンビューにあるMosaic Communications Corp.だろう。この会社は、Silicon Graphics社の会長であったJames ClarkがNCSAで最初に"Mosaic"を開発したチームの一人であるMark Andreesen(なんとまだ22歳だ)を引き抜いて94年4月に創設した会社である。この会社はAndreesenの他にも"Mosaic"開発チームから5人のプログラマーを引き抜いてきており、"Mosaic"の商品化を進める他の会社と違って、NCSAからライセンスを受けないで開発を進めている。ベータ版が94年中に完成し、商品として出荷されるのは95年初めと言われている。

 ここで例に挙げたのは、ユーザが直接利用するツールに関するものであるが、ユーザから見えないところでも同じ様に優れたアイデア、規格、ソフトウェアを次々と取り込んでインターネットは発展してきた。これはインターネット発展の最大の特徴と言えるのではないだろうか。

インターネットで何ができるのか

 ではインターネットを利用して何ができるのだろう。
 まず、最初に挙げるべきものは電子メールだろう。世界150カ国以上に電子メールが送れる。最近は大手のBBSはほとんどインターネットに接続しているので、そうしたユーザも入れれば、メールを送れる相手は大変な数になる。実際、米国で名刺交換をすると、半数以上の人の名刺には電子メールのアドレスが印刷されている。
 電子メールは極めて便利なコミュニケーションツールである。通信は高速で、通常の手紙とは比べものにならない。リアルタイムのコミュニケーションが可能な電話より遅いが、実用上は電話より早く連絡がつくケースが多い(電話は当人が捕まらないケースがあって、結局、伝言、留守番電話、電話のかけ直しなどで、時間がかかることが多い)。一斉同報が容易で、受け取った情報の再加工もでき、通信コストは安い。また、外国語の会話の苦手な人にとっては、読み書きができれば外国人とのコミュニケーションができるというのもメリットのひとつだろう。

 電子メールの次によく利用されているのが、ネットワーク・ニュースあるいはUSENETである(ということになっている)。ネットワーク・ニュースはインターネット上のディスカッション・グループで、ちょうどBBS(パソコン通信)の電子掲示板に相当する。テーマは哲学、宗教、技術、音楽から釣りやゴルフの趣味の世界まで様々で、そのグループの総数は不明である。これはユーザ数が不明なのと同様の理由で、一つ一つのネットワークが独自で提供しているニュースがあるためである。たとえばPanixのニュース・サーバーは約5000のグループを提供している。この大半はUSENETニュースの一部である。USENETは誤解されていることが多いが、インターネット上のネットワークでもなければ、インターネット上のニュースグループの総称でもない。あるニュースグループを転送したり、メンテナンスするルールであり、それを守っているボランティアの集まりである(USENETが何かを正確に知りたければ、pit-manager.mit.eduにanonymous ftpでアクセスして、"What is USENET"というファイルを参照されたい)。現在USENETのニュース・グループは6000以上あると言われている。ちなみにDEC Network Systems が発表しているUSENETのトップ40(94年6月)の上位10位は次のとおりである。
 1) news.announce.newusers, 2) news.answers, 3) rec.humor.funny, 4) alt.sex, 5) rec.humor, 6) misc.forsale, 7) misc.jobs.offered 8) comp.unix.questions, 9) alt.sex.stories,10) alt.binaries.picture.erotica

 何ができるかの三番目は、情報検索である。これは、前述のとおり"anonymous ftp", "Gopher", "Mosaic", とコマンド入力からGUI (Graphical User Interface) へ、文字情報からマルチメディアへと進化しており、ますます使いやすくなってきている。
 最近は商用のデータベースがインターネットに接続しており、通常リモート・ログインによって利用可能である。ただし、当然のことながら、別途、利用者識別番号(USER ID)を取得し、利用に応じた料金を支払う必要がある。
 リモート・ログインは当初から利用されてきた機能で、インターネットに接続されている相手先のコンピュータにアカウントさえあれば、それがスーパーコンピュータであっても、容易にそのコンピュータを利用することができる。

