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ITと企業戦略の関係を考える 第4回  「ITの戦略的価値に関する議論」 ソフトバンク ビジネス+IT (2006年5月)

 前回までに「ITは基盤技術でありコモディティ化が進んでいる」というニコラス・カーの主張を解説してきた。今回は「コモディティ化したITは持続的な競争優位の源泉にはらならない」という彼の主張の核心部分を考えてみよう。

競争優位をもたらすものは何か

 ITベンダーやIT系コンサルタント、企業のCIOはもちろん、一部の企業経営者は競争優位を獲得するためにITをいかに活用するかという問題に正面から取り組んでいる。彼らの多くは、ITの戦略的重要性を信じ、先端的なITを導入することによって、他社との差別化を図り、持続的な競争優位が得られると考えている。しかし、カーはきっぱりと、もはやITにはそうした戦略的価値はないと主張している。
 おそらくここが”IT Doesn’t Matter”論争でもっとも議論が激しい部分だろう。

 持続的な競争優位の源泉となるものはどのようなものなのかとカーは問いかける。それは普遍的なものではなくて、希少なものでなくてはならない。ライバル企業が持っていないものを持っているか、ライバル企業ができないことを実行できなければいけない。しかし、ITはコモディティ化し、誰もがそこそこの金額を支払えば入手できるものになってしまった。だからITは競争優位の源泉とはなりえない。それがカーの主張である。

 したがって、ITがコモディティ化する前であれば、ITは競争優位をもたらす源泉になり得たのである。カーが例に挙げるのは、医薬品販売企業のアメリカン・ホスピタル・サプライ(AHS)が、顧客の病院向けに開発したASAPという受発注システムや、アメリカン航空の座席予約システムSabre(セーバー)などの情報システムである。

 これらのシステムを開発するためにAHSやアメリカン航空は巨額のIT投資を行っている。しかし、ライバル企業が同様のシステムを開発して普及させるまでに相当の時間を要したため、両社はこの間に大きく業績を伸ばすことができ、そのIT投資額を十分に回収することができたのである。

ITと競争戦略論

 ここで、カーの論文を少し離れて、ITと競争戦略論の関係について簡単に振り返っておこう。競争戦略論を確立したのはマイケル・E・ポーターである。ポーターは、市場におけるポジショニングが持続的競争優位をもたらすという「市場ポジショニング論」を唱えた。これは、他社との競合関係を考えつつ自社は市場の中でどのような位置を占めていくかを考えるという戦略である。ポジショニングを考える上でベースとなる要素は3つある。商品、顧客、アクセスである。どのような商品を扱うのか、どのような顧客をターゲットにするのか、どのような地域あるいは場所でビジネスを行うのかである。ポーターは、ITについて、オペレーション効率を向上させるものであり、それだけでは一時的な競争優位は獲得できても持続的競争優位の源泉にはならないと考えている。

 競争戦略のもう一つの大きな潮流が「資源ベース論」である。資源ベース論の創始者については諸説ある。1984年のB・ワーナーフェルトの論文が始まりであるという説もあるし、1960年代から1970年代にかけてハーバード・ビジネススクールのケネス・アンドルーズらが行った企業戦略の研究が最初だと考える説もある。

 この資源ベース論が注目を集めるようになったのは、1990年にC・K・プラハラードとゲイリー・ハメルが「コア・コンピタンス」というコンセプトを発表してからである。コア・コンピタンスとは「顧客に特定の利益を与える一連のスキルや技術であって、他社に真似できない核となる能力」のことである。ただ、彼らの研究は、コア・コンピタンスを企業戦略にどう生かすかという分析が十分行われていない。資源ベース戦略論は、J・B・バーニーらによって概念が整理され、企業のもつ資源(人材、資金、技術力、専門能力、組織文化など)が生み出す模倣困難性が持続的な競争優位の源泉になるという基本的な枠組みが固まった。したがって、資源ベース論に従えば、ITがコモディティ化し、模倣可能な要素であれば、ITは持続的な競争優位の源泉とはなり得ないことになる。