接続方法とその制約

 インターネットへの接続は、通常ネットワークの単位で行われる。ルータと呼ばれる装置を介してLAN をインターネットに接続すると、そのLANはインターネットの一部になる。インターネットでは「友達の友達は友達だ」の関係にあるので、接続先はインターネットにつながっているネットワークであればどこでもよいことになるが、普通は商用利用をするのかどうか、あるいは教育・研究用であるかどうかによって違いが出てくる。例えば、同じ地域をカバーする地域ネットであっても、そのネットワークの運営方針によって、営利組織の接続を認めなかったり、商用利用は禁止されている場合がある。米国の地域ネットの場合は、教育・研究機関とそれ以外の組織では、接続料金が異なっている場合が多い(当然、教育・研究機関の方が安い)。接続は専用回線を利用するか、従来の電話回線を利用するか、あるいはISDN回線を利用することになる。当然、快適な利用のために高速な回線を利用しようとすれば、それだけ費用はかさむ。なお、通信回線の費用は商用インターネットに接続する費用とは別である。
 また、使用するプロトコルによって利用できる機能が異なる。uucp (Unix to Unix Copy) による接続は、定期的に接続相手に電話をかけ、メールの交換とニュースの取込みを行う方法で、費用は安くつくが、利用はメールとネットワーク・ニュースに限られる。最近でも利用者は少なくないが、インターネットの機能がフルに利用できるTCP/IPによる接続が一般的になっている。
 ここで技術的な話をするつもりはないが、ネットワークをインターネットに接続するためには、ドメイン名、IPアドレスの取得と接続するコンピュータ、ルータ等の機器類の設定が必要になる。組織内に経験者がいる場合は別だが、最近は商用インターネットサービスを提供している企業などが、そうした初期設定のサービスをしているので、専門家に依頼するのが早道だろう。

 さて、次は個人で利用する場合である。最近、日本でも個人向けのインターネット接続サービスが始まったので、そうした企業を利用することになる。米国ではそうしたサービスはかなり早くから行われており、現在、ニューヨーク地区だけでもECO, Maestro, Mindvox, Net23.com, Panix, Pipeline の6社がサービスを行っている(全米をカバーしている企業を除く)。
 米国の個人向けインターネット接続サービスの料金は、月額10ドル程度からであるが、この場合も様々なオプションがある。料金の安いサービスは利用できる機能が限定されているのが通常で、例えば、Panixの場合、月10ドルでは電子メールとネットワーク・ニュースおよびtelnetとFTPが利用できる。しかし、米国内の日本人の場合には、もう一つ重大な制限がある。このサービスでは日本語が使えないのだ。この日本語の壁を乗り越えるためには、SLIP (Serial Line IP) かPPP (Point to Point Protocol) を用いて接続する必要がある。Panixのこのサービスは月35ドルである。ニューヨークの場合、域内の電話は固定料金なので、月35ドルでインターネットは使い放題ということになるので、この料金は決して高いものではない。
 SLIPかPPPでパソコンをインターネットに接続すると、インターネットのすべての機能が利用できる上、接続先のコンピュータによる制約(日本語が使えないというのも一つの制約)から逃れられる。つまり、手元のパソコンが日本語が扱え、日本語用の電子メールソフト(たとえばEudora-J)があれば、自由に日本語でメールをやり取りできる。
 少し本題から外れるが、こうしてインターネットで日本語が使えるようになったのは、約10年前に日本でインターネットの研究を始めた先人の努力の賜物である。日本におけるインターネットの歴史はJUNETに始まる。84年10月に東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学の3つのサイトをuucpで接続してJUNETの実験は始まった。接続サイトは徐々に増加していったが、初期のJUNETはすべて電話回線による接続であった。87年にWIDEプロジェクトがスタートし、88年にはJAINが、89年にはTISNが立ち上がり、日本のインターネットはIP ネットワーク時代へと移行していったのだが、この過程で、ワークステーション用の日本語フォントの作成、日本語のネットワーク・ニュース用のツールの開発などがボランタリな形で行われた。現在でもこうしたボランタリな活動は大学を中心に行われている。インターネットはボランタリな活動によって支えられてきているが、日本に於けるこうした活動も忘れてはならない。

(次号に続く)

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