ITは競争優位の源泉となりうるのか

 カーの考え方は資源ベース論に近い。ITが、誰でも容易に入手できるコモディティになってしまったため、もはやITだけによってビジネス上の模倣困難性を創り出すことは不可能になってしまった。したがってITは持続的な競争優位の源泉とはなり得ない。それがカーの主張である。

 この考え方を根本から揺るがすような反論は見あたらない。たとえば、CIOマガジンの編集長であるアビー・ランドバーグは、インターネットの世界を見れば、アマゾンやeベイのような例があるではないかとカーに反論している。しかし、カーは、それは「ITによって得られた一時的な競争優位をビジネスの領域にうまく転換できたがゆえに競争力を維持していられるのだ」と答えている。たしかに両社はともに先行的なIT投資で得られた優位性をブランドという別の資源に置きかえることに成功している。特に、eベイの場合には、ネットオークションの参加者が増加することによって、出品される商品が増加し、それがまた入札者を増加させるというネットワーク効果によってネットオークションの市場で圧倒的な市場シェアを獲得した。アマゾンやeベイは、First Mover Advantageを最大限に生かした事例であり、ITによって競争優位を得た事例ではない。

 また、ランドバーグは、グーグルの例を持ち出して先進的なITインフラが他社との差別化を生み、高い競争力を生むこともあると主張している。これに対して、カーは、「確かに、非常に小規模な企業であっても、独自の機密的なアルゴリズムを採用することで高い競争力を獲得できるということは、私も否定しません。ただし、グーグルが検索エンジン・ベンダーというきわめて特異な立場にあることを忘れるべきではないでしょう」と答え、グーグルにおける成功が、一般の企業で応用可能なものではないことを指摘している。

 ただ、それほど例は多くないにしても、アマゾンのワンクリック技術のように特許権を付与されたITの場合には、ライバル企業による模倣を困難にする要素として持続的な競争優位の源泉となりうるだろう。工業製品と同じように、特許はソフトウェアにおいても模倣を防ぐ重要な武器になりうる。

ITによる競争優位という幻想

 そもそも現在、戦略論の中でITを単独で戦略優位の源泉として考えている研究者は、ほどんどいない。市場ポジショニング論をとる研究者はもちろん、資源ベース論派の研究者でもITそのものだけでは持続的な競争優位の源泉にはならないと考えている。

 ただし、これは現在の話である。かつてはそうではなかったとカーは考えている。本稿の最初で述べたように、カーは、かつてITが持続的な競争優位を生み出したとして例として、AHSのASAPやアメリカン航空のSabreを取り上げている。これらは、SIS(戦略情報システム)の事例としてよく知られている。

 SISの提唱者としてしられているコロンビア大学のチャールズ・ワイズマンは、SISを「競争優位を獲得・維持したり、敵対者の競争力を弱めたりするための計画である企業の競争戦略を、支援あるいは形成する情報技術の活用である」と定義している。SISの信奉者たちは、SISの導入によって、その企業と事業が劇的にイノベートされ、競合企業に打ち勝つことができると信じていた。しかし、よく事例で取り上げられているASAPやSabreなどに続く成功事例が生まれなかったために、90年代にはSISを信じる人はほとんどいなくなった。(ちなみに日本では、花王のネットワーク受注システム、セコムの連絡網システム、セブンイレブンのPOSシステムなどがSISの事例として取り上げられ、その当時は、これらの情報システムが競争優位の源泉になったと考えられていた。)

 つまり、ITによって競争優位が得られるというのは、過去に遡っても、きわめて希なケースであったことがわかる。
 にもかかわらず、現在でも、一部のITベンダーやITコンサルタントは、ユーザー企業に対するセールストークの中で、ITを戦略優位を生み出す魔法の杖のような特別な道具のように説明している。

 情報システムの歴史を冷静に振り返れば、ASAPやSabreのような事例は極めて希な存在であり、大多数の企業にとって、ITによって持続的な競争優位を獲得できるというストーリーは、かなり古くから幻想だったと考えた方が正しいように思える。

 では、ITにはまったく戦略的価値がないと考えてよいのだろうか。次回(最終回)は企業戦略におけるITの位置付けについて考えてみよう。


